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【ネタバレあり・レビュー】ピエロがお前を嘲笑う

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ハッカーというのは人のPCなどに悪意を持って侵入する悪玉です。
しかし、武術に長けていようが権力者であろうが関係なく影から攻撃するそのスタイリッシュさは映画などではダークヒーローのように描かれます。
そんなハッカーたちによる戦いをドイツが描いたのが『ピエロがお前を嘲笑う』です。
今回はこの作品の感想と、ハッキング知識のない我々一般人にどのようにしてその内容を伝わりやすくしていたのかを紐解いていきます。

作品概要

原題:Who Am I - Kein System ist sicher
製作年:1965年(日本公開:1966)

監督:バラン・ボー・オダー
脚本:バラン・ボー・オダー、ヤンチェ・フリーセ
主演:トム・シリング

ストーリー

ハッカー集団「CLAY」(クレイ)のメンバーであるベンヤミン(トム・シリング)は警察に出頭し、ユーロポールの捜査官ハンネから取り調べを受けていた。
ハンネが欲しいのは謎のハッカーMRXを逮捕するために必要な情報であった。
ベンヤミンは「CLAY」結成からMRXに接触するまでについて語り始める。

感想

ハリウッドリメイクの噂も挙がっているこの作品。
確かに、ハリウッド好みしそうな大味なトリックが面白いサスペンスエンターテインメントであったと思います。

一番魅力であったのはスタイリッシュさ。
ハッカーたちのドヤ顔が目に浮かぶようなスタイリッシュな駆け引きを、演出マシマシで見せたのはある意味正解。見ている内に、そのイタイくらいのスタイリッシュさが癖になってきました。

このスタイリッシュさを助けるのがストーリー構成。
冒頭いきなり逮捕されているベンヤミンが回想に入ることで、話の細部がカットされていても違和感がありません。
そのため、スタイリッシュな演出も自然なものとして受け入れることができました。

そんな本作、少し意外であったのがRMXの正体でした。
普通、こうした映画というのはラストあたりで「実は私がRMXでお前たちを騙していた」という衝撃の展開があるものですが、まさかの犯人はどこにでもいるような青年。
まあ、代わりにベンヤミンたち「CLAY」のメンバーがユーロポールハンネを騙すという展開を見せていましたし、面白さとしては差し障りなかったと個人的には思いました。
主人公ベンヤミンがスーパーハッカーばりの活躍をするかと思いきや「CLAY」のメンバー全員に支えられているというのもなかなか面白い見せ方でした。
なんだか凄いハッカーなのですが等身大の青年というのはハッカーを主人公にした作品でも珍しい気がしました。

この作品をハリウッドがいかにしてリメイクするのか興味があるので、ぜひとも製作を実行してもらいたいですね


ハッキングに対するエンターテイメント性

ハッキングとは人の心理に付け入ること

ベンヤミンハッカーとしての大きな変化をもたらすのがマックスとの出会いです。
彼は、ベンヤミンに対してハッキングのなん足るかを説き、そこで話されるのが人の心理に付け入る方法でした。
それは大胆でいること。
その説明としてマックスはドーナツ店に入り、タダで物を手にいれる方法を見せます。
なんともコスい……と思うものの、なんとも分かりやすい。
我々一般市民が利用するような店を例にした解説は分かりやすかったかと思います。
それはのちのち、ベンヤミンが警備員を煙に巻くシーンでも使われ、しっかりと前振りが生きることとなっていました。

ハッキングはそれっぽく

ハッカーたちの活躍を描いていたこの作品。
やはり見所となるのはハッキングシーンです。
とはいえ、ハッキングのコードや専門知識を出されても普通の人間には分かるハズもなく。
そこで本作が取っていたのがそれっぽく見せる手法でした。
例えば、ウィンドウを大量に出してコードが次々に流れていく画面を映していたり、サーバに端末を繋いでなにやら高速でキーボードを打っていたりといった感じ。
何をやっているのかはよく分かりませんが、ハッカーらしさという意味ではイメージとして分かりやすいです。
こうした"ハッカー"という記号としての分かりやすさは至る所で見られました。
ベンヤミンが移動時にはやたらパーカーのフードを被っていたり、何かしら思惑通りにいった時には「ビンゴ!」と言ってみたり、ハッカーのイメージをそのまま具現化したような感じでした。
「実際にはこんな感じじゃないだろ(笑)」とは思いつつも、分かりやすいイメージは作品に没頭しやすいようになっていました。

ダークウェブの世界

この作品の最も画期的であったのは、ダークウェブの世界を具象化していたことです。
地下鉄の車内をダークウェブに見立て、MRXと「CLAY」らのやり取りを再現していました。
情報を渡すシーンではプレゼントを渡す映像で、トロイの木馬に仕込んだ罠がバレるシーンでは落として砕け散る映像といった感じで、視覚的に分かりやすい演出を取っていました。
謎の人物MRXの顔が覆面で覆われているなど、視覚的には楽しむことのできない仮想空間を上手く表現をしていたと言えます。

【ネタバレあり・レビュー】『荒野の1ドル銀貨』に見る、南北戦争後の南軍兵の扱い

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ジュリアーノ・ジェンマといえば、モンゴメリー・ウッド名義で主演した作品『夕陽の用心棒』(1965)での出世が有名です。
そんな作品と同年公開された作品が今回紹介する『荒野の1ドル銀貨』です。

作品概要

原題:Un dollaro bucato(英題:Blood for a Silver Dolla)
製作年:1965年(日本公開:1966)

監督:カルヴィン・ジャクソン・パジェット
脚本:カルヴィン・ジャクソン・パジェット
主演:ジュリアーノ・ジェンマ

ストーリー

南北戦争終結直後、敗戦した南軍に属していたゲイリー(ジュリアーノ・ジェンマ)は、弟のフィルと西部の町イエローストーンでの再会を約束し妻ジュディの元へ帰る。
西部で暮らすことを決めたゲイリーは暮らしの基盤を作るため、ジュディより一足先に西部へ向かうことにする。
やがてイエローストーンに到着したゲイリーは町の権力者マッコリーから、ならず者ブラックアイを多額の賞金と土地を報酬に捕まえることを依頼される。
それを引き受けたゲイリーであったが、そこにはマッコリーの思惑があった。

感想

ジュリアーノ・ジェンマが主演のマカロニ・ウエスタンはとにかく激しいです。
飛んだり跳ねたりとにかく激しい!
けれど、それはそれで間をじっくりと取る西部劇とは違う刺激があって面白いものです。
銃を手にした男を相手に素手で勝ってしまったり、4人ぐらいの相手を一瞬で片してしまったりとなかなか奇想天外な戦いを見せてくれました。

そんな本作は、序盤からまさかのジェンマが銃弾をモロに受けて倒れてしまいます。
もちろん死んでいたりはせず、奇跡的に1ドル銀貨に銃弾が当たるというミラクルで生き残ります。
そんな穴の空いた1ドル銀貨を弄びつつ、復讐の戦いを見せるジェンマがとにかくカッコいい。
序盤で蓄えていた髭も後半からは剃ってスッキリ。やはりジェンマは爽やかなのが似合います。

髭を剃ったことで人相の変わったジェンマが大胆にも敵の一味に加わったりとスリリングな行動を取るのも見応えがありました。
親玉に正体をバラすシーンでは、影を使って髭を表現するという乙な演出を披露。
監督のカルヴィン・ジャクソン・パジェットのジェンマに対する愛が感じられるようでした。
彼らはのちのち『さいはての用心棒』で再びタッグを組みます。
そんな背景も本作でのジュリアーノ・ジェンマの魅力が発揮させられたからだと言えるのでしょう。

作品に見る南北戦争後の南軍の生き様

南軍への名誉

この作品、冒頭は捕虜にされていた南軍が解放され、その健闘に対する褒賞として銃が渡されるシーンから始まります。
ただ、ここからしていろいろと扱いがひどい。
健闘をたたえてと言いながらも、渡されるのは銃身が極端に短く切り落とされた銃。
それは作中の表現からもわかるように、てんで使い物にならないものでした。
そこから見えてくるのは、北軍は南軍の健闘を称える気なんてまずなく、リンカーン大統領が言ったから従ったに過ぎないということでしょう。
それはこの冒頭以降の南軍の扱いを見ていっても分かることとなっていきます。

南軍が目指すのは西部

ゲイリーと弟のフィルは、北軍から釈放された後、西部を目指します。
ここからも南軍兵士たちの肩身の狭さを感じさせました。
で、その理由は見ていても分かりますが、南軍に対する当たりが強いため。
開拓されて間もない西部であっても仕事がないばかりか南軍というだけで皆が冷たい対応をしていました。
そんな人々の猜疑心を利用したのが悪党マッコリーの存在でした。

制服を着れば南軍

この作品の悪党マッコリーは、他のマカロニ・ウエスタンとは異なり戦闘についてはからっきしです。
変わりに非常にズル賢い。
目障りになったゲイリーの弟フィル(ブラック・アイ)を略奪者といって殺そうとしていたり、ゲイリーを使い捨てにもします。
しかし中でも狡猾なのが、部下に南軍の制服を着させて襲撃を行っていることです。
これにより罪を南軍に擦り付けていました。
とはいえ、恐ろしいのが制服を着てさえいれば世の人々はそれを南軍だと思ってしまうこと。
「勝てば官軍負ければ賊軍」という諺が頭を過る展開でした。(もともと北軍、南軍どちらが支持されていたのかが分かりませんが……)

真のむごさは降伏してから

この作品で最も印象深いセリフが「戦争の真のむごさは降伏してから始まる」というものでした。
これ、本作のドラマ部を象徴するかのようなセリフですが言ったのは名も知らぬおじさんです。
偶然、南部からイエローストーンに到着したというだけで倒れたゲイリーとフィルの処理を任された可哀想なおじさん。
しかし、ゲイリーの命を救うという点では、タイトルの『1ドル銀貨』と同じくらい重要な役割でもあります。
(見る限り)その後登場すらしませんが、超重要なキャラクターだと思います。

南軍の誇り

作中、基本的に一匹狼でやりたいようにやるゲイリーですが、唯一味方になるのが敵の一味にいた元南軍の青年です。
この青年は、敵一味にマークされているゲイリーに変わり、命を狙われている男を救うという行動を起こします。
その理由は、ゲイリーが南軍の誇りを説いたからでした。
敗戦をしても理不尽な扱いを受けても決して腐らず、越えるべきでない一線を画す。
そんなゲイリーの生き様は誇り高さを感じさせました。

【ネタバレあり・レビュー】映画『ゲーム・ナイト』に見る、ブラック・コメディの難しさ!

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ブラック・コメディとは、悪趣味で「なんじゃそりゃ」という思わず笑ってしまうあり得ない展開を楽しむものです。(個人的な感想で)
とはいえそれは強すぎればドン引きに、弱ければそもそもコメディとして成り立たないものとなってしまいます。
今回はそんなブラック・コメディの難しさを『ゲーム・ナイト』という作品を通して見ていきます。


作品概要

原題:Game Night
製作年:2018年(日本未公開)

監督:ジョン・フランシス・デイリー、ジョナサン・ゴールドスタイン
脚本:マーク・ペレス
主演:ジェイソン・ベイトマンレイチェル・マクアダムス


ストーリー

ゲーム愛好家であるマックスとアニーの夫婦は、夜な夜な友達を呼んではゲームに興じる日々を送っていた。
ある夜、マックスの兄ブルックスに誘われた二人は友人たちと彼が主催するゲームに参加する。
そのゲームとは、これから誘拐されるゲームナイトに参加したメンバーを探すというものであった。
ブルックスの宣言通り誘拐犯が現れ、彼は誘拐される。
ゲームに興じるマックスたちであったが、やがてその誘拐が本物であったことに気づく。


感想

ブラック・コメディの特性を生かした、お約束の展開ありきで進むテンポの良いストーリーが楽しい作品でした。
一番の魅力であったのがキャスト陣。
ジェイソン・ベイトマンレイチェル・マクアダムス(おそらく知名度は彼女が一番高いハズ)を中心に、「本人らは真面目だけれど端から見たらバカバカしい」という面白さを俳優たちの力により引き出していたと思います。
他のキャストもいい味を出しており、マックスとアニー以外、活躍するシーンがほとんどないのにしっかりと記憶に残りました。

ストーリーについてですが、上にも書いた通りテンポよく進みます。
そのため二転三転するストーリーながらも非常に分かり易い。
ただ、簡単に消化できるからと色々と詰め込み過ぎていた感もあり、どの要素も淡泊になっていた気がしたのが少々残念でした。

ブラック・コメディの難しさ

ブラック・コメディとしての掴みを作る

おそらくブラック・コメディというジャンルにおいて最も重要となるのが掴みです。
もし、ここでつまずいてしまうと、ジャンルを知らずに見た人は「これなんの映画だ」となってしまい、ジョークを取り入れても?状態に陥りますからね。
その観点で見ると本作はつまずいていたように思えます。
謎の隣人ゲイリーの存在であったり、ブルックスが提案する"誘拐ゲーム"など、普通にシリアス調な印象を受けたからです。
というか、コメディ要素が出てくるのはマックスとアニーがブルックスの誘拐が実はゲームでないと判明した頃から。時間にして既に30分くらい経過していたかと思います。
で、その原因は

ブラック・コメディはどこまで派手にするべきか

この作品で一番ネックとなっていたであろう要素がここです。
確かにシリアスの中にコメディ調を入れるというブラック・コメディを展開はしていました。
けれど、そのどれも中途半端なのです。
例えば、拳銃で誤射されるシーンではリアクションもせず普通に痛がったり、敵を倒そうと動かしたベルトコンベアがゆっくり過ぎてまったく意味がなかったりと、なんだか笑うタイミングもない地味なシーンばかり記憶に残っています。
思いっきり悪趣味な要素を入れたりせず手堅く作っている感じがしたのでブラック・コメディというよりは、シリアスに少しユーモアを加えた程度に収まっていたように思えます。

監督のやりたいことだけだとコメディにならない?

コメディ要素なのかは不明ですが、本作やたらと他の映画を引き合いに出していました。
「96時間」や「シックスセンス」、「ファイトクラブ」、「ジャンゴ 繋がれざる者」などです。
で、それらの作品のパロディも入れているのですが、これが笑えるかといったら……特に笑えません。
作品を知っていれば「そんなシーンもあったなぁ」とは思えるのですが、果たしてこのリアクションが正しいのかどうか……
なんにしても、監督(あるいは脚本家?)がコミカルな要素として入れたかったのかもしれませんね。

【ネタバレなし・映画紹介】ショウ・ボート(1951)

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昔から多くの人に愛され慣れ親しまれてきた作品というのは、何度も映画化されたりするものです。
今回紹介する『ショウ・ボート』もその内のひとつ。
1926年にエドナ・ファーバーが発表した小説がミュージカル化され、さらには3度に渡り映画化された一作です。
今作は、1929年、1936年を経て製作された1951年の作品です。


作品概要

原題:Show Boat
製作年:1951年(日本公開:1952年)

監督:ジョージ・シドニー
脚本:ジョン・リー・メイヒン
主演:キャスリン・グレイソンエヴァ・ガードナー、ハワード・キール


ストーリー

ミシシッピ川を行く興行船コットンブロッソム号。
その船長であるアンディの娘マグノリアキャスリン・グレイソン)は、賭博師のゲイロード(ハワード・キール)と出会い恋に落ちる。
ある夜、ショーの花形であるジュリー(エヴァ・ガードナー)が「母親が黒人である」という理由だけで船を降りざるを得ないこととなってしまう。
その欠員を埋めるため、アンディ船長は、芸達者でもあったゲイロードをショーの一員として招き入れる。

カラーがもたらす喜びと残酷さ

今作、3度目の映画化における最大の利点がおそらくカラーであることでしょう。
色とりどりな衣装を着たショーの役者たちによるミュージカルシーン、光の当たり具合を駆使してより美しく見せたロマンスシーンなど、カラーで見る喜びを感じられるシーンが多いのですね。
ミシシッピー川をコットンブロッソム号が航行する雄大な映像もカラーであることでひと際その力強さを感じさせていたと思います。

なによりカラーであることで意味を持っているように思えるのが人種差別についてです。
この作品では、白人と黒人の差別について踏み込んだ描写をしています。
その人種の違いというのをカラーによって、より直接的に感じられてしまうようになっていたと思います。一方で、見た目が白人であるにも関わらず「母親が黒人だから」という理由で差別を受ける様子を描いていたりと、その不条理をより強く意識させるのもカラー映画ならでは。
カラーが導入されたことによって、明るいシーンはより楽しめるように、社会問題を取り扱ったシーンはより痛烈でメッセージ性の強いものになっていたと言えるでしょう。
そうしたカラー映画化の利点を余すことなく生かした内容には目を見張るものがあるかと思います。


圧巻のミュージカルシーン

本作の面白さを語る上で外すことができない要素がミュージカルシーンです。
明るく希望に満ちた曲から、捨てきれない愛をしっとりと歌い上げた曲まで、バリエーション豊富。
そこへ、上の方でも書いた、カラー映像の美が生きる撮影手法がとられていることから、見ていて幸福感に満たされます。
また、それを歌い上げるキャスト陣の歌唱力も非常に高い。登場人物が自身の思いを歌い上げた歌詞の奥深さも合わさり、臨場感は凄まじいものでした。
「オールマンリバー」の歌曲は、その最たるシーンでもある
目で見入って、耳で聞き入る幸せな空間を作り上げているミュージカルシーンは、きっと多くの人を虜にすると思います。


一途な思いを描いた王道ラブロマンス

ミュージカルシーンと同じくらい、色濃く描かれているのがラブロマンスです。
むしろ、ミュージカルシーンのほとんどが「愛」をテーマにしているので、ラブロマンスの方がメインかもしれません。
ともあれ、作中ではコットンブロッソム号の箱入り娘マグノリアが、運命の男性と出会ってからの波乱万丈な一途の愛を見せてくれます。
その健気さは、王道的な内容ながらも、ミュージカルの助けもあり心に浸透しやすいです。
また、彼女を支える周りの人々の愛も大切な要素となっており、それがもたらすラストシーンはとても感動的なものとなっています。
メインジャンルはミュージカルとラブロマンスではありますが、ヒューマンドラマと呼べるほど登場人物たちの思いを大切にしていたように感じました。
そうした好感の持てる登場人物が織りなすストーリーにもまた魅力があるのだと言えるでしょう。


見る前に知っておきたい

この作品を見る前に知っておきたいことは作品の歴史について。
原作は、1926年に発表されたエドナー・ファーバーの同名小説。
それから約1年後の1927年にはミュージカル化されました。
「黒人の血が混じっていることから結婚ができない」という差別問題を取り扱っていたのは、当時それが普通として見られていた(実際に法律で禁止されていた)だけになかなかの衝撃を与えたのだとか。
アメリカに根付く人種問題に触れた初めてのミュージカルであったことから、ミュージカル史のみならず、歴史的に有名な作品となったのも納得です。
このミュージカルは527回、24年にも及ぶロングラン公演を行うほどのヒットを飛ばすこととなり、原作だけでなくミュージカルとしても成功を収めることに。

それを受けて、製作されたのが映画版。1929年にこれが実現されますが、当初はトーキーが始まったばかり(世界初のトーキー映画と言われる『ジャズ・シンガー』が公開されたのが1927年10月)ということもあって、一部トーキーで他はサイレントという状態でした。
そのため、当然のことながらミュージカルでもなく、メインとなったのはドラマ要素です。

次に映画化されたのが、1936年版。
トーキーがすっかり主流になっていることから、ミュージカルを本格的に取り込んでいます。ただし、時代が時代だけにモノクロ。
ミュージカルの初演に出演していたオリジナルキャスト、チャールズ・ウィニンジャー(アンディ船長役)、ポール・ロブスン(ジョー役)、ヘレン・モーガン(ジュリー役)をキャスティングしていることからも話題を呼びました。
それだけに、3度の映画の内でも最もミュージカルに近い作品として高く評価されてもいます。
また、1936年版で配給を務めたユニバーサル・ピクチャーズは、社長であったカール・レムリ・Jrの意向で多額の費用を投入。会社が傾くレベルの危機に陥ったのだとか。
この作品が成功を遂げたことで、なんとか持ち直したらしいです。(レムリ家はユニバーサルから追放されました)

そうして今回紹介した1951年版に辿り着きます。
上にも書いたように、カラーが使えるようになったことから「テクニカラー万歳」といわんばかりの華やかさを演出していました。
そんな本作、ジュリー役の選定にかなり困窮したそう。
まず、第一候補となったのは『オズの魔法使』でも有名なジュディ・ガーランドを起用しようとしました。けれど、配給会社であるメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)との契約が切れたこともあり断念。
次に挙がったのが、ジャズシンガー兼俳優でもあるレナ・ホーン。
しかし、彼女はアフリカ系アメリカ人女性。「アフリカ系女性と白人男性の恋愛を映画で見せるな」という風潮が当時は存在したことから選定から外されることに。
そうして選ばれたのが、エヴァ・ガードナーでした。
結果として、ガードナーの演技は多くない出演時間の中でも最も記憶に残るものとなり、その知名度を飛躍的に上げることとなりました。
とはいえ、レナ・ホーンが映画のジュリーと同じような扱いを受けて役を得られなかったことを思うと手放しに喜べないのが悲しい話です。

人種差別問題とは切っても切れない縁のあるこの作品。
その理不尽さを歌った作中の歌曲「オールマンリバー」(Ol' Man River)は、作品を象徴するものと言えるでしょう。
この曲を初め、多くの歌曲を残したジェローム・カーン(作曲)、オスカー・ハマースタイン2世(作詞)の偉大さを噛みしめつつ見たい作品ですね。

【ネタバレなし・映画紹介】黄昏のチャイナタウン

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16年という年月はかなりの期間です。
少年少女は大人に、中年は初老に変わります。
街もその姿を変え、あったハズのものが無くなったり長いこと訪れていなかった地が思い出の場所に変わっていたりするものです。
そんな16年の年月を感じさせる作品が、今回紹介する『黄昏のチャイナタウン』です。
1974年に公開された『チャイナタウン』から実に16年の期間を経ての続編となります。


作品概要


原題:The Two Jakes
製作年:1990年(日本公開:1991年)

監督:ジャック・ニコルソン
脚本:ロバート・タウン
主演:ジャック・ニコルソンハーヴェイ・カイテル


ストーリー

1948年、ロサンゼルスで探偵業を営むジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)は、建設会社の経営者ジェイク・バーマン(ハーヴェイ・カイテル)からの依頼で、妻キティの浮気現場を押さえる。
しかし、バーマンが銃でキティの浮気相手を殺してしまう。
拳銃の出どころなどからバーマンは不起訴処分となる。
しかし、殺された浮気相手のボディーンがバーマンと共同経営者であったことから警察は殺人が計画的であったのではないかと疑い始めた。
裁判の証拠品となる録音テープの提出を求められたギテスであったが、そのテープには彼の過去の事件に関わったある人物の名前が挙がっていた。


オススメポイント

年を重ねさらに魅力を増したジャック・ニコルソン

この作品、主演はジャック・ニコルソンが続投したことから、シリーズを通して見た人はジェイク・ギテスという男を再び見ることとなります。
スーツ姿にオールバック、サングラスに中折れ帽と、彼を象徴するかのようなファッションは、1作目からの期間を空ければ空ける程、懐かしさを感じるかもしれません。
しかし、目に見えて変わったと思えるのがジャック・ニコルソンのふけ具合。
16年の期間もあって、明らかに皺が増えていますし、心なしか髪も薄くなった感じがします。
過去へ思いを巡らせるモノローグもあり、彼の姿から哀愁を感じさせられるかもしれません。
一方、変わっていないのが性格。
聞き込みの相手にズバズバと切り込んでいったり、刑事相手にもケンカ腰の皮肉を言いまくったりするシニカルな性格は、ジェイク・ギテスらしさを感じさせます。
感情を荒げるシーンもありますが、そうした姿を見て感じられるのがギテスの処世術。
ロサンゼルスで探偵業をやっていく内、人に舐められず、精神的にも潰れないためには、彼のようなシニカルさ、図太さが必要なのでしょう。
そうしたギテスの年期を感じさせるニコルソンの演技が、この作品を見る上での見逃せないポイントのひとつだと思います。


黄昏を意識した美しくも儚い映像美

前作よりも色濃く感じられるのが、哀愁やノスタルジーといった感覚でしょう。
それはストーリーや俳優の演技などからも感じられるのですが、一番はやはり映像でしょう。
ギテスがロサンゼルスの町をレトロな車に乗り、あちらこちらへと移動する光景はどこか昔懐かしさが感じられます。
中でも夕暮れ時のロサンゼルスは、作品のハイライトとなるくらいの美しさと儚さをまとった映像美となっていました。
また、作中ギテスはある重要な場所に再び訪れることとなります。
その僅かに残った景観は、前作を見た人ならギテスと同じように過去の出来事を思い出すハズ。
映像美から感じられるノスタルジーは、そのままギテスに対する感情移入につながっており、作品には外せない大切な要素だと言えるでしょう。


新たな事件と過去の清算

本作の脚本は前作同様に、ロバート・タウンが担当。
そのため、事件自体は今作から始まるのですが、物語の核となる登場人物の関係性は1作目を見ていないと分からないかと思います。
そんな新規にあまり優しくない内容ではありますが、逆に1作目を見ていると凄く楽しめます。
ギテスの抱える後悔とそこからくる義務感、街の変化、今回起きた事件との相関関係など、それらが全て必然的な出来事として受け入れることができるからです。
そしてそのカギを握っているのが、今作から登場するハーヴェイ・カイテル演じるジェイク・バーマン。
善人なのか悪人なのか、掴みどころのない人物である彼の行動の意味が全て分かった時のスッキリさは、そのまま脚本の素晴らしさを表していると言えます。
新たな登場人物による新たな事件を描きながらもギテスの過去を清算させる巧みさは、1作目を見た人なら誰しも引き込まれること間違いなしでしょう。


見る前に知っておきたいポイント

この作品を見る前に知っておきたいのは監督について。
前作をロマン・ポランスキーが担当したのに対して、今作では主演のジャック・ニコルソン自らが担当をしています。
おそらくそこにはポランスキーが、ある事をきっかけにアメリカに入国しなくなったことが原因ではないかと考えられます。(「ある事」については『チャイナタウン』の記事で書かせてもらいました)
とはいえ、俳優としてのイメージが強いニコルソン。
監督経験はそれまで皆無というわけではありませんでしたが、1963年の『古城の亡霊』(一部のみでクレジットなし)、1971年の『Drive, He Said』(ニコルソンの監督デビュー作であるものの、日本で見ることは現状不可能)、1978年の『ゴーイング・サウス』の3作品(実質2作)しか手掛けていませんでした。

それだけでも本作に対する並々ならぬ思いを寄せているのが分かりますが、本作を最後に彼は現在に至るまで監督を手掛けていません。どういった意図なのかは本人のみぞ知る問題。けれど『チャイナタウン』のジェイク・ギテスというキャラクターに対して特別な思い入れがあったことは確かだと思います。

ジャック・ニコルソンは引退宣言こそしていないものの、2010年の『幸せの始まりは』以降、映画に出演すらしていません。
そんな彼が監督として、俳優として心血を注いだ一作は、ぜひ多くの人に見てもらいたいですね。

ここからは余談となりますが、2019年11月に『チャイナタウン』をNetflixでドラマシリーズ化するという話題が出ていました。
監督がデヴィッド・フィンチャーということもあって期待していたのですが、これまで一切音沙汰なし。(主演も未定のまま)
ぜひとも実現してほしいプロジェクトなのですが、果たして陽の目を見ることはあるのでしょうか……

【ネタバレなし・映画紹介】チャイナタウン | ジャック・ニコルソン×フィルム・ノワール!

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チャイナタウンといえばその名の通り、外国へ移住してきた中国人たちが居住する区域のことを指します。
アメリカのみならず、日本でも「中華街」としてチャイナタウンは国に一種の文化として根付いていると言えるでしょう。
今回はそれをタイトルに冠した作品『チャイナタウン』を紹介していきます。


作品概要


原題:Chinatown
製作年:1974年(日本公開:1975年)

監督:ロマン・ポランスキー
脚本:ロバート・タウン
主演:ジャック・ニコルソンフェイ・ダナウェイ


ストーリー

ロサンゼルスで探偵業を営むジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)は、モーレイ夫人から夫であり市の水道局幹部のホリスの浮気調査を依頼される。
ギテスはホリスが会っていた女性を突き止めたものの、その内容をマスコミに知られホリスの情事として新聞に大々的に取り上げられてしまう。
そこへモーレイ夫人が現れるが、彼女はギテスに依頼してきた人物とは別人であった。依頼主であったモーレイ夫人が偽物であった。
さらにホリスが溺死体として発見され、ギテスは謎を追い始める。


オススメポイント

渋くて熱いジャック・ニコルソンの魅力

ジャック・ニコルソン出世作といえば『イージー・ライダー』(1969)です。
それから5年、最も脂の乗っている時期に彼が出演したのがこの作品でした。
スーツと中折れ帽をトレードマークに、浮気調査の対象であった男の不審死を探るため、ロサンゼルスを駆けずり回る姿は印象的かと思います。
とはいえ、その風貌は善人というより悪人に近いです。捜査の途中で顔にケガを負ったことからそのイメージはますます高まることに。
見た目がマフィアのようなニコルソンが殺人事件を追っているという構図は、なかなかのインパクトを残すことでしょう。

そんな悪党っぽさは、彼が演じるギテスにも表れています。
プライバシーの侵害や盗み、暴力沙汰に身分詐称まで「捕まらなければOK」とでも言わんばかりの暴走っぷりは型破り。
そんな枠にはまらない奇抜な探偵に命を吹き込んでいる、ジャック・ニコルソンの熱演は一見の価値ありです。

抗いがたい魅力を放つロサンゼルス/フィルム・ノワール

フィルム・ノワールとは、アメリカ社会の殺伐とした特色をシニカル(皮肉屋)な主人公を通して描く犯罪映画のことを指します。
この作品は、まさにそのイメージにピッタリ。
シニカルな主人公ギテスを中心に、ロサンゼルスを舞台とした犯罪模様が描かれるわけですからね。
ただし、それだけに止まらないのが本作の良さ。
フィルム・ノワールが確立された1940、50年代の白黒映画が持つ、影を使った独特な表現をカラーで見事に再現。
撮影手法や間の取り方なども完璧で、本作ならではの作風を作り上げています。
フィルム・ノワールのなん足るかを知り尽くしたロマン・ポランスキーが見せる、ロサンゼルスを舞台としたフィルム・ノワールはハマる人には堪らない雰囲気となるでしょう。

予想のつかない事件展開

本作、演出のみならずストーリーの重厚さも目を見張るものがあります。
脚本を務めたのはロバート・タウン
前年1973年の『さらば冬のかもめ』で大きく飛躍し、のちには『ザ・ファーム 法律事務所』や『ミッション:インポッシブル』でも脚本を務めるようになる、才能豊かな人物です。
本作ではロサンゼルスの各地(時には高級住宅街、時には海岸線、時にはギテスの事務所など)を舞台に、登場人物の性格や過去、思惑などが複雑に絡み合った一種小説のような面白さを見せていました。
セリフ回しも印象に残るものが多く、それが作品に重大な意味を持たせることに気づかされた時には鳥肌モノです。
チャイナタウンが舞台でもないのに、タイトルを『チャイナタウン』としている理由を含め、よく出来た骨太なストーリーは、演出ともマッチして素晴らしいものとなっていました。


見る前に知っておきたいポイント

この作品、上でも少し触れていますが監督はロマン・ポランスキーです。
彼の人生を語る上で欠かすことの出来ない存在が、シャロン・テートでしょう。
彼らは1968年に結婚したものの、翌年の69年にチャールズ・マンソンによりテートが殺されたことから死別してしまいます。
そんな傷の癒えていない1974年に制作されたのが本作でした。

その中でも、見た人の心に大きな印象を与えるのがおそらくラストシーンでしょう。
脚本家のロバート・タウンと衝突しながらもポランスキーが押し切る形で実現したこのシーンは、件のシャロン・テート事件を踏まえると考えさせられるものがあります。

作品は、アカデミー賞で作品賞、監督賞他、11部門でノミネートされるほどの高評価を受けました。(ゴールデングローブ賞では監督賞を受賞)
しかし、ポランスキー自身は本作の3年後の1977年、児童に対する性的行為の疑いで逮捕されたことをきっかけにアメリカを捨てることに。
彼はそれ以来、アメリカの地に足を踏み入れていません。(『戦場のピアニスト』でアカデミー賞を受賞したにも関わらず欠席したのは有名な話)
ハリウッドで制作した最後の作品となった本作は、ポランスキー監督にとっても大きな転機となった作品です。
それを踏まえて見ると、より名作感が増すのではないかと思います。

【ネタバレあり・レビュー】夜の訪問者 | 南フランスで魅力が光る!チャールズ・ブロンソン×テレンス・ヤング第一弾!

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ストーリー

フランス南部の港町で、観光客にフェリーを貸し出すジョーは、妻と義娘と平穏な暮らしを送っていた。
ある夜、ジョーたちの暮らす家にジョーの刑務所仲間ロスの部下が現れる。
ロスは、過去に脱獄計画をジョーの裏切りにより失敗したことから恨みを持っていたのだ。
ロスの部下を殺したジョーであったが、間もなくロスたちが現れ妻子が人質に取られてしまう。
ジョーはロスの計画するアヘン密輸入を手伝うこととなるが、逆襲の機会をうかがっていた。

感想

主演チャールズ・ブロンソン、監督テレンス・ヤングといえば、翌年の『レッド・サン』(1971)やさらにその翌年の『バラキ』(1972)でもタッグを組みます。
そんな二人の出会いとも言えるのがこの作品。
見ていて思いましたが、非常にブロンソンの扱いが上手だったと思います。
現在は家族を愛する大黒柱として優雅な生活を送っている主人公ジョーが、実は数年前に刑務所にいたという過去を持っていたというキャラクター性は、ブロンソンのイメージにピッタリです。
決して派手なアクションは見せないものの、巧みにその場の状況や武器を駆使して敵を倒すのも彼らしい。
なによりコッコイイのが、ハードボイルドな立ち振る舞い。
敵に銃を向けられようが、警察から追われようが、冷静沈着に対処してしまうハードボイルドさは、渋カッコイイブロンソンの魅力を最大限に引き出していたといたと言えるでしょう。

そんな本作でブロンソン演じるジョーは、3人の男に妻子を人質に取られた状況からの逆転を強いられます。
このシチュエーションは、アクション映画でもありがち。「一体この状況からどうやって逆転するんだ?」というワクワク感を煽るのは面白いと思います。
ただ、その状況が最期まで続くとさすがに胸やけ感がありました。
ようやく助かったかと思ったら敵に銃を向けられて……という展開が2,3回繰り返されるとさすがにハラハラよりももどかしさの方が上回ってしまいます。
最後の逆転のシーンも、敵の隙を突いてでしたし、最後まで人質という枷がある状況というのは少し苦しかったように思いましたね。

本作において、ひそかに楽しかったのが、南フランスの様々なロケーションでした。
まず、港町ではクルージングやパリ祭で人が賑わう様子が見られます。
山岳地帯では、ジョーの妻ファビエンヌとその娘が逃走劇が繰り広げられたり、ジョーが警察とのカーチェイスをしたりと、その地形を生かした展開を見せていました。
街中でも同じくカーチェイスを展開していたのが印象的。
このように、なにかとシチュエーションが生きていたのは面白かったですね。
また、序盤の方でファビエンヌが家の中でロスの部下と遭遇するまでのシーンは、テレンス・ヤング監督が過去に監督した作品『暗くなるまで待って』を連想させました。
ロケーションを生かすのが上手い監督の手腕を垣間見た気がしました。


チャールズ・ブロンソンといえばハリウッド俳優です。
けれど、本作ではフランスで大暴れを見せていました。
ラストシーンでは、フランス共和国の成立を祝う日のパリ祭にも参加していました。
2年前の1968年の作品『さらば友よ』で始まったフランス版ブロンソンの歴史を根付かせることとなった作品だと言えるでしょう。