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【ネタバレなし・映画紹介】ショウ・ボート(1951)

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昔から多くの人に愛され慣れ親しまれてきた作品というのは、何度も映画化されたりするものです。
今回紹介する『ショウ・ボート』もその内のひとつ。
1926年にエドナ・ファーバーが発表した小説がミュージカル化され、さらには3度に渡り映画化された一作です。
今作は、1929年、1936年を経て製作された1951年の作品です。


作品概要


原題:Show Boat
製作年:1951年(日本公開:1952年)

監督:ジョージ・シドニー
脚本:ジョン・リー・メイヒン
主演:キャスリン・グレイソンエヴァ・ガードナー、ハワード・キール


ストーリー

ミシシッピ川を行く興行船コットンブロッソム号。
その船長であるアンディの娘マグノリアキャスリン・グレイソン)は、賭博師のゲイロード(ハワード・キール)と出会い恋に落ちる。
ある夜、ショーの花形であるジュリー(エヴァ・ガードナー)が「母親が黒人である」という理由だけで船を降りざるを得ないこととなってしまう。
その欠員を埋めるため、アンディ船長は、芸達者でもあったゲイロードをショーの一員として招き入れる。

カラーがもたらす喜びと残酷さ

今作、3度目の映画化における最大の利点がおそらくカラーであることでしょう。
色とりどりな衣装を着たショーの役者たちによるミュージカルシーン、光の当たり具合を駆使してより美しく見せたロマンスシーンなど、カラーで見る喜びを感じられるシーンが多いのですね。
ミシシッピー川をコットンブロッソム号が航行する雄大な映像もカラーであることでひと際その力強さを感じさせていたと思います。

なによりカラーであることで意味を持っているように思えるのが人種差別についてです。
この作品では、白人と黒人の差別について踏み込んだ描写をしています。
その人種の違いというのをカラーによって、より直接的に感じられてしまうようになっていたと思います。一方で、見た目が白人であるにも関わらず「母親が黒人だから」という理由で差別を受ける様子を描いていたりと、その不条理をより強く意識させるのもカラー映画ならでは。
カラーが導入されたことによって、明るいシーンはより楽しめるように、社会問題を取り扱ったシーンはより痛烈でメッセージ性の強いものになっていたと言えるでしょう。
そうしたカラー映画化の利点を余すことなく生かした内容には目を見張るものがあるかと思います。


圧巻のミュージカルシーン

本作の面白さを語る上で外すことができない要素がミュージカルシーンです。
明るく希望に満ちた曲から、捨てきれない愛をしっとりと歌い上げた曲まで、バリエーション豊富。
そこへ、上の方でも書いた、カラー映像の美が生きる撮影手法がとられていることから、見ていて幸福感に満たされます。
また、それを歌い上げるキャスト陣の歌唱力も非常に高い。登場人物が自身の思いを歌い上げた歌詞の奥深さも合わさり、臨場感は凄まじいものでした。
「オールマンリバー」の歌曲は、その最たるシーンでもある
目で見入って、耳で聞き入る幸せな空間を作り上げているミュージカルシーンは、きっと多くの人を虜にすると思います。


一途な思いを描いた王道ラブロマンス

ミュージカルシーンと同じくらい、色濃く描かれているのがラブロマンスです。
むしろ、ミュージカルシーンのほとんどが「愛」をテーマにしているので、ラブロマンスの方がメインかもしれません。
ともあれ、作中ではコットンブロッソム号の箱入り娘マグノリアが、運命の男性と出会ってからの波乱万丈な一途の愛を見せてくれます。
その健気さは、王道的な内容ながらも、ミュージカルの助けもあり心に浸透しやすいです。
また、彼女を支える周りの人々の愛も大切な要素となっており、それがもたらすラストシーンはとても感動的なものとなっています。
メインジャンルはミュージカルとラブロマンスではありますが、ヒューマンドラマと呼べるほど登場人物たちの思いを大切にしていたように感じました。
そうした好感の持てる登場人物が織りなすストーリーにもまた魅力があるのだと言えるでしょう。

【ネタバレなし・映画紹介】黄昏のチャイナタウン

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16年という年月はかなりの期間です。
少年少女は大人に、中年は初老に変わります。
街もその姿を変え、あったハズのものが無くなったり長いこと訪れていなかった地が思い出の場所に変わっていたりするものです。
そんな16年の年月を感じさせる作品が、今回紹介する『黄昏のチャイナタウン』です。
1974年に公開された『チャイナタウン』から実に16年の期間を経ての続編となります。


作品概要


原題:The Two Jakes
製作年:1990年(日本公開:1991年)

監督:ジャック・ニコルソン
脚本:ロバート・タウン
主演:ジャック・ニコルソンハーヴェイ・カイテル


ストーリー

1948年、ロサンゼルスで探偵業を営むジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)は、建設会社の経営者ジェイク・バーマン(ハーヴェイ・カイテル)からの依頼で、妻キティの浮気現場を押さえる。
しかし、バーマンが銃でキティの浮気相手を殺してしまう。
拳銃の出どころなどからバーマンは不起訴処分となる。
しかし、殺された浮気相手のボディーンがバーマンと共同経営者であったことから警察は殺人が計画的であったのではないかと疑い始めた。
裁判の証拠品となる録音テープの提出を求められたギテスであったが、そのテープには彼の過去の事件に関わったある人物の名前が挙がっていた。


オススメポイント

年を重ねさらに魅力を増したジャック・ニコルソン

この作品、主演はジャック・ニコルソンが続投したことから、シリーズを通して見た人はジェイク・ギテスという男を再び見ることとなります。
スーツ姿にオールバック、サングラスに中折れ帽と、彼を象徴するかのようなファッションは、1作目からの期間を空ければ空ける程、懐かしさを感じるかもしれません。
しかし、目に見えて変わったと思えるのがジャック・ニコルソンのふけ具合。
16年の期間もあって、明らかに皺が増えていますし、心なしか髪も薄くなった感じがします。
過去へ思いを巡らせるモノローグもあり、彼の姿から哀愁を感じさせられるかもしれません。
一方、変わっていないのが性格。
聞き込みの相手にズバズバと切り込んでいったり、刑事相手にもケンカ腰の皮肉を言いまくったりするシニカルな性格は、ジェイク・ギテスらしさを感じさせます。
感情を荒げるシーンもありますが、そうした姿を見て感じられるのがギテスの処世術。
ロサンゼルスで探偵業をやっていく内、人に舐められず、精神的にも潰れないためには、彼のようなシニカルさ、図太さが必要なのでしょう。
そうしたギテスの年期を感じさせるニコルソンの演技が、この作品を見る上での見逃せないポイントのひとつだと思います。


黄昏を意識した美しくも儚い映像美

前作よりも色濃く感じられるのが、哀愁やノスタルジーといった感覚でしょう。
それはストーリーや俳優の演技などからも感じられるのですが、一番はやはり映像でしょう。
ギテスがロサンゼルスの町をレトロな車に乗り、あちらこちらへと移動する光景はどこか昔懐かしさが感じられます。
中でも夕暮れ時のロサンゼルスは、作品のハイライトとなるくらいの美しさと儚さをまとった映像美となっていました。
また、作中ギテスはある重要な場所に再び訪れることとなります。
その僅かに残った景観は、前作を見た人ならギテスと同じように過去の出来事を思い出すハズ。
映像美から感じられるノスタルジーは、そのままギテスに対する感情移入につながっており、作品には外せない大切な要素だと言えるでしょう。


新たな事件と過去の清算

本作の脚本は前作同様に、ロバート・タウンが担当。
そのため、事件自体は今作から始まるのですが、物語の核となる登場人物の関係性は1作目を見ていないと分からないかと思います。
そんな新規にあまり優しくない内容ではありますが、逆に1作目を見ていると凄く楽しめます。
ギテスの抱える後悔とそこからくる義務感、街の変化、今回起きた事件との相関関係など、それらが全て必然的な出来事として受け入れることができるからです。
そしてそのカギを握っているのが、今作から登場するハーヴェイ・カイテル演じるジェイク・バーマン。
善人なのか悪人なのか、掴みどころのない人物である彼の行動の意味が全て分かった時のスッキリさは、そのまま脚本の素晴らしさを表していると言えます。
新たな登場人物による新たな事件を描きながらもギテスの過去を清算させる巧みさは、1作目を見た人なら誰しも引き込まれること間違いなしでしょう。


見る前に知っておきたいポイント

この作品を見る前に知っておきたいのは監督について。
前作をロマン・ポランスキーが担当したのに対して、今作では主演のジャック・ニコルソン自らが担当をしています。
おそらくそこにはポランスキーが、ある事をきっかけにアメリカに入国しなくなったことが原因ではないかと考えられます。(「ある事」については『チャイナタウン』の記事で書かせてもらいました)
とはいえ、俳優としてのイメージが強いニコルソン。
監督経験はそれまで皆無というわけではありませんでしたが、1963年の『古城の亡霊』(一部のみでクレジットなし)、1971年の『Drive, He Said』(ニコルソンの監督デビュー作であるものの、日本で見ることは現状不可能)、1978年の『ゴーイング・サウス』の3作品(実質2作)しか手掛けていませんでした。

それだけでも本作に対する並々ならぬ思いを寄せているのが分かりますが、本作を最後に彼は現在に至るまで監督を手掛けていません。どういった意図なのかは本人のみぞ知る問題。けれど『チャイナタウン』のジェイク・ギテスというキャラクターに対して特別な思い入れがあったことは確かだと思います。

ジャック・ニコルソンは引退宣言こそしていないものの、2010年の『幸せの始まりは』以降、映画に出演すらしていません。
そんな彼が監督として、俳優として心血を注いだ一作は、ぜひ多くの人に見てもらいたいですね。

ここからは余談となりますが、2019年11月に『チャイナタウン』をNetflixでドラマシリーズ化するという話題が出ていました。
監督がデヴィッド・フィンチャーということもあって期待していたのですが、これまで一切音沙汰なし。(主演も未定のまま)
ぜひとも実現してほしいプロジェクトなのですが、果たして陽の目を見ることはあるのでしょうか……

【ネタバレなし・映画紹介】チャイナタウン | ジャック・ニコルソン×フィルム・ノワール!

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チャイナタウンといえばその名の通り、外国へ移住してきた中国人たちが居住する区域のことを指します。
アメリカのみならず、日本でも「中華街」としてチャイナタウンは国に一種の文化として根付いていると言えるでしょう。
今回はそれをタイトルに冠した作品『チャイナタウン』を紹介していきます。


作品概要


原題:Chinatown
製作年:1974年(日本公開:1975年)

監督:ロマン・ポランスキー
脚本:ロバート・タウン
主演:ジャック・ニコルソンフェイ・ダナウェイ


ストーリー

ロサンゼルスで探偵業を営むジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)は、モーレイ夫人から夫であり市の水道局幹部のホリスの浮気調査を依頼される。
ギテスはホリスが会っていた女性を突き止めたものの、その内容をマスコミに知られホリスの情事として新聞に大々的に取り上げられてしまう。
そこへモーレイ夫人が現れるが、彼女はギテスに依頼してきた人物とは別人であった。依頼主であったモーレイ夫人が偽物であった。
さらにホリスが溺死体として発見され、ギテスは謎を追い始める。


オススメポイント

渋くて熱いジャック・ニコルソンの魅力

ジャック・ニコルソン出世作といえば『イージー・ライダー』(1969)です。
それから5年、最も脂の乗っている時期に彼が出演したのがこの作品でした。
スーツと中折れ帽をトレードマークに、浮気調査の対象であった男の不審死を探るため、ロサンゼルスを駆けずり回る姿は印象的かと思います。
とはいえ、その風貌は善人というより悪人に近いです。捜査の途中で顔にケガを負ったことからそのイメージはますます高まることに。
見た目がマフィアのようなニコルソンが殺人事件を追っているという構図は、なかなかのインパクトを残すことでしょう。

そんな悪党っぽさは、彼が演じるギテスにも表れています。
プライバシーの侵害や盗み、暴力沙汰に身分詐称まで「捕まらなければOK」とでも言わんばかりの暴走っぷりは型破り。
そんな枠にはまらない奇抜な探偵に命を吹き込んでいる、ジャック・ニコルソンの熱演は一見の価値ありです。

抗いがたい魅力を放つロサンゼルス/フィルム・ノワール

フィルム・ノワールとは、アメリカ社会の殺伐とした特色をシニカル(皮肉屋)な主人公を通して描く犯罪映画のことを指します。
この作品は、まさにそのイメージにピッタリ。
シニカルな主人公ギテスを中心に、ロサンゼルスを舞台とした犯罪模様が描かれるわけですからね。
ただし、それだけに止まらないのが本作の良さ。
フィルム・ノワールが確立された1940、50年代の白黒映画が持つ、影を使った独特な表現をカラーで見事に再現。
撮影手法や間の取り方なども完璧で、本作ならではの作風を作り上げています。
フィルム・ノワールのなん足るかを知り尽くしたロマン・ポランスキーが見せる、ロサンゼルスを舞台としたフィルム・ノワールはハマる人には堪らない雰囲気となるでしょう。

予想のつかない事件展開

本作、演出のみならずストーリーの重厚さも目を見張るものがあります。
脚本を務めたのはロバート・タウン
前年1973年の『さらば冬のかもめ』で大きく飛躍し、のちには『ザ・ファーム 法律事務所』や『ミッション:インポッシブル』でも脚本を務めるようになる、才能豊かな人物です。
本作ではロサンゼルスの各地(時には高級住宅街、時には海岸線、時にはギテスの事務所など)を舞台に、登場人物の性格や過去、思惑などが複雑に絡み合った一種小説のような面白さを見せていました。
セリフ回しも印象に残るものが多く、それが作品に重大な意味を持たせることに気づかされた時には鳥肌モノです。
チャイナタウンが舞台でもないのに、タイトルを『チャイナタウン』としている理由を含め、よく出来た骨太なストーリーは、演出ともマッチして素晴らしいものとなっていました。


見る前に知っておきたいポイント

この作品、上でも少し触れていますが監督はロマン・ポランスキーです。
彼の人生を語る上で欠かすことの出来ない存在が、シャロン・テートでしょう。
彼らは1968年に結婚したものの、翌年の69年にチャールズ・マンソンによりテートが殺されたことから死別してしまいます。
そんな傷の癒えていない1974年に制作されたのが本作でした。

その中でも、見た人の心に大きな印象を与えるのがおそらくラストシーンでしょう。
脚本家のロバート・タウンと衝突しながらもポランスキーが押し切る形で実現したこのシーンは、件のシャロン・テート事件を踏まえると考えさせられるものがあります。

作品は、アカデミー賞で作品賞、監督賞他、11部門でノミネートされるほどの高評価を受けました。(ゴールデングローブ賞では監督賞を受賞)
しかし、ポランスキー自身は本作の3年後の1977年、児童に対する性的行為の疑いで逮捕されたことをきっかけにアメリカを捨てることに。
彼はそれ以来、アメリカの地に足を踏み入れていません。(『戦場のピアニスト』でアカデミー賞を受賞したにも関わらず欠席したのは有名な話)
ハリウッドで制作した最後の作品となった本作は、ポランスキー監督にとっても大きな転機となった作品です。
それを踏まえて見ると、より名作感が増すのではないかと思います。

【ネタバレあり・レビュー】夜の訪問者 | 南フランスで魅力が光る!チャールズ・ブロンソン×テレンス・ヤング第一弾!

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ストーリー

フランス南部の港町で、観光客にフェリーを貸し出すジョーは、妻と義娘と平穏な暮らしを送っていた。
ある夜、ジョーたちの暮らす家にジョーの刑務所仲間ロスの部下が現れる。
ロスは、過去に脱獄計画をジョーの裏切りにより失敗したことから恨みを持っていたのだ。
ロスの部下を殺したジョーであったが、間もなくロスたちが現れ妻子が人質に取られてしまう。
ジョーはロスの計画するアヘン密輸入を手伝うこととなるが、逆襲の機会をうかがっていた。

感想

主演チャールズ・ブロンソン、監督テレンス・ヤングといえば、翌年の『レッド・サン』(1971)やさらにその翌年の『バラキ』(1972)でもタッグを組みます。
そんな二人の出会いとも言えるのがこの作品。
見ていて思いましたが、非常にブロンソンの扱いが上手だったと思います。
現在は家族を愛する大黒柱として優雅な生活を送っている主人公ジョーが、実は数年前に刑務所にいたという過去を持っていたというキャラクター性は、ブロンソンのイメージにピッタリです。
決して派手なアクションは見せないものの、巧みにその場の状況や武器を駆使して敵を倒すのも彼らしい。
なによりコッコイイのが、ハードボイルドな立ち振る舞い。
敵に銃を向けられようが、警察から追われようが、冷静沈着に対処してしまうハードボイルドさは、渋カッコイイブロンソンの魅力を最大限に引き出していたといたと言えるでしょう。

そんな本作でブロンソン演じるジョーは、3人の男に妻子を人質に取られた状況からの逆転を強いられます。
このシチュエーションは、アクション映画でもありがち。「一体この状況からどうやって逆転するんだ?」というワクワク感を煽るのは面白いと思います。
ただ、その状況が最期まで続くとさすがに胸やけ感がありました。
ようやく助かったかと思ったら敵に銃を向けられて……という展開が2,3回繰り返されるとさすがにハラハラよりももどかしさの方が上回ってしまいます。
最後の逆転のシーンも、敵の隙を突いてでしたし、最後まで人質という枷がある状況というのは少し苦しかったように思いましたね。

本作において、ひそかに楽しかったのが、南フランスの様々なロケーションでした。
まず、港町ではクルージングやパリ祭で人が賑わう様子が見られます。
山岳地帯では、ジョーの妻ファビエンヌとその娘が逃走劇が繰り広げられたり、ジョーが警察とのカーチェイスをしたりと、その地形を生かした展開を見せていました。
街中でも同じくカーチェイスを展開していたのが印象的。
このように、なにかとシチュエーションが生きていたのは面白かったですね。
また、序盤の方でファビエンヌが家の中でロスの部下と遭遇するまでのシーンは、テレンス・ヤング監督が過去に監督した作品『暗くなるまで待って』を連想させました。
ロケーションを生かすのが上手い監督の手腕を垣間見た気がしました。


チャールズ・ブロンソンといえばハリウッド俳優です。
けれど、本作ではフランスで大暴れを見せていました。
ラストシーンでは、フランス共和国の成立を祝う日のパリ祭にも参加していました。
2年前の1968年の作品『さらば友よ』で始まったフランス版ブロンソンの歴史を根付かせることとなった作品だと言えるでしょう。

【ネタバレあり・レビュー】ある日どこかで

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ストーリー

1972年、大学生であるリチャードは老婆から時計を渡される。
それから8年後、劇作家となった彼は1枚の写真の女性に惹かれる。
それは1911年の女優エリーズであった。
彼女に逢いたい一心でリチャードはある教授が提唱していたタイムスリップを実行に移す。

感想

SF映画というのは、良い作品であればあるほどコアなファンが付きやすい傾向にあります。
本作もその例に漏れず、良質な作品でした。コアなファンが付くのも納得です。
ただ、本作がその他の名作SFと異なるとすれば、あくまでメインテーマはロマンスであることでしょう。
あくまで本作のSF要素―――タイムスリップは時代を超えたロマンスを成立させるための手段でしかありませんからね。


まずはタイムスリップについて、書いていきます。
本作、個人的にはこのタイムスリップの方法が非常に独特であったと思います。
自分の身の回りの物を全て昔の物(行きたい時代の物)で固めて、自身に暗示をかける、なんてこれまで見た事がありませんでしたからね。
とはいえ、妙な説得力があったのも事実。「目が覚めたらいつの間にかタイムスリップしていた」なんてご都合主義な展開よりもずっと引き込まれる設定であったと思います。

この設定がラストにしっかりと生かされるのも素晴らしかったです。
現代のコインを持っていた事から一気に元の時代へと引き戻される展開は、伏線もあったことから予想できたことではありましたが、それでも衝撃を受けました。

このタイムスリップ要素で最も凄かったのが、フィルムの使い分けをしていた事です。
現在の部分をコダック、過去の部分を富士フイルムで使い分けていたとのこと。
私は作品を見る前にこの情報を知ったのですが、「どうせ素人目で見て分かるハズがない」と思っていました。
しかし、実際見てみると結構違う!
特に感じられたのが色合いで、現在よりも過去の方が僅かに色が薄めで優しい感じがしました。
なんだか過去の方は本当に夢の中にいるような雰囲気が出ていて作品にピッタリ。まさに演出の妙でした。
SF要素をただストーリーに組み込むだけでなく、ロマンスの演出にも生かしたセンスには感服しました。


そうしたSF要素がより輝くのがロマンスの美しさと儚さがあったからでした。
1911年という日本人視点から見ても古臭さを感じる文化を背景に、「夢と愛どちらを取るのか」という普遍的なラブロマンスを見せるのは王道的と言えます。
それを演じる二人も素敵でした。
当時、『スーパーマン』で人気を挙げていたクリストファー・リーヴのガタイがいいのに爽やかな紳士的ルックス。ジェーン・シーモアの夢を追いながらも、リチャードに惹かれていき動揺する姿。
初々しくも情熱的な二人の恋路は、見ているだけでももどかしくなるような甘い時間でした。
クリストファー・プラマー演じるロビンソンもまた、いいアクセントになっていました。
二人の恋路を邪魔をするも、逆により熱く燃え上がる着火剤としての役割、それでいてエリーズの将来を誰よりも案じている人間らしさも持っていて、どこか嫌いになれない人物でした。
エリーズの未来を予言し、実際にその通りになっているというミステリアスさも持っており、リチャードがタイムスリップを実現させたことも踏まえるとなかなか考察の余地がある人物のようにも思えました。

そしてロマンス要素で最も切なかったのが、突然二人は別れることとなり、エリーズが死ぬまでリチャードを思い続けていた事でした。
それを冒頭のシーン(リチャードが大学生時代)で既に明らかにしているのですから、ニクい演出です。
私はこのシーン見たさに冒頭だけもう一度見ましたが、意味が分かると凄く感動的。二度、三度と見たくなる伏線が最初から詰め込まれていたんですね。
この作品がいかに、細部にまでこだわっているのかが分かるようでした。


SFとロマンスを上手く融合させていた本作。
ストーリーの奥深さを演出の丁寧さによって、より楽しめるものとしていました。
多くのファンに長く愛されているのも納得の作品でした。

【ネタバレあり・レビュー】ミツバチのささやき

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ストーリー

1940年のスペイン。
内戦直後の村で暮らす少女アナは、姉イサベルと映画館で『フランケンシュタイン』を鑑賞した。
そこで怪物の存在を知ったアナは、イサベルから怪物が実在していると聞かされる。
それを聞いたアナは、精霊の存在を探し始める。

感想

難解映画として名高く、興味本位で見た作品。
うん、難しいです。
なんとなく、言わんとすることは分かるのですが、ちょいちょい「このシーンなんのために入れたんだ?」と思うシーンがチラホラ。
で、その難しくなっている原因はひとえに、映像でしか説明をする気がないからでしょう。
極端にセリフが少なく、登場人物(あるいは俳優)の動きや表情で全てを成立させようとしているんですよね。
そのため、少しでも制作側と見ている側との歯車が噛み合わないとどんどんズレていく感じがしました。

そんな手探りの中、読み取れたのが一家の次女アナの自我の芽生えでした。
この作品、冒頭で説明されるように時代は1940年代の前半。そして、一見平和そうに見えても内戦により町の外から出られないのが実情でした。
そのため、アナの父親や母親はかなり辛そう。
父親はミツバチの研究に日々を費やし、机の上でぶっ倒れるように寝ています。
母親も日々届くか分からない手紙(宛先が明示されないのですが、文章の感じからして息子?)を出してはそれが功を奏していない現実に打ちひしがれていました。

そんな環境下ではあるものの、アナは姉のイサベルと仲良くノビノビ育っています。序盤までは。
途中から、二人の個としての違いが明らかになってきて、イサベルの行き過ぎた行動にアナがドン引きするかのようなシーンが何度かありました。
イサベルがそうした思春期特有の過度な悪戯癖が見え出す一方、アナは純粋無垢さを保っていました。
しかし、その中にも少しずつ変化が。そのキーパーソン(?)となるのが、フランケンシュタインの怪物でした。
映画冒頭に、1931年版の『フランケンシュタイン』の冒頭が意味ありげに長々と流されることからも、並々ならぬこだわりを感じさせていました。
で、この映画を見たアナが、怪物が少女を殺し、怪物が殺された理由をイサベルに問うのですが、彼女の答えは「怪物は精霊で実は死んでいない」というものでした。
おそらく『フランケンシュタイン』を見ていない人でも、それが適当言っていることは分かるでしょう。
しかし、アナはこれを信じて、精霊(怪物)を探すんですね。
なんという純粋無垢さか!それをいいことにアナをからかうイサベルは、まさに成長して純粋無垢さを失った生意気なガキのようでした。

しかし、偶然にも脱走兵と出会ったことからアナはそれを精霊だと信じてしまいます。
その脱走兵との絆であったり、彼の死であったりと、アナは様々な経験を積むことに。
その現実を見据えながらも、最後まで精霊に祈り続ける純粋無垢さは子供の美しい心を感じさせていました。


難しい内容ということで、鑑賞した本作。
確かに難しいのですが、子供(アナ)の視点からストーリーを追ってみると、作品の大事なポイントは抑えられたのではないかと思います。
洗練された暖かみのある映像もあり、絵画でも見ているかのような気持ちになる洗練された作品でした。