スキマ時間 DE 映画レビュー

【レビュー】聖女/Mad Sister(ネタバレあり)

韓国ノワール映画といえば、一種のジャンルとして確立されるほど有名なものとなっています。
そのバイオレンスな描写は、刺激的で見る者を魅了してくれます。
今回レビューする『聖女/Mad Sister』は、そんな刺激的な世界を女性主人公が見せる韓国ノワールです。

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ストーリー

格闘技でたしかな実績を持つイネは、過剰防衛により科せられた1年半の服役生活から釈放された。
学生の妹ウネと再会を果たしたイネは、学校へ行くのを渋る妹を説得し、学校へと行かせる。
しかし、ウネは知的障害を患っており、それがきっかけで学校ではイジメられていた。
それがエスカレートしたことから、ウネは裏社会の男と接触をしてしまう。
それを知ったイネは、ウネの行方を追い始める。

感想

アクション映画のひとつにリーアム・ニーソン主演作の『96時間』というものがあります。
私はあの作品が大好きで、その理由が容赦なく敵を倒していくテンポのよさでした。
本作はそんな『96時間』を彷彿とさせる、容赦ないアクションをテンポよく描いていました。
ただし、本作の主人公は女性。そこがまた斬新であり、衝撃的な点でした。
格闘技で腕を鳴らしたイネが、美しく赤いドレスを身にまとい、悪党を次々に倒していく明快かつ爽快な内容は、アクションを存分に堪能するにはうってつけであったと思います。

そんな本作ですが、目を惹いたのがアクションの粗さです。
"粗さ"と聞くとマイナスイメージに聞こえるかもしれませんが、それが良かったのです。
というのも、本作は別にスポーツをやっているわけではなく、殺し合いをしています。
そこに上品さなんていりません。相手をノックアウトできるなら髪の毛引っ掴んで壁に叩きつけるのだってありなわけです。
その何でもありの死闘が本作は素晴らしかった!血まみれになりながらも敵を倒していくイネの生々しいアクションは、粗さがあるからこそ命がけであることを感じさせました。
拳銃、ナイフ、スタンガンなど、使えるものは全て使っていくなりふり構っていられない戦闘スタイルも含め、見ごたえがありまくりなアクションシーンでした。
ここら辺は深く考え始めると「いくら相手が悪党で恨みがあるからとはいえ躊躇なく痛めつけられないでしょ」とか思ってしまいますが、そこはもう映画として割り切った方がいいですね。

そんなテンポよく進む痛烈なアクションを楽しむ作品なわけですが、ストーリーに色々と感じるものがあったのも事実です。
作中、イネが妹のウネを追う内に判明するのが、知的障害を持っているウネをエサに欲を満たしている男たちがいるという事でした。
弱者が食い物にされる環境が存在しているというのは、なんとも胸糞悪くなる話ではありますが、現実に大なり小なりそうした格差社会が存在しているのは事実でしょう。
特に韓国では貧富の差が激しい実態があるだけに、この問題はなかなか刺さるものがありました。
それだけに、イネがそうした格差など関係なく、悪を裁くという勧善懲悪ストーリーは痛快で応援したくなる魅力を持っていたんですね。


テンポよく進む生々しいアクションが楽しめた本作。
しかし、そこには韓国の格差社会も見られました。
こうしたショッキング性強めな作品は、興行などを考え始めるとなかなか作れるものではありません。
それだけに、貴重な作品を見られた気分となりました。

【レビュー】エスパーズ 超人大戦(ネタバレあり)

SF映画において、異質な存在とそれを追う者の関係というのは王道ストーリーです。(おそらく『ブレードランナー』が火付け役)
とはいえ、そこからどう面白くしていくかは制作陣の手腕しだい。
今回レビューする『エスパーズ 超人大戦 』は、そんな王道ストーリーを面白くする難しさを考えさせられる作品です。

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ストーリー

ハイテク企業"サイセイ"社の実験により、特殊な能力を持たされたミュータントを追うジョージは、一人の女性アンナと出会う。
ミュータントは攻撃的で危険な存在だと聞いていたジョージであったが、アンナと言葉をかわす内に、それが"サイセイ"社の嘘であったことを知る。
二人は協力し、これまで捕らえられたミュータントを解放すべく、"サイセイ"社に挑んでいく。

感想

超能力者とそれを追う組織の攻防を描いていた本作。
シリアスなSF世界観を作り上げようとしているのはなんとなく感じられたのですが、何かいまひとつ盛り上がりに欠ける……
その理由を探り続けていたらいつの間にか終わっていたという作品でした。

そして出た結論ですが、盛り上がりに欠けるのは作品の安っぽさにあったのではないかと思います。
例えば、超能力者を追う組織。
彼らは強力な力を持つ超能力者を相手どるにも関わらず、組織内の人は少なく、施設は狭い、支給されている武器もショボいという、まさにB級クオリティの環境で超能力者と戦っていました。
そんな安っぽさ溢れる武器を持って、なにやら奇妙な構えを見せつつ超能力者と対峙するシーンはもはや滑稽にしか見えません。
シリアスなのに映像は滑稽。そのちぐはぐさは面白さが損なわれてしまっていたと思います。

で、これは超能力者側の動きにも言える話です。
彼らは宇宙人の力を取り込んだ人間であることから、常人離れした力を使えるようになっているのですが、イマイチそれが伝わりづらい!
能力を使って敵を圧倒したりするのですが、その映像に迫力がないせいでその凄さが伝わってこないんですよね。
そもそも衝撃派と身体能力強化とか視覚的に分かりづらい能力を選んだ時点で失敗している気もしますが……(あるいは予算的にそれくらいの表現しか出来なかった?)
超能力者の脅威が伝わってこないために、それを追う組織の必死さも理解できないという悪循環に陥ってしまいました。

これらの悪循環がもたらすのが作品への没入感の薄れです。
そしてそれは、作品の設定の雑さによってより強まることとなっていました。
本作、超能力者のランクをA~Eまでで表しており、Aが最も危険ということになっているんですね。
でも、そんな設定は特に意味はありません。
「アイツAランクだ!ヤバいぞ!」ということ以外に使われることもなく、なんなら他のランク(Dランク辺り)は登場すらしない、正直なくてもよい設定です。
他にも、宇宙人の力をアンナたちが得た理由や経緯が一切語られていなかったりと、説明不足……というか細かい所はそのままスルーしている感じがしました。
こうした説明不足が、より作品へ対する興味を損なわせてしまい、没入感を薄れさせてしまうことにつながっていたように思います。

こうした説明が足りていない理由として考えられるのが、アクションが優先されていたからだと思われます。
というのも、本作の監督ジェームズ・マークはもともとスタントマンを務めていました。
そのため(なのかは分かりませんが)、作中でもアクションシーンだけには力が入っていました。
身体能力が強化された超能力者がアクロバティックな動きで攻撃をしたり、やられる兵士たちがオーバーリアクションよろしくひっくり返ったりする様子はそこそこ楽しむことができたと思います。
とはいえ、スタントの技術のせいなのか、見せ方のせいなのか分かりませんが、こちらもB級クオリティに感じられました。なんだか爽快感がないんですよね。テンポが悪いというか……
ここは自分の感覚的な話なので、そこまで深掘りはしないままにしておきます。


(物理的に)目の色変えて抵抗する超能力者と、目の色変えてそれを追う組織との攻防を描いていた本作。(後半は協力関係になっていましたが)
アクションを取り入れたいがために、設定をないがしろにしている感じがしたのは、SF映画好きとしてはやや不満が残るものとなりました。
調理の仕方によってはもっと面白くなりそうであっただけに、残念な作品であったと思います。

【コラム】ジョニー・デップの『ファンタスティック・ビースト』降板問題についてのまとめ他

11月6日にあるニュースが報じられました。
それは、俳優のジョニー・デップがDV疑惑容疑の裁判で敗訴し、それにより『ファンタスティック・ビースト』シリーズから降板が決まったというものでした。
ジョニー・デップといえばシリーズの中でも悪の親玉であるグリンデルバルドを演じていました。
意外とはまり役であっただけに、これはなかなか驚きのニュース。
興味があったため、簡単にまとめたり、個人的な思いを書いてみました。

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事件の流れ

ここでは大まかに事件の流れを追っていきます。
事件には欠かせない人物アンバー・バードとの結婚から見ていきましょう。



<2011年10月>
ラム・ダイアリー』にてジョニー・デップとアンバー・バードが共演。(2009年3月に撮影開始)

<2012年6月>
二人が交際をしていることがリークされる。

<2014年1月17日>
婚約を発表。

<2015年2月3日>
ロサンゼルスの2人の自宅で結婚式を行う。(8日にはバハマで挙式)

<2015年3月>
ジョニーが『パイレーツ・オブ・カリビアン』のシリーズ5作目をオーストラリアで撮影中に右手を負傷。手術のため、一時帰国する。

<2016年5月23日>
アンバーが「和解しがたい不和」を理由に離婚申請。

<2016年5月27日>
アンバーが顔に痣のある姿で裁判所を訪れ、家庭内暴力を受けていたとし、ジョニーに対する接近禁止命令を申請する。

<2016年8月16日>
示談により約1年半の結婚生活に終止符を打つことで合意。ジョニーがアンバーに700万ドル(約7億円)支払うことを条件に、家庭内暴力を受けたという訴えを取り下げた。

<2017年1月13日>
離婚がロサンゼルスの裁判所で成立。

<2018年12月>
アンバーが米ワシントンポストにジョニーのDVを告発する記事を寄稿する。(名前は言及されていない)

<2019年3月>
名誉を傷つけられたとして、ジョニーがアンバーに対して約56億円(5,000万ドル)の損害賠償金を請求。(裁判はまだ行われていない)

<2020年7月7日(約3週間)>
ジョニーが英メディア「ザ・サン」誌へ対して名誉棄損を訴えた裁判が行われる。(訴訟を起こした時期は不明。2018年12月の記事がきっかけらしいので2019年の内のいずれか)
<2020年11月2日>
イギリス高等裁判所が報道内容は「概ね真実」と判断し、ジョニーの訴えを退けた。



ざっくりとですがこのような流れとなっています。
ジョニーとアンバーの離婚問題は泥沼化しており、離婚問題以外の訴訟なんかも起こっているようです。
また、現在進行形でジョニーがアンバーを訴えていることや、今回の敗訴をジョニーが上告する予定だと語っていることなどから、まだまだ波乱は続くことが予想されます。

さて、おそらくこの流れの中で「なぜ入れたのか?」と疑問に思われるであろう出来事が、2015年3月のジョニー・デップが指をケガしたという話。
これを書いた理由は、今回の裁判で一つの争点として話題となっていたからでした。
このケガの話は当時、「ジョニーがゴーカートに乗っていてケガをした」と言われていました。
しかし、今回の裁判ではジョニーが「アンバーが投げつけた瓶によって骨を砕かれた」と主張し、アンバーが「酔ったジョニーが暴れまわり自ら欠損した」と主張しています。
そもそも、指(中指)を欠損していたことすら初耳だったんですが……(手術によりくっついたそうです)

他にも、ベッドに誰かが排便したという論争に発展したりと、裁判はかなりの混迷を極めたようでした。
そうしてようやく判決が出たわけですが、ここから上告するとしたらさらなる争いを生み出しそうで恐ろしいばかりですね。

ジョニー・デップ降板について思う所

今回、記事を作成した主な理由がこれについて書こうと思ったからです。
上に書いた「事件の流れ」を見てもらうと分かるかもしれませんが、今回の訴訟はジョニー・デップ自らが名誉棄損に対して起こしたものです。
そのため、別に新たな事実が明らかになったわけではありません。
また、判決も「概ね真実である」と、サン紙の書いたジョニーがDV夫であるという指摘が間違いではないことを認めているだけでした。

にも関わらず、ワーナー・ブラザーズが取ったのは、彼に対して"辞任するように頼む"という対応でした。
まあ、こんなこと言われたらまともな人間なら身を引くでしょうし、実質解雇通知みたいなものですね。

ではなぜ、このタイミングで言い渡したのかなのですが、実は2作目の時からジョニーを起用することに対する一定の苦情が来ていたそう。
そうした、バッシングのさらなる加熱を予測しての今回の実質解雇に踏み切ったのかもしれません。

しかし私個人の思いとしては、やはりジョニー・デップにはそのまま役を継続してもらいたかったですね。
たしかに、彼に対していいイメージがないことは認めます。
けれど、あくまでそれは私生活での話であり、演技のクオリティに影響するかといえばそれはないでしょう。
現に2作目では問題を抱えているにも関わらず、グリンデルバルドを魅力的に演じていたわけですからね。

そうしたグリンデルバルド=ジョニー・デップというイメージは、既に多くの人の間で定着しており、シリーズ3作目に彼が出演しないというのは魅力の損失とも言えます。
その証拠に、今回の降板を受けて彼の再起用を促す署名活動も行われているようです。
私生活と演技の質は別問題。逮捕沙汰にまで発展してないわけですし、どうにか 3作目までは演じて欲しかったですね。

ちなみに、代役はコリン・ファレルが噂されていましたが、彼は『ザ・バットマン』でペンギン役を務めるらしくキャスティングにいたらなかったとのこと。
現在、有力候補はマッツ・ミケルセンだとか。
悪役は慣れたものでしょうが、若干渋すぎる気もします。
どうやってジョニー・デップばりのカリスマ性を見せるのか気になりますね。(まだ正式に選ばれてはいませんが)



ジョニー・デップの『ファンタスティック・ビースト』降板騒動。
その裏側にはアンバー・ハードとの泥沼離婚問題が関わっていました。
そのため、報復としてアンバー・ハードを『アクアマン2』から引きずり下ろそうと署名活動をしている人間もいるそうです。(彼女もジョニーに負けず劣らずのスキャンダルを持っているため、そこをつついているのだとか)
映画ファンとしては、シリーズものの登場人物は同じ俳優に演じてもらいたいもの。
今回のワーナー・ブラザーズの対応はおそらく2作目でのジョニー・デップ起用に対する批判を考慮してものでしょう。
意見を言うのは自由ですが、周りがあーだこーだと声を大きくしすぎるのも問題なのかもしれませんね。

【レビュー】パペット大捜査線 追憶の紫影

パペットといえば、「セサミストリート」を初め、子供に人気な存在です。
それだけに長年愛され、認知度もかなりのものだと言えます。
そんなパペットが人間と共存している世界観を舞台にした作品が、今回レビューする『パペット大捜査線 追憶の紫影』です。

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ストーリー

人間とパペットが共存するロサンゼルス。
元ロサンゼルス市警で警察官として働き、現在は私立探偵であるパペットのフィルは、ストーカー行為に悩まされるサンドラの依頼を受ける。
フィルが捜査の一貫でアダルトショップを訪れるが、そこでパペットたちが惨殺される現場に遭遇した。
その後もパペット殺しが続いたことから、市警はフィルと元相棒であったエドワーズに協力して捜査に当たることを命ずる。

感想

2019年度のゴールデン・ラズベリー賞にて、最低主演女優賞(メリッサ・マッカーシー)を獲得していた本作。
そんな話題作であっただけに、劇場公開でされたら見ようと思っていましたが、地方での上映がなかったために見るのを断念した作品です。

そんな中、ようやく見る機会に恵まれたわけなのですが、率直に言って平均点くらいの普通の内容でした。
たしかにパペットと人間が入り混じる世界観やそれを生かした展開は斬新で目を惹くのですが、それがストーリーに影響を与えるかといったらそうでもなかったんですよね。
パペット差別を取り入れたり、残酷描写をソフトに見せたり、可愛らしいパペットたちに下ネタをやらせたりと、それ単体で見れば面白い設定なのですが、ではそれが本筋である「連続パペット殺し」に関連しているのかといったらそうではありません。(残酷描写は恨みからという意味があるっちゃありますが)
むしろ、差別描写については事件に関連がないだけでなく、単体の問題すら解決していないのですからスッキリとしません。これならいっそ取り入れなかった方がマシだったのではないかとさえ思えました。

で、パペット要素を取り入れたことによってネックとなっていたのがアクション面。
エンドクレジットでもその頑張りが見られましたが、パペットは人間が操っているものでした。
そのため、激しい動き(特に移動を伴う動き)は、ほぼ不可能に近い状態なわけです。
そうなると、チェイスや格闘、銃撃戦といったサスペンス・ミステリーのアクセントとなるちょっとした要素が取り入れられなくなります。
その分、コメディ要素を増やしたのかもしれませんが、やはり盛り上がりとなる山がないため、ダラダラとした展開が続く印象がありました。
一応、フィルの相棒であるエドワーズがアクションを見せるシーンはありましたが、やはり物足りなさを感じずにはいられませんでしたね。

と、ここまでイマイチな点を挙げてきましたが、冒頭にも書いたように評価としては悪いわけではありませんでした。
ストーリーはサスペンス・ミステリーの王道で、連続殺人犯を追う中でも次々に事件が襲いかかってくる、いわゆる謎が謎を呼ぶ展開で見ていて楽しめました。
また、個人的に下ネタは大好物なので、パペットを使った斬新なネタは見ていて楽しかったですね。

そして、おそらく本作最大の見所であったのが、エドワーズ役を演じたメリッサ・マッカーシーでしょう。
彼女は、同年にアカデミー賞で主演女優賞にノミネート(『ある女流作家の罪と罰』)されていた程の演技派俳優。
それだけに、シリアスな展開からコミカルな展開まで、クオリティの高い演技を見せてくれているんですよね。
中でも、砂糖を吸引してハイになるシーンはいい意味で低俗さが表現されており、彼女の演技力の高さを感じられました。
時にはパペットと取っ組み合いをしたり、時には友情を芽生えさせたりなど、全編に渡りパペットとつるんでいても違和感のない演技は作品を支えていたと言っても過言ではないでしょう。


【レビュー】ディープ・インパクト

「1999年7の月に人類が滅亡する」
ノストラダムスの大予言は世界を震撼させました。
それと同時に訪れたのが「世界が滅亡する」ことをテーマにした作品たちです。
CG技術の発展もあり、そのブーム(?)は、映画界でも巻き起こりました。
そんなブームにより大ヒットを記録したディザスタームービーが、今回レビューする『ディープ・インパクト』です。

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ストーリー

ある夜、天文学部に所属するレオ・ビーダーマンは、彗星を発見する。
その報告を聞いたウルフ博士はあることに気づくがそれを世間に公表する前に事故死をしてしまう。

それから一年後。
テレビ局に勤めるジェニーは、財務長官が突然辞任した理由を探っていた。
それがきっかけとなり彼女は政府がある秘密を抱えていることを知る。
その秘密とは、1年後に地球に彗星が衝突するということであった。

感想

個人的にディザスタームービーは大好きです。
そのため、これまで有名なものからマイナーなものまでそこそこな数見てきました。(もともとそんなに多いジャンルでもないですが)
しかし、超メジャーとも呼べるこの作品は見たことがなかったんですね。

そんな本作の感想ですが、ディザスタームービーのお手本とも言える素晴らしい出来ばえでした。
展開としてはディザスタームービーの金字塔である『アルマゲドン』と似たもので、地球に彗星がぶつかることが判明したことから人類が決断を迫られるというもの。(『アルマゲドン』と比較しましたが、本作の方が2ヶ月ほど公開が早いです)
ただ『アルマゲドン』と大きく違うのが彗星衝突が免れられないということなんですね。
地球の人々は、彗星に直接爆弾を仕掛けたり、ミサイルでの撃墜を試みたりするのですが上手くいかず……
むしろ、彗星が2つに割れてより状況が悪くなるという非情な現実が衝撃的でした。

しかし、これこそが本作の真髄だと思います。
失敗に終わることにより、『アルマゲドン』では傍観者でしかなかった地球の人々もまた選択を余儀なくされ、それだけドラマが生まれていたわけですからね。
最期の時を家族と過ごすジェニー、再会したガールフレンドと逃げ場を探すビーダーマンらの姿は『アルマゲドン』以上に「世界の終焉が迫っている」感がありました。

で、個人的にグッと来たのが人々の取る未来へと希望をつなげようとする姿でした。
例えば、ビーダーマンら若者を見守る親たちの思いであったり、ジェニーが子を持つ同僚にヘリの席を明け渡したりといったシーンです。
とりわけ感動的であったのが、やはり宇宙にいるフィッシュたちの選択。
自らの命を賭けて少しでも地球への被害を少なくしようとする自己犠牲には心打たれました。
そうした感動的なテーマは『アルマゲドン』と共通していると言えますね。

そうした"人"の物語をより魅力的にしていたのが俳優の存在です。
アカデミー賞俳優のロバート・デュバルを初め、旬の女優ティア・レオーニ、今やスターとなったイライジャ・ウッド、重鎮モーガン・フリーマンなど、若者からベテランまで、たしかな演技力を持った俳優が起用されていました。
それだけに、地球の終焉が迫る危機的状況に説得力が増し、より感動が高まるという利点があったんですね。
俳優たちの演技により、各登場人物にしっかりと息が吹き込まれていたと思います。

そんな感動的なシーンを盛り立てるのが、CGをふんだんに使ったシーンの数々でしょう。
フィッシュらが宇宙で行うミッションの臨場感はもちろんのこと、終盤の彗星衝突の恐怖を感じさせる迫力はただただ素晴らしいです。
1990年代の作品とは思えない「あり得るかも」と思わせるシーンをCG技術によって盛り上げていたのは本作の面白さのひとつであったと言えるでしょう。


地球滅亡の恐ろしさを見せつつも、その状況から生き残ろうとする人々の姿を力強く描いていた本作。
悲劇的でありながらも希望を感じさせる内容は感動的でした。
そのは、『アルマゲドン』を見返したくなりました。

【レビュー】エレファント・マン(ネタバレあり)

デヴィッド・リンチといえば、映画界でもカルト的な人気を誇る監督です。
そんな彼のデビュー作が1976年に公開された『イレイザーヘッド』でした。
そんな彼の2作目となったのが、今回レビューする『エレファント・マン』です。
アカデミー賞で8部門にノミネートされ、デヴィッド・リンチ出世作となった伝説的な作品。
今回、それが4k修復されたものが公開されました。

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ストーリー

外科医であるトリーヴスは、ある日、見世物小屋で「エレファント・マン」というものを見つける。
しかし、それはあまりの醜さゆえに警察からも見世物として止められているほどであった。
興味を持ったトリーヴスは、興行師バイツにお金を払い、エレファント・マン接触を試みた。
彼が21歳の青年ジョン・メリックであることを知ったトリーヴスは、少しずつ彼が人間であることを認識していく。

感想

デヴィッド・リンチ監督の作品は以前「デヴィッド・リンチの映画」なる企画で10作中6作を見ていました。
で、その感想はざっくりと「やべー作品ばっかり」というものでした。
カルト的な人気があるというので、こんなものなのかと思いながら見ていました。
ただ、1作品普通に見れる作品があり、それが今回の『エレファント・マン』であったわけです。


そんなわけで、他のリンチ作品と比べると見易い……というかストーリーや演出が一般向けである本作。
そのため、2回目であっても普通に楽しむことができました。
エレファント・マンことメリックと出会ったトリーヴスの打算的な考えが、彼の置かれた境遇や人間性を見ることでだんだんと改められていく流れは、感動的ながらも学ぶものも多い内容でした。

そんな本作ですが、一番ポイントとなっているのは悪党なのだと思います。
その悪党とは、興行師バイツと夜景のジムでした。
まずバイツは、メリックに対してエレファント・マンとして生きる道を強いており、少しでも意にそぐわない行動をしようものならムチ打ちという極悪非道な行為をしていました。
それでいて、世間体はよくしようと金持ちに媚びへつらうのですから見ていて気分の悪くなる悪党であったと言えます。

もう一人の悪党ジムも負けず劣らずの卑劣漢。
自らの私利私欲を満たすためメリックを見世物として扱う行為は、見ていても胸くそ悪くなる思いでした。
しかも、周りを盛り上げるためにメリックに鏡を見せたり、無理矢理キスをさせたりしようとするのですから嫌なやつと言うしかありません。

とはいえ、この2人の悪党がいることで作品が面白くなっていたのは事実。
単純に感情を揺さぶり展開を盛り上げるという効果があることはもちろんのこと、トリーヴスの抱く「自分のやっている行為は私利私欲のためではないのか?」という疑問に対する答えにもなっていました。
この2人の悪党がいることによって、トリーヴスが確実に善人であることが明確になっていたんですね。
「彼の行動が偽善や同情からではないか」という疑問も残りはしましたが、少なくともメリック自身が感謝の意をこれでもかと押し出していましたし、なによりベッドの中での死という幸せな最期を遂げていたので作中の表現通り受け取って良いのだと思います。

そんな悪党2人による効果は、メリック自身にも影響を与えていました。
メリックは、エレファント・マンと呼ばれるほど(名付けたのはバイツですが)醜い容姿をしていました。
けれど、その心は純粋無垢で話をすればユーモアもある素敵な人物でした。
初めは直感的に「不気味だ」と思っていても、彼を知っていくうちに好感が持てるようになっていくのですから不思議なものです。
それに反して心が醜いのが悪党2人。これによりメリックに対する好感がより高まるようになっていました。
作中、トリーヴスがジムに対して「お前こそが本物の化け物だ」と言い放つシーンがありましたが、よく言ったと同調したくなるくらい的確な表現でした。
なんにしても、悪党2人がいることによってストーリーの深みが増し、作品への没入感を高めていたことは間違いありません。
そうした意味では味のある必要不可欠な悪党であったと言えるのでしょう。


デヴィッド・リンチの名を世に知らしめた代表作のひとつであった本作。
その独特な感性を見せつつも大衆受けしやすい内容にまとめていたのは、4K修復するに値する名作であったと思います。
ちなみにこの作品は久々に見たため、どれくらい綺麗に修復されているのかを明確に感じ取ることはできませんでした。
強いて言うなら、白黒かつ暗いシーンが多い作品のため、細かい所まで見えやすくなったような気がしたくらいですね。(以前はなんだか見え辛い印象を受けました。特にトリーヴスが初めてメリックを見るシーンとか)
まあ、違和感なく見れたという事は綺麗になったという認識でよいのかもしれません。
少なくとも、見世物小屋という悪趣味な文化の残る時代へと引き込んでいくかのような見せ方は、映画館で見ることによってより面白さを増す作品でした。

【レビュー】人間の運命(ネタバレあり)

戦争によって人生を大きく捻じ曲げられた人は少なくありません。
それは戦時中はもちろんのこと、戦後であってもなお傷跡を遺していることは多くの映画(他の媒体)でも伝えられてきています。
今回レビューする『人間の運命』もそうした戦争による傷跡を描いた作品です。
第二次世界大戦直後、過酷な運命に翻弄された元ソ連兵士の視点で語られる物語となっています。

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ストーリー

第二次世界大戦終結後の最初の春。
ソ連兵の運転士アンドレイは、少年ワーニャを連れて戦後の地を歩いていた。
そこで同士と出会ったアンドレイは、戦時中の自身の身の丈を語り始める。
それは、戦争によってもたらされた過酷な運命に耐えた物語であった。

感想

のちに多くの戦争映画を手掛けるソ連の巨匠セルゲイ・ボンダルチョクの初監督作品ということで期待していた本作。
初監督作品でここまでクオリティの高い作品が作れるものかと感動しました。
内容としては、第二次世界大戦を生き残ったソ連兵士アンドレイの回顧録なわけなのですが、それが痛烈で心に刺さりました。
戦争によってもたらされる過酷な運命、それを耐え忍び生き続けたアンドレイの強さにはある種感動すら覚える程でした。
こうした物語を描くことができるのは、ひとえに戦時中を生きたセルゲイ監督だからこそだったのでしょう。


そんな本作の始まりは、アンドレイとその息子ワーニャが荒廃した地を歩いてくるシーンからでした。
360度を見渡すカメラアングルが、戦争による影響をまざまざと映し出していたのが印象的な始まり方です。
そこからアンドレイの戦争時の回想に入っていくわけなのですが、これがまた壮絶。
家族との別れから戦場での命懸けの任務、捕虜にされてからの凄惨な日々がリアルに描かれていました。
特にストーリーの大半を占めている捕虜にされてからの日々は、映像があることによってより生々しく感じられます。
過酷な労働を強いる環境、そこで動けなくなった者へ待つ理不尽な仕打ち、突然訪れる銃殺刑の恐怖などは、歴史の本などに書かれている犠牲者の数字だけでは伝わらない悲劇を物語っていました。

アンドレイは、こうした悲劇的な運命を乗り越えていくわけなのですが、これがまた過酷。
いつ死んでもおかしくない状況下に置かれた彼の境遇は、回想であっても息を呑む緊張感がありました。
そうした絶望はモノローグでも語られています。
後悔と苦しみが感じられるそのモノローグは、彼がいかに極限状態で生きてきたのかが伝わってくるようでした。

そんなアンドレイは捕虜ということもあって、ほとんどのシーンで喋ることも感情を露にすることもできません。
脱臼を治してくれた医者が銃殺されるのも、崖から突き落とされた仲間の死も、ただただ黙って受け入れるしかないわけです。
しかし、そうした犠牲者の姿を見ているからこそ、彼の心の奥底にあった自由への渇望と愛国心はより劇的で力強いものとなっていました。
自身に迫る銃殺刑を前にまったく怯んだりしない尊厳ある姿や、僅かな隙であっても生き残るチャンスを逃すまいとする姿は、まさに誇り高きソ連兵です。
演じたのが、セルゲイ監督自身であったこともまた感情を込めやすかったのかもしれませんね。

そんな苦境を乗り越え、祖国に帰ってもアンドレイは報われないのが厳しい現実を思わせました。
その不幸を嘆く彼の声は、フィクションだと切り捨てられるわけもなく……
実際に戦争によって同等……あるいはそれ以上の凄惨な現実と向き合わなくてはならなかった人たちがいるということを考えさせられました。

その救いとなったのが、冒頭に登場していたワーニャだと明かされ驚きでした。すっかり彼自身の孫か親戚だとばかり……
とはいえ、彼が幸せでありワーニャもまた幸せそうなのですからハッピーエンドなのでしょう。
家族を失い絶望したアンドレイが新たな家族と出会い希望を抱くというのは、戦争映画ながらも人の本質を描いているようで感動的でした。

最後に作品全体の話ですが、本作は制作された時代(1959年)もあって映像はモノクロです。
しかし、これがまた戦争の悲惨さを表現するいい演出になっているんですね。
カラーでは感じられない無機質さが作品をより重厚なものにしていたと思います。


人間の運命とそれに耐え忍んだ一人のソ連兵の姿を描いていた本作。
そこから見えるソ連の戦時中の状況や愛国心は、義務教育では知り得ない人の息づかいを感じさせました。
戦時中を知るセルゲイ・ボンダルチョク監督だからこそ描ける名作でした。