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【レビュー】インセプション(ネタバレあり)

人は眠ることで夢を見ます。
それは保存された記憶を整理するためだと言われています。
では、もしそこへ他人の考えが植え付けられたとしたら……
そんな途方もない考えにとりつかれた作品が、今回レビューする『インセプション』です。

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ストーリー

寝ている相手の夢から情報を抜き出す"エクストラクト"を仕事としているコブは、相棒であるアーサーと共に日本の大企業を収めるサイトーから情報を抜き取ろうとしていた。
しかし、サイトーはコブたちの"エクストラクト"を予期しており、計画は失敗に終わる。
依頼主であるコボル社からの追手を撒くためにコブたちは海外へ逃走を図るが、そこに現れたのはサイトーであった。
彼は、とある理由から国に帰ることの出来ないコブに帰国を条件に仕事を依頼する。 それは、ライバル企業であるフィッシャー社を潰すために"インセプション"を行うことであった。

 

感想

ダークナイト』(2008)、『ダークナイト ライジング』(2012)の間に公開された本作。(2010年公開)
原作のある上記2作とは異なり、オリジナルな設定であることが特徴です。
そのため、設定の説明は必須。どのようにそれを行うかが面白さにもつながるポイントとなっていました。
で、実際どうしたかというと初っ端から夢の中、しかも二階層で見せてきました。 本来なら時間を掛けてじっくり説明したいであろう設定を、いきなり緊迫感のある展開で理解させようとする大胆さには驚かされました。
しかし、説明のセリフを少なくし、映像メインで表現する手法は実にノーラン監督らしいです。
後々判明する、夢の世界では現実世界よりも時間の経過が遅いというのを表現していたりするのも巧みな演出。
スタイリッシュに、でも伝わってきやすい表現手法は、導入としてはノーラン監督作でもトップクラスの出来となっていました。

そんな導入からほぼノンストップに話が展開していくのが本作の面白い点でもあります。
「設計士」や「偽造士」、「調合士」といった仲間の招集から、ターゲットとするロバート・フィッシャーの身辺周りの調査といった下準備が着実に完了していく流れは、『オーシャンズ』シリーズのようなクライム映画特有のワクワクを感じさせてくれました。
さらに飽きさせないのが、アリアドネへの夢の設計のレクチャーがあること。
物理法則を無視してなんでも出来ることを表現した壮大なシーンは、設定を説明するのと同時に世界観へ一気に引き込む本作のハイライト的なシーンとなっていました。

そうした準備を通してストーリーは、本題でもある"インセプション"の実行へとつながっていきます。
これがなんともトラブルだらけ。
コブの深層心理にある問題が邪魔をしまくったり、ロバートが夢を守るための訓練を受けていて思わぬ反撃を受けたり、サイトーが負傷して虚無に落ちかけたりとてんやわんや。
それをアドリブで乗り切っていく緊張感が楽しかったです。
また、階層ごとにロケーションを変えられるというのは、アクションにバリエーションを持たせられていて魅力的でした。
1階層ではカーチェイス、2階層では室内での戦闘、3階層では雪山でのゲリラ戦といった感じで、戦闘シーンにメリハリがついていたわけです。
上の階層で起きたことが下の階層に影響する(1階層で車が横転すると2階層で部屋が360度回転するといった感じに)、本作ならではの想像力を掻き立てられるアクションなんかもあって、夢の世界という設定を余すことなく生かしていたと思います。



そうした熱い展開が多い本作ですが、作中で紐解かれていくのはコブの過去についてでした。
冒頭から現れる謎の女性モルとの関係を回想を交えつつ、小出しにしていく展開はノーラン監督らしいアプローチです。
初めは、意思を持った人間かと思いきや、死んでいることが明らかになり、コブが容疑者であることが分かり、それが"インセプション"につながっているという、常に新事実を出すことで興味を引きつつ、本作の核へ引っ張り込んでいく構成は自然。
コブがモルの死を受け入れ、深層心理で作り上げていた幻影を乗り越えていく成長模様は分かりやすく感動的で、昔の作品と比べると、いい意味で万人向けの作品になっていたと思います。(個人的に「夢の中で一緒に年を取れた」というやり取りはグッときました)

そんな万人向けに作られた作品のため、大きな話題を呼んでいたのがラストシーンでした。
帰宅したコブがトーテムを回して結末を迎えるラストなのですが、コマが回り続けているカットでエンドクレジットに入ることもあって「実はまだ夢なのではないか」という疑問が挙がることとなっていました。
しかし、これ私としては初見時から現実であるという意見をずっと持ち続けています。
その理由として、夢の中なら実現可能であろうことが起きていないからです。
これは作中でもコブがモルに言及しており、それに対してモルが「それは貴方(コブ)が夢の中と信じていないから」と返していました。 ただ、それを考えるとラストシーンに登場するコブの子供たちの説明がつかなくなってしまうんですね。 それまで、コブは夢の世界に入った際に幾度か子供たちの幻影を見ていました。(冒頭の砂浜とかホテル内の廊下などで) それほどまでに子供たちと再会する事を望んでいましたが、現実(モルが言うにはまだ夢の世界)では、一度もその幻影を見ていませんでした。 それがラストシーンだけに限って、夢の中と信じていないのに子供たちの幻影が再現されることはあり得ません。 では、逆にラストシーンがコブ自ら夢の世界へ入ったシーンであるかと言ったらそれもあり得ません。 その理由は、その直前にコブはモルとの決別を明確にしているからです。 モルの幻影にすがるのを止めたコブが、子供たちの幻影にすがるなんてことはあり得ないですからね。 ラストシーンではコブが指輪を外していることからも、決別を受け入れていることは明確ですし、それでいて子供たちだけは幻影なんて都合のいいことはないでしょう。

あくまでこれらは作中の手掛かりから考えた個人的な意見であって、確定事項ではありません。
しかし否定的に見ようとすると、それまでのコブの成長や仲間との関係、伏線を全部覆すような見方をしなくてはなりません。
「絶対にあり得ない」とは言えませんが、そもそもノーラン監督は一見いろいろな解釈のできるラストシーンであっても、複数回見ることで根拠のあるラストシーンとなるように作品を作っています。
それが、本作だけに限って伏線も何もかも捨てたラストにすることはないと言えるでしょう。
とはいえ、これらの議論があるからこそ、何度もこの作品を見直す醍醐味があるわけですし、そうして見るとノーラン監督の思惑にまんまと掛かっているのかもしれませんね。



こうした、観客を引き込むような作りとなっていたのもノーランクオリティだったと思います。
アリアドネの訓練シーンでコブが見せる市街地爆破のシーンやアーサーのやるペンローズの階段なんて、完全に観客を意識した映像の見せ方でした。
そうした、意識があるためか都合よくストーリーが展開する気がしなくもありませんでした。(例えば上の階層の様子を完全に把握しているような行動をしていたり)
とはいえ、そのテンポの良さこそが面白さにつながっているのも事実。
ツッコミどころを補って余りある面白には満足するしかありませんでした。



夢の世界を舞台に、見たことのない映像と世界観を体感させてくれた本作。
常に新たな作品作りに挑むクリストファー・ノーラン監督の良さが存分に発揮されていた作品でした。