【レビュー】ゼロの未来(ネタバレあり)
テリー・ギリアム監督といえば『未来世紀ブラジル』や『12モンキーズ』など難解なSFを作る人として有名です。(SFでなくても難解なことが多いですが)
そんなギリアム監督が複雑奇怪な数学の0の謎に挑んだ近未来SFが、今回レビューする『ゼロの未来』です。
ストーリー
近未来。大企業マンコム社で働くコーエンは、日々エンティティを計算し、その結果をコンピューターに送るという生活を送っていた。
しかし彼はある電話を待ち望んでおり、そのためには常に在宅しておく必要があると考えていた。
そのため、在宅勤務を上司に進言していたが、なかなか受け入れられなかった。
ようやく在宅勤務が許されるが、その仕事とは「すべてが0に帰ること」を証明するゼロの定理を解くことであった。
感想
「0を証明する」というなんとも不毛な命題の証明がテーマとなっている本作。文系の私としては「0は0なのだから0」という結果ありきの浅い答えしか出てきません。
とはいえ、理系なら理解できるかと言ったらそうでもないかと思います。
なぜなら「0はこうした理由から0だよ」という説明をそらで言える人なんてそうそういないと思いますし、仮に言えたとしても本作ではそれがすべてではなかったからです。
主人公コーエンの心理状況や人間関係、思想もろもろが絡み合って「0の証明」と結びついているのですから、そこには読解力なんかも必要になってきます。
そんなわけで、テリー・ギリアム監督の頭の中でも覗けない限りは作品の意図を完全に理解するというのは難しいものだと思えました。
少なくとも1度見ただけで完全に理解するのは困難でしょう。
しかし、まったく掴みどころがない作品かといったらそうでもなく、興味を引くのが巧いのがさすが映画慣れした監督だと思いました。
例えば、本作最大の謎である0の証明。
これをもし、コーエンが数式をつらつら書き続けるだけであったのなら大変退屈したことでしょう。
それをゲーム機的なものでピコピコさせることによって近未来感を演出。何をやっているかは分からないものの、興味を惹きます。
また、組み立てたブロックがはまる、あるいは崩れるといった成功失敗は明確に表現されているというのも良かったですね。
テリー・ギリアム監督味あふれる世界観も独特で興味を惹きました。
あらゆる広告があらゆる場所から出ていたり、変な形の車が大量に流れていたりと、ごちゃついた世界観はまさに近未来。
ユートピアと呼ぶには程遠い世界観ではあるのですが、なぜか行ってみたい好奇心に駆られる魅力がありました。
個人的に一番惹かれたのはコーエンがボブと一緒に行く公園。やたらだだっ広い公園にアートオブジェよろしく大量の禁止看板が立てられた異質な空間は印象に残りまくる風景でした。(なにもかもを拒絶するコーエンの状況と一致しているのも含めて印象的な光景でした)
そしてその世界観に生きる登場人物たちも個性的。
コーエンを"クイン"と呼び、やたら親しく近づいてくる上司ジョビー。
セクシーだけれど軽くない魅惑の女性ベインズリー。
ド派手な服を着た超上から目線のマネージメント。
その息子にして天才的な頭脳を持ちながらも自由奔放な少年ボブ。
彼に付き従う、見た目マフィアな男二人。
などなど、一度見たら忘れないようなキャラクターは、それだけでも楽しむことができます。
で、もっとも個性が強いのが当然ながらコーエン自身でした。
一人称が「我ら」であり、あらゆるものに興味を示さず、自分を救う電話が掛かってくることを妄信しているハゲ頭のおっさんというのはなんともインパクトがありました。
そこへクリストフ・ヴァルツの演技力が合わさるのですから、キャラクターの強さではいう事なしです。
そんなコーエンの運命を左右するのが本作最大の見どころであったと思います。
あくまで個人的な見解なのですが、本作はコーエンが0に立ち返り1から人生を始める物語だと感じました。
その考えに至ったのは、彼が自分の人生を全て変えてくれると妄信していた電話にあります。
あの電話は、作中ボブが言ったことを信じるなら本当には掛かってきていないもの……すなわちコーエン自身の幻聴であったことが確定されていました。
そうなると、その電話を作り出したのはコーエン自身。つまり彼は、人生に変化を望んでいると言えます。(自分の人生を変えてくれる電話が再度掛かってくるのを待っている時点で望んでいるとも言えます)
その変えたい人生とは、会社の犬として何も考えずに働き続ける人生でしょう。
そんなコーエンは、さまざまな人と接し、ゼロの定理を追うことで自らの意志を見出し始めます。
ベインズリーから愛を思い出し、ボブから自由を思い出す、といった感じです。
しかし、コーエンはベインズリーを拒絶し、ボブからは引き離され、再び孤独な人生に戻ってしまいます。
その理不尽さに抗う様子を見せていたのが、終盤に彼の精神世界(ボブが作ったスーツによって自らの魂と向き合う機械)に現れたマンコム社の機械でした。
そのマンコム社の機械を破壊すること=マンコム社への従属の拒否と考えていいでしょう。
それを終えたコーエンは、自らがイメージしていたブラックホールに身を投げ、光を放ちます。これが0に帰り再び1から始めることなのでしょう。(光を放つ=ビッグバンを表現しているようでしたし)
ラストシーンでは、浜辺に立つコーエンの姿が描かれていました。
夕日をボールのように弄ぶ様子をを見てもそこが仮想空間であることは分かります。
とはいえ、ベインズリーと浜辺にいた際に彼が創造した世界が無に近いブラックホールであったことを考えるとかなり前向きになっていたと言えるでしょう。
と、考察じみたことを書いてみたわけですが、果たしてこれがあっているかは分かりません。
しかし、少なくともラストシーンのコーエンの笑顔を見る限り、彼自身の抱えていた問題は解消され、前向きになったことは確かだと言えます。
もし、二度目に見ることがあれば違う解釈をするかもしれませんが、とりあえずその時の見直しにもなるため、備忘録の意味も込めて書いてみました。
いつものテリー・ギリアム監督らしく難解であった本作。
けれど、ユニークな世界観やユニークな俳優による演技などは見ごたえがあって、分からない部分を補えるほどの面白さがありました。
こんな小難しい未来は勘弁と思う反面、なんだか魅力的に思える世界観はさすがテリー・ギリアム監督でしたね。