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【レビュー】アンダー・ザ・シャドウ 影の魔物(ネタバレあり)

人は不安や恐怖を感じるとありもしないものを見たりします。
例えば窓際で揺れるカーテンが人に見えたり、僅かな物音に何かしらの存在を察知したりするようなものです。
ではもし、そうした感情が極限状態に達する戦場であったらどうなるのか?
その考えを形にしたのが今回レビューする『アンダー・ザ・シャドウ 影の魔物』です。



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ストーリー

1988年、イラク・イラン戦争下の首都テヘラン

そこに夫と娘と共に暮らすシデーは、大学への復学を希望していたが過去に極左団体へ所属していたことからそれを断られる。

不安定な精神状態の中、夫も従軍医師として戦場に赴くこととなり、シデーは娘ドルサと二人きりとなった。

言うことを聞かないドルサに苛立ちを覚えつつもシデーは日々を送る。

しかしそんな頃、彼女らが住むアパートに不発弾が着弾する。

その日から彼女らは家の中に"何か"が存在していることに気づく。

感想

予告編を見て戦地イラン×ホラーということで興味を引かれた本作。

想像よりもホラーホラーとしていなくて、むしろ戦争映画としての要素の方が印象的ですらありました。

それもそのハズで、本作テーマでもあるのが恐怖と不安。つまり、いかにして戦争要素でシデーやドルサの感情を揺さぶるかにありました。

そのため、常に起こり得る爆撃の恐怖であったり、娘であるドルサを育てる大変さであったりがセンシティブに描かれていたのが印象的。

安全な街に逃げたいけれど、娘が人形をなくして言うことを聞いてくれず、なあなあで戦場と化していく街に居座り続ける形になっていく戦争と子育てを関連付けているのはなかなか面白かったです。



で、すべての発端となるのがシデーらが住むアパートに着弾した不発弾でした。

「この街が戦場になるハズなんてない」とタカを括って、不仲である義母の家に避難するのを拒否していたシデーが「さすがにこれはヤバい」と現実的に考え出すのがなんだか人間味を感じさせていました。

戦火は近づいてきているのに娘がぐずって逃げられない。その現実にイライラを募らせて、娘に当たり散らしたらさらに娘がぐずってしまうという負の連鎖もある意味リアル。

見ていてモヤモヤさせられますが、焦燥感に駆られ、恐怖に怯える情緒不安定な人間が取る行動としては、もっともな行動であったように思えました。







そんな本作ですが、恐怖の対象となるのが邪悪な神ジンと呼ばれる存在でした。

イランで女性が肌を隠すのに使うチャドルをすっぽりと被った、デフォルトの幽霊のような見た目はシンプルながらも異質。

人がその場から逃げられないように大切な物を隠すという、実害がないだけにそこまで怖い存在には思えないやつですが、精神的にジワジワと削っていく陰湿さはいやらしいです。

面白いのが、このジンは本当に実在しているのか分からないということ。

普通のホラー映画とかだとモブキャラ……本作でいうならシデーらが住むアパートの近所の住民らが犠牲者となったりするものです。

けれど、本作はそんなことはなく、ジンの存在こそ信じているもののその姿は見たことがない人しかいませんでした。

しかも、その人たちはだんだんと話が進むに連れて避難のためにアパートを出て行ってしまいます。ある意味、斬新な退場の仕方。

そのため、ジンはシデーとドルサの二人しか見ていないんですね。(近所の男の子が存在を認識している雰囲気はありましたが)



さらに存在を怪しくするのがシデーの夢遊病です。

この設定、早々に明かされていながらも特に使われていません。(夢の中で歩いているシーンはありますが、目覚めても歩いたりはしていませんでした)

これがもし、ドルサの人形を隠したりしたことに対する答えなのだとすれば、そもそもジンなんて存在はいない可能性すらあります。



作中、シデーしか知り得ない情報(鍵の隠し場所など)をドルサがあたかもジーンから聞いたかのように振る舞うシーンもありましたが、基本的にドルサは一緒に行動しているシーンが多く「たまたま見ていた」と考えると理屈としては通ってしまいます。

真実は制作陣のみぞ知る事実なのでしょうが、そうした「いるか、いないか」を考えながら見るのもなかなか楽しいものかわありました。







戦争とホラーを掛け合わせていた本作。

怖いかはさておき、戦争への恐怖が邪悪な神すらももたらしたかもしれないという、一風変わった内容は新鮮でした。

こうした常に斬新なものが生み出されてくるからホラー映画はやめられませんね。