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【レビュー】透明人間(1992)(ネタバレあり)

透明人間を題材にした映画は昔から数多く作られてきました。

その理由は、透明人間を表現する映像技術の進歩があったり、その製作陣によって描きたい物語が異なって来るからでしょう。

今回レビューする『透明人間(1992)』は、多くのカルト映画を生み出してきたジョン・カーペンターズが監督を務めた作品になっています。



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ストーリー

ビジネスマンであるニック・ハロウェイは、ある日研究所へ講演会を聞きに行く。

彼は二日酔いのため休んでいると、研究所で事故が起き、放射線を浴びてしまう。

その影響により彼は透明人間と化した。

そこへ現れたCIAのジェンキンスはニックの存在を知ると、彼をスパイとして利用するべく追跡を始める。

感想

いつも奇抜なアイデアで見るものを楽しませてくれるジョン・カーペンター監督。

しかし、本作に関しては結構手堅く作っていたなという印象が残りました。

事故によって透明人間と化してしまったニックの苦悩や、それを追うCIAからの逃避行、透明人間であるニックを愛してくれる女性アリスとのラブストーリなど、万人受けしそうな内容で構成されていたんですね。

透明人間の表現も布で体を覆わせたり、粉で輪郭を見せたり、水で濡れさせたり、メイクさせたりと、透明人間映画ではよく見るような表現が多く見受けられました。

とはいえ、この作品は1992年に作られたもの。

それを考えると当時は斬新な表現方法であったのかもしれません。

少なくとも、ニックが透明人間となる事故が起きたビルが、一部分だけ透明になっている映像は今見ても驚きがありましたね。







ユニークに感じられた点を挙げるとすれば、ニックの着用していたスーツも彼の体と同様に透明となっていた事でしょう。

これによって、透明人間映画でネックとなる「シリアスな空気だけれど本人は素っ裸」問題が上手く解消されているんですね。(やむを得ず素っ裸になるシーンは何度かありますが)

本人からもスーツは見えていないため、一度脱いだがためにどこにあるのか分からなくなるというコミカルなシーンなんかもあってなかなか楽しめました。

追跡者ジェンキンスとの決着も、この透明なスーツが役に立っており、しっかりと設定を回収していたのも良かったです。

余談ではありますが、ジェンキンスを演じたサム・ニールは『ジュラシック・パーク』シリーズ(旧三部作)でのグラント博士役のイメージが強いため、エゴで動き執拗にニックを追い詰める悪役然としたジェンキンス役は結構インパクトのある役どころであったと思います。



もう一点、ユニークに感じられたのが視点によって、ニックの姿が見えたり見えなかったりしたことです。

で、これには条件があって、姿が見える時は鑑賞者側の視点……俗に言う神の視点の時にニックの姿が見えるようになっていました。



ただ、この表現方法には利点と欠点、どちらもあったと思います。

まず、利点はニックに感情移入がしやすいです。

彼の苦悩を言動を通して描き、ミステリアスに包み隠すことなく明かしていることによって、人間性を見ることが出来ましたからね。

そこは、ニックを演じたのがコメディアンでもあったチェビー・チェイスであったのが機能していたのかもしれません。持ち前の表現力を使い、人間味あふれる性格を出していました。



欠点はといえば、今しがた挙げたミステリアスさが薄いということにあります。

昔から透明人間といえば、もとは人間とはいえ正体が分からず、考えていることも分からない、一種の怪物じみた存在として描かれてきました。

それが本作では人間味溢れる男が透明人間となっているのですから、イメージとは若干異なる感じがしたんですね。

その性格がストーリーにも影響を与えており、ジェンキンスからの執拗な追跡も基本的に逃げるという選択しかない起伏の少ないものにもなっていました。

また、ニックが透明人間になったことで苦労をするシーンがありましたが、神の視点からしたらニックの姿は見えているわけで……

そうした苦労が伝わりにくくなってしまっていたのは、あえてニックの姿を見えるようにした欠点であったと言えるのかもしれませんね。







こうした、さまざまな表現方法がなされている本作ですが、一番良かったのはオリジナル版(1933年)へのオマージュであったと思います。

顔を包帯で巻きゴーグルを付けるという明らかに狙っているとしか思えないオマージュシーンは、オリジナル版の内容を知っている身としてはテンション上がりましたね。

また、それを逆手に取ってジェンキンスを出し抜くという味なマネを見せており、オマージュとしては完璧な対応を見せていました。

いいところはそのままに、面白くできる所にはアイデアを詰め込んでいく姿勢は素晴らしかったと思います。







(今の時代からしたら)王道的な透明人間映画として手堅くまとまっていた本作。

とはいえ、CGや演出などにより、映画として楽しめるように工夫を凝らしてあったのは良かったと思います。

「見えない人間をどのようにして観客に体感させるのか」

そのための製作陣の努力は時代が変わっても変わらないもののように感じられました。







ここからは、完全に作品の内容とは関係のない余談となりますが、ちょっと気になったので書かせてもらいます。

今回、私はこの作品をAmazonプライムビデオにて視聴をしました。

そこで、あらすじには下記のように書かれているんですね。



"ジョン・カーペンター監督によるSFコメディ。ハイテク機械の爆発に巻き込まれた為、透明人間になってしまった男が巻き込まれる騒動を、コメディ俳優のチェビー・チェイスがコミカルに演じる。"



SFコメディ……?

たしかにコミカルな要素があるにはありましたが、基本的にはSFサスペンスだったと思います。

タイトルも邦題である『透明人間』ではなく原題の『Memoirs of an Invisible Man』になっていますし、なかなかのエキセントリックさ。(検索で「透明人間」と入れても引っ掛かりません)

安定した面白さの作品ですが、扱いはあまりよくないという、なんだかモヤモヤしたという話でした。