スキマ時間 DE 映画レビュー

【レビュー・考察】ビッグ・リトル・ファーム(ネタバレあり)

興味はあっても意外と手が出しにくいのが農業です。

私も興味はありますが、日々の世話や場所を取ることなどを考えるとなかなか手が出せません。

そんな農業に本気で挑んだ人が自ら監督、脚本、制作、撮影まで行ったドキュメンタリーが今回レビューする『ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方』です。


f:id:sparetime-moviereview:20200619052153j:image

 

【感想】自然が土地を作り出す、美しき自然のサイクル

本作は、夫ジョンと妻モリーのチェスター夫妻が10年に渡り築き上げてきた農場の姿を追ったドキュメンタリーでした。

いくつもの成功や失敗、別れといったエピソードをから語られる農場完成までの物語はとても見応えがありました。

 

まず印象的だったのが、夫妻が選んだ土地です。

犬が吠えても迷惑にならない土地を探し始めたことをきっかけに、モリーの夢であった農場を作る決意をするのですが、そこは死んだ土地でした。

草木が生えず、動物や虫さえも寄り付かないその地を農場にするというのは絶望的なように見えました。

しかし、夫妻はアラン・ヨークというアドバイザーと手を組み、土地を再生することに。

水を引き、肥料を育て、動植物を仕入れていくことで、1から土地を作っていく様子は見ていてワクワクさせられる光景でした。

土地を開拓するというのは、ある意味クリエイティブな仕事なのだと思わされましたね。

 

そうして、死んだ土地に息を吹き込んだ夫妻でしたが、それからの日々でも苦労続きであったのが印象的です。

例えば、家畜がコヨーテに襲われたり、虫に草木を枯らされたり、鳥に果樹をダメにされたり、といったことです。

この対策が実に独特。

コヨーテを番犬によって追い払わせて、別の問題を引き起こしていた掘りネズミを駆除させたり、自然に戻ってきた鷹を果樹に群がる鳥避けとしていました。(鷹は偶然でしたが)

本来なら農薬や銃による殺処分で対応する所を自然のサイクルに当てはめて対処をする夫妻の考え方は面白かったです。

 

こうした、自然のサイクルにアプローチした考えはアラン・ヨークの教えがあったからこそでした。

彼は夫婦に再三(作中のシーンだけでも)、自然のサイクルを守ることを提唱していました。

また、草木の配置が円形になるよう、見映えに対してのアドバイスを送るなどもしており、ユーモラスで人当たりのよい性格であることが見て取れました。

残念なことに、彼は癌によって命を落としてしまいますが、夫婦が全面的な信頼と尊敬の念を抱いていたことは作中の描写からも間違いなかったでしょう。

このように、彼らは二人だけで農場を作り上げた訳ではありませんでした。

農場を作るための資金援助をしてくれた親族、伝統的農法を理解し手伝ってくれる人々、夫妻にヒントを与えてくれる犬のトッドなど、多くの支えがあってこそ実現をしていました。

本作は、彼らに対する感謝の意も込められていたのでしょう。

 

自然を復活させ、サイクルを作り上げる神秘性を見事に表現していた本作。

本来なら気持ち悪く感じてしまう虫やミミズですらそのサイクルで生きる美しさを感じさせる映像美には感動させられました。

農業に興味があってもなくても、自然の美しさは変わらず楽しめる作品でした。

 

【調査】「ビッグ・リトル・ファーム」はどこにある?

本作はドキュメンタリーということもあって、当然ながら「ビッグ・リトル・ファーム」こと「アプリコット・レーン・ファーム」(Apricot Lane Farms)は実在しています。

場所は、アメリカのカリフォルニア州ムーアパークの214エーカー(東京ドームはおよそ11.5エーカー)を占めています。

ロサンゼルスから北へ40マイル(約64キロメートル)行った位置になります。(下記の画像の位置)

見て分かるようにアメリカの西海岸南部に位置しています。

この場所は基本的に一年を通して温暖で雨が少なくい地域です。

乾燥地帯も多いため農業に向かない地であることは、本作冒頭での死んだ地を見ても明らかでした。

アプリコット・レーン・ファーム」には、地下水があったことでそれが活用されてもいました。(豪雨が地下に流れ込むという思わぬ助けもありました)

作中にもあったように、今ではツアーとしても訪れることができるようです。(HPに予約フォームがあります)

アラン・ヨークのこだわった見た目も美しい農場は、今やアメリカの宝と言えるでしょう。



f:id:sparetime-moviereview:20200619052208j:plain

「10700 Broadway Rd, Moorpark, CA 93021」 に位置しています。(位置情報はGoogleMapから参照)

 

【考察】 "多様性"がもたらす意味

作中、何度も言われていたのが生物の"多様性"でした。
例え害獣であろうとも必要な役割を担っており、殺すよりも自然のサイクルに組み込むのもこの"多様性"の一種でした。
そんな"多様性"の中でも印象的であったのが、鶏グリーシーと豚エマとの関係でした。
つまはじき者であったグリーシーが、エマとは気が合うという種族間を超えた関係は、美しさすら感じられました。
終盤には、群れから逸れた山羊が牛との交流を見せていたりと「これぞ"多様性"」という映像が多かったです。
それらがもたらす意味は何だったのでしょうか?
確かに「ありのままの動物たちの姿を映し出す」というのはあるでしょう。
犬のカヤがグリーシーを殺してしまうのを見せていたのもその「ありのまま」を見せていたからです。
ただ、本作における"多様性"がもたらしていた意味は、人間にも同じことが言えるからなのではないでしょうか。
人間が"多様性"を受け入れられない時、そこに差別が生まれてしまいます。
それは見た目が変だとか、変わったことをするからといった偏見からでしょう。
その辺りは動物も同じで、グリーシーがつまはじきにされていたことを見ても明らかでした。
しかし、彼にエマがいたように"多様性"を受け入れることは、味方が現れることにもつながります。
偏見を捨て、"多様性"を受け入れる事。それがもたらすよりよい環境こそ、今の人間社会に必要です。
そうした私たちへのメッセージも含め、"多様性"の重要さを本作はテーマとしていたのかもしれませんね。