【レビュー】ナイトウォッチメン(ネタバレあり)
B級映画といえば、奇抜な設定がものを言います。
そのため、パッケージなんかに設定をでかでかと書いたりするものです。
今回レビューする『ナイトウォッチメン』では、「ゾンパイア」という造語が登場。
なにを隠そう本作ゾンビ×ヴァンパイア映画です。
というわけで、ゾンビ映画のオススメ作品として表れた本作。
半分はヴァンパイアものなのですがそんなのどうでもよくなるくらいには面白い作品でした。
たしかに、設定としてはゾンビものっぽいです。
突如起き上がってきた死体が人間を噛んだら次々に感染するんですからね。
ただ、異なるのが弱点。
ニンニクや十字架が苦手だったり、杭で心臓が突かれると死んでしまうなど、ゾンビ要素にデメリットばかりが付与されています。
で、これが面白い要素でもありました。
弱点が多い=いろいろなことができる訳ですからね。
ヴァンパイアたちのかわし方、弱点をついた攻撃に他のゾンビ映画にはない対応ができるのは本作にしかないオリジナリティがあって面白かったです。
また、一応ヴァンパイアらしく監視カメラに映らないという特徴もありましたが、本筋であるパニックには一切関係がなく、謎の設定でした。こんなことしてるからおバカ映画って言われるんですね。
そんなおバカさはキャラクターにも表れています。
ドラムスティックを武器とする新人警備員のラジーブことジャスティン。
銃を持たせたら100発0中のリーダー役ケン。
その相棒でクスリ大好きなジゲッツ。
過去に人を殺したと噂される謎の男ルカ。
紅一点でツッコミ役でもあるカレン。
この5人によるおバカなゾンビ逃走劇はユーモアに満ちていて見ごたえがありました。
さらに面白いのがゾンビの倒し方。
ジャスティンがビビりながらもカッコよくドラムスティックで倒したり、ケンが銃を外しまくったり、ジゲッツのクスリでゾンビをハイにさせたり、ルカが慣れた手つきでゾンビを殺すけど実はパン屋だったりと、とにかくアホらしいけどちゃんと生き残ってます。
おバカという点においては似た者同士なだけに、だんだんノリが合っていくのも見ていて面白かったですね。
最後までこの5人で進行し、5人ともしっかり生き残っている辺り、製作陣もキャラを大事にしていた感じがして良かったです。
そして、敵キャラもなかなか個性的。
ピエロのブリンポがそれに当たるのですが、ふざけているように見えてかなり強いです。
高速移動したり、ゾンビと化したサーカス団を集合させたりと、ゾンビの親玉感が出ていました。
普通、ゾンビ映画といったら数で攻めることが多く、こうしたリーダー的存在が現れることがないだけになかなか個性的でした。
ゾンビっぽいヴァンパイアという点がある意味生きていたと言えるのかもしれませんね。
3分の1くらいヴァンパイアのゾンビものであった本作。
ゾンビコメディなら設定とかガバガバでも面白くなる良い例となる作品でした。
【レビュー】アーロン・イン・ザ・ダーク(ネタバレあり)
ゲームを原作に映画化された作品はたくさんあります。
本来ならそのどれもが原作のリスペクトをしているものです。
しかし、そんな原作へのリスペクトがほとんどないのが今回レビューする『アーロン・イン・ザ・ダーク』です。
原作ゲームもクソゲーであれば、映画もクソでした。
同じ「クソ」と表記しましたが、原作ゲームは個人的に好きではあります。
3Dポリゴンの粗さ、もっさりとした動き、理不尽なゲームオーバー、ループするBGM、
etc...
クソゲーではあるものの、味があって数十年経っても記憶に残っています。
対して映画はというと、チープな展開、チープなアクション、3日で内容が薄れてしまうほど盛り上がりも味気もありません。
監督はウーヴェ・ボル。同じくゲームを原作にした映画『ハウス・オブ・ザ・デッド』でも駄作を作っています。
ストーリーとしては、超常現象の調査員であるエドワードが失踪した友人を探すため、過去に所属していた超常現象対策チームと謎を追う、という割とオーソドックスな内容です。
ゲームの一作目がクトゥルー神話を題材にしているため、この改変は致し方ありません。
とはいえ、ストーリーを変えたことで原作要素は微塵もなくなってしまったのも事実。
ゲームとは全く違うキャラクター、原作には無かった組織、一切原作にないイベントの数々。もはや、オリジナルでもいいのではないかと思いました。
おそらく、ゲーム原作のネームバリューで客寄せするのが目的だったのでしょうね。私もその犠牲者と言えます。
この映画のタチが悪いのはそれだけではありません。真面目に作っているのです。
「真面目ならいいじゃないか」と言われそうですが、それは違います。
古今東西、ひどすぎる映画というものはネタにされます。
『死霊の盆踊り』然り『プラン9・フロム・アウタースペース』然り。
ただし、この作品はネタにもしにくいです。真面目に作られ、ツッコミどころが少なくなっているからです。
こうして、3日で内容が薄れてしまうような作品が生まれてしまったのですからある意味不憫な作品でもあります。
他にも不満点がチラホラ。
中でもアクションの盛り上がらなさは言っておきたいです。
基本的に敵が同じ個体の怪物しかおらず、動きがいいわけでも特徴があるわけでもありません。
それが大量に出てくるだけが見せ場なのだからイマイチ盛り上がりようがなかったですね。
そんな盛り上がらない展開ばかりでナーバスになっている所にバットエンドとくるのですからスッキリしません。
本当に最後の最後まで「なんで見てしまったんだ……」という思いにさせる作品でした。
別監督による続編もありますが、この出来を考えるとなかなか手を出しづらいです。
また、忘れた頃に見ようかな…
原作ゲーム『アローン・イン・ザ・ダーク』は3Dポリゴンゲームの先駆けと言われています。
『バイオハザード』もこのシステムをパクったのではないかという話はゲーム業界では有名です。
どちらの作品もゲームから映画化という功績を残しましたが、その差は歴然。知名度も『バイオハザード』の方が上となりました。(『バイオハザード』が日本のゲームだからというだけではないでしょう)
タイトル通り、今作は「闇の中」へ取り残されてしまったと言えるのかもしれませんね。
【レビュー】グッド・ボーイズ(ネタバレあり)
子供の頃というのは、なにもかも刺激的に感じられるものです。
楽しいことがあれば感情を爆発させて大はしゃぎし、悪いことがあればこの世の終わりのように落ち込む……
そんな無邪気さは子供の特権とさえ言えるでしょう。
今回レビューする『グッド・ボーイズ』は、そんな子供時代の素晴らしさを描いた笑えて泣ける、ちょっと下品な作品です。
ストーリー
12歳の小学6年生のマックスはルーカスとソーの3人は「ビーンバック・ボーイズ」というグループを作っていた。
そんな3人はある日、パーティでキスゲームが行われることを聞き、いいところを見せるために、よりよいキスの仕方を知ろうとする。
彼らはマックスの父親が所有するドローンを使った盗撮で、キスの仕方を学ぼうとするがドローンを壊してしまう。
父親を怒らせたらパーティに出席できないことを恐れたマックスらは、ドローン破損を隠ぺいするため動き始める。
感想
本作はアメリカ本国で2019年8月16日に公開されています。
で、たまたまその週の興行収入ランキングで1位を取っていたのを見たのがこの作品を知ったきっかけでした。
そんなわけで、かれこれおよそ1年経ってようやく見れるという期待の下、鑑賞。
その感想はというと、最高でした。
なぜあまり話題となっていないのか、上映館が少ないのか、上映まで1年も待たせたのか、理解不能なくらい面白かったです。
とまあ、問題提起をしてはみましたが理由はだいたい分かっています。
下品さありきのコメディだからでしょう。
私は事前に知っていたため、お〇ぱい、オナニ〇といったアウト用語が出てきても、大人のおもちゃを使った小ネタを挟んできても「アホだなぁ」と笑って見ることが出来ていました。
しかし、知らない人からしたら「子供になんつー下品なことさせているんだ!」と、怒り心頭になるかもしれません。(私の席の2つ後ろで1人で見に来ていた女性客がどのように捉えたのか聞いてみたかったですが、不審者にはなりたくないので自重しました)
こうして考えると、住み分けという意味でも猛烈にプッシュされなかったのは良かったのかもしれません。
もし、下手に話題となって、どこかの団体から「下ネタ映画を輸入するな!」なんてなったら悲劇ですからね。
そんな下ネタ満載な本作ではありますが、どこが良かったのかというと主人公たちと観客との関係でした。
本作は小学6年生のマックス、ルーカス、ソーの三人グループ「ビーンバック・ボーイズ」がメインキャラです。
3人共年相応な問題児で、悩みを抱えるごく一般的な小学6年生。
それだけに、作中巻き起こる大冒険はとても壮大で刺激的だったことが分かります。
そうした彼らの刺激を観客へ伝える手法が素晴らしかったです。
具体的にどのように伝えていたかというと、やり過ぎなくらいの過剰な演出によってでした。
本作、おそらく多くの人が気づいたように、あらゆるシーンで演出が過剰です。
「壊したドローンを買いに行く」と決めただけでもまるで一大決心かのように見せていますし、大人であればちょっとしたトラブルでも絶望的な状況のように見せていました。
それらを通して、私たちもまた彼ら三人の見ている世界観に立つことが出来たわけです。
視覚的、聴覚的にも楽しめる演出はまさに映画館だからこそ楽しめる要素。満足度の高さはこうした所から生まれていたのだと思いますね。
本作の面白さは、メイン三人のキャラクターにもありました。
ちびっ子爽やか系で恋には奥手なマックス、圧倒的な歌唱力を持ちながらも自身の夢を追うことが出来ないソー、なんでも正直に話してしまう両親の離婚問題に悩むルーカス。
この濃いメンツによる掛け合いは、先にも挙げた下ネタ満載なユーモアの効いたものもたくさんあって面白かったです。
背伸びをしたいお年頃で、見栄を張ってみたり、わざと大人ぶったキザな態度を取ったりと「何やってんの!」とツッコみたくなる言動をするのが微笑ましくもありました。
最終的に、彼ら「ビーンバック・ボーイズ」は疎遠になってしまいますが、三人そろえばバカをやる姿を見てなんだか一安心。気づけば彼らのことを好きになっている自分がいました。
コメディに魅力的なキャラは付き物ですからね。そういう意味では本作のキャラクターは十分すぎるほど魅力的だったと言えるでしょう。
三人の子供がバカをやって大人になっていく姿を描いていた本作。
どんなことにも全力でぶつかっていくエネルギッシュさは懐かしくもあり、羨ましくもありました。
そんなノスタルジーに浸る間も与えないほど下ネタをぶっこんでくるのですから油断できない作品でした。
【レビュー】宇宙戦争(ネタバレあり)
スティーヴン・スピルバーグ監督といえば、おそらく誰もが知っている映画監督でしょう。
そんな彼の経歴を語る上で外せない作品はいくつもあります。
今回レビューする『宇宙戦争』もまたその内の1作だと言えます。
ストーリー
妻と離婚したレイは妻が実家へ行く間、一時的に長男ロビーと長女レイチェルを預かることとなる。
しかし、突如襲来した宇宙人によって彼らは命懸けの逃走を余儀なくされるのであった。
感想
名作も数多くあるスピルバーグ監督作の中でも駄作という意見が多い本作。
しかし、個人的には冒頭でも書いたように、スピルバーグ史を語る上では欠かせない存在だと思います。
というのも、スピルバーグ監督はそれまで(2005年まで)宇宙人が登場するSF作『未知との遭遇』(1977)、『E.T.』(1982)では友好的な宇宙人しか描いていませんでした。
しかし、本作はガッツリ敵対関係。
序盤で「なんだこいつら、敵か?味方か?」と思わせるだけ。
その後にはただただ不条理な殺りくが待っていました。
この、敵か味方か分からない状況下での街の人々の反応もなかなか見もの。
コンクリートの道路に穴を開けた、明らかにヤベーやつがいるにも関わらず、我先にと様子を伺いにいくのは人間の好奇心をうまく表していました。
こうした、未知の存在への好奇心の描き方は、それまで宇宙人SF映画を手掛けてきたスピルバーグだからこそ出来る展開であったと思います。
そうした展開は、レイたちが逃げる先々でも見られました。
パニックに陥り暴動を起こし始める人々を見ていると、宇宙人の操る「トライポッド」はもちろん、人間もまた恐ろしい存在であることが分かってくるんですね。
こうした人間の暴走は『未知との遭遇』や『E.T.』でも若干感じさせる描写(宇宙人を追いかけるあまり行きすぎた行動を取る)があり、スピルバーグの描いてきた宇宙人ものの最悪のシナリオを映像化していた感じがありました。
(余談ですが、中盤に燃え盛りながら疾走する新幹線が通過するシーンがあります。あのシーン「一体なにがあった!?」と、想像力を刺激させるシーンで好きです)
そんな絶望的な世界を生き抜くため戦うのが、主演のトム・クルーズでした。
しかし、本作でのトムは至って普通の人間。ニューヨーク・ヤンキースの帽子を被り、長男と長女の扱いに手を焼く父親でした。
そのため当然、派手なアクションも超絶的なスタントもないに等しく、ただただ子供と宇宙人に翻弄される存在でした。
とはいえ、反抗期の長男と癇癪持ちの長女の面倒を見なくてはならない苦労人という立ち位置は、新鮮なトムを見ることができて手持ちぶさたにしていたことはありません。
ストレスがピークに達して、ピーナッツバターを塗ったパンを窓に叩きつけるなんていう、ある意味名場面を見れたことも含め、トムが主演で良かったと思います。
残念であったとすればオチですかね。
あれだけ絶望的な強さを誇っていた宇宙人たちも、地球の微生物によってバリアを失ったら米軍にフルボッコにされるっていうのはガッカリ。
まるで漫画の打ち切り展開のようでした。
こればっかりは、H・G・ウェルズの原作を読んでみないと、誰が原因かは分かりませんけどね。
スピルバーグ監督作としては、低い評価を受けている本作。
しかし、スピルバーグ味溢れる展開はやはり見ていて損はないかと思います。
テレビ放送がある度に見たくなったり、印象的なシーンが多かったりするのも決して悪い映画ではないからでしょう。(個人差があります)
噛めば噛むほど味が出る作品。それもまた、名作なのかもしれませんね。
【レビュー】ナイチンゲール(ネタバレあり)
ナイチンゲールと聞くと、かの有名なフローレンス・ナイチンゲールが思い浮かびます。
人生を看護師として捧げたその高い志は今なお語り継がれています。
そんな彼女の名前をタイトルにつけた作品が今回レビューする『ナイチンゲール』です。
ストーリー
ブラック・ウォー(1828-1832)の最中、オーストラリア、タスマニア島。
囚人として流刑されてきたアイルランド人クレア・キャロルは、イギリス軍部隊に日々奉仕をしていた。
イギリス軍中尉ホーキンスは、奉仕の暁に仮釈放の推薦状を出す約束をしていたが、いっで経ってもその約束を守ろうとする意志が見られなかった。
クレアの夫エイダンが直談判を行うが、ホーキンスは取り合わず彼を射殺してしまう。
さらにホーキンスの部下たち二人も加わり、クレアをレイプし、彼女の赤ん坊も殺してしまう。
翌朝、姿を消したホーキンスたちに彼女は復讐を誓うのであった。
感想
殺された夫と娘の復讐を銃一丁で果たそうとする、時代が時代なら西部劇のような内容です。
ただ、舞台が1820年代後半のタスマニア島なだけに、ジャングル地帯で、銃の扱いすら知らない女性クレアが復讐を目論むという、なんとも手探りな作品になっていました。
銃を撃とうとすれば故障しているし、撃てたら撃てたで狙いとはまったく異なる方向にぶっぱなしたりと、かなりヒヤヒヤもの。
足に負傷を負っている相手を殺すことすらままならない状態でした。
それでも、復讐を成し遂げるために彼女を突き動かすのは復讐心です。
冒頭で弱々しくホーキンスに従うしかなかったクレアが、無関係の人まで殺さんとする狂暴な性格に豹変する導入には一気に引き込まれました。
大尉相手に「くたばれ!」とか言う人間を初めて見ましたよ。
とはいえ、冒頭にも書いたようにクレアは銃の扱いすらままならない女性です。
それを支えていたのが黒人のビリーとなります。
まず驚きであったのが黒人の扱い。
奴隷とまではいかないものの、イギリス人が見つけたら即射殺しようとするぐらいにはヤバい状況でした。
おまけに「黒人は人を食うぞ」と訳のわからない伝承までされており、いかに彼らが生きにくい世界だったのかが伝わってきました。
そんな世界で生きるビリーですが、作中では一番まともな人間であり、好感の持てる人物でした。
ホーキンスたちの追跡から銃の点検、動物の狩り(食料調達)、薬の生成など、多才な能力を持っている頼れる存在として活躍していましたね。
そんなビリーとクレアの関係が本作のキモであったように思います。
この二人、人種や国はまったく異なるのですが、境遇はかなり似通っていました。
クレアはアイルランドの故郷から終われタスマニア島へ。そこでホーキンスらイギリス軍に利用され家族を奪われています。
一方、先住民アボリジニであるビリーもイギリス人たちによって母親と離ればなれに、父親も殺されるという、土地も家族も奪われた状況でした。
つまり、二人は故郷も大切な人も奪われ生きる場所もない境遇に置かれていたのです。
そんな二人が、自身に残されているのお互いしかいないということに気づき、愛をも超越した信頼関係を築いていく様子は考えさせられる内容でした。
そんな二人の関係がもたらす結末がまた意外でした。
初めに復讐を持ちかけていたクレアは、ホーキンスらに対して言葉で正論を説くことで全てを終えてしまうんですね。
対してビリーはホーキンスらを殺すことで復讐に決着をつけてしまいます。
ここから見えてくるのは、お互いのことを思った行動を取っていることでしょう。
クレアはたとえ復讐が果たせずともビリーと生きていくことを考え、ビリーはクレアに自由を与えるためホーキンスらへ復讐を果たしたと考えられます。
その結末は、ラストシーンで陽が昇っていたことからも分かるように、希望に満ちた未来なのでしょう。
ビリーの話していた「説得しても聞き入れないやつは殺すしかない」というアボリジニの考え方は正しかったということが分かります。
作中の描写からも見てとれましたが、基本的に先住民アボリジニたちに対するリスペクトが半端ない作品でしたね。
さすがはオーストラリア産作品です。
本作は上映時間が136分と長く、復讐相手は3人というむしろドラマに比重が置かれている作品でしたが、その見ごたえは十分で136分しっかりと引き込まれました。
【レビュー】ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-(ネタバレあり)
どこの国でも刑事ドラマは人気です。
笑いありシリアスありの幅広い展開ができるのが利点なのかもしれません。
そんな刑事ドラマにエドガー・ライト監督が挑んだのが、今回レビューする『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』です。
サイモン・ペッグ×ニック・フロストによる「スリー・フレーバー・コルネット3部作」の第2弾でもあります。
ストーリー
ロンドン首都警察で優秀な成果を残していたニコラス・エンジェルは「優秀すぎて周りの人間が無能に見られる」という理由から田舎の村サンドフォードへの転勤を命じられる。
数十年事件など起きていないサンドフォードでエンジェルは退屈な仕事ばかりをさせられることとなった。
しかし、ある事故がきっかけとなり事件が隠ぺいされていることを疑い始める。
感想
本作、2008年7月に劇場公開されてから実に12年ぶりに劇場で公開されました。(全然話題になってなかった気もしますが……)
で、エドガー・ライト監督は好きなものの『ホット・ファズ』は「いずれか見よう」で後回しになっていたため、今回を逃す手はないと21時からというキツい時間ながらも劇場に足を運びました。
感想として、控えめに言っても最高でした!
独特な演出によるテンポの良さ、笑いを生みだすユーモア、音楽センス、どれをとっても一級品なんですね。
正直、21時からの回で本編時間121分は、眠気に襲われないか心配でしたが眠気すら感じる暇もないほどのテンポの良さ。
「次はどうくる?」と、ワクワクさせる作りには目が離せませんでした。
で、やはり面白いのがサイモン・ペッグとニック・フロストによるコンビ芸です。
『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004)以来3年ぶりの共演となった二人ですが、その息のピッタリさは健在。
真面目な警察官エンジェル(サイモン・ペッグ)とおバカな警察官ダニー(ニック・フロスト)の凸凹コンビによるやり取りは見ていて楽しいです。
中でも中盤にパブでラガービールを飲むシーンは、サイモンとニックの素が垣間見え隠れしており、二人の仲の良さが映画を通して伝わってくるようでした。
このシーンは「スリー・フレーバー・コルネット3部作」でのお約束(ラガービールを飲むこと)でもあるだけに印象的なシーン。
ラガービールが呑みたくなる、ビールテロなシーンでした。
このように、キャラクターが面白いのが本作の特徴でもありました。
そもそも名前からして濃い!
よく「名前だけでも覚えて下さい」なんてフレーズを聞きますが、そんなことを言わなくても名前だけ覚えられてしまうほど。
そのため、数多くのキャラクターが登場し、村全体を巻き込んだ事件であっても大まかに誰がどんな立ち位置(職業や血すじなど)かを覚えていられるんですね。
もちろん性格が濃いのも記憶に残る理由のひとつ。
まさかエンジェルが皮肉として第一印象と人物とを結びつけていたのが、そのまま殺人の動機となっていたとは驚きでした。
キャラクターに対する愛が、そのまま観客に対する配慮につながっている抜け目のなさには感心させられました。
こうした、観客を楽しませる要素が見られるのも本作のよい点です。
特に終盤の銃撃戦は盛り上がります。
作中、ダニーがエンジェルにオススメしていた『ハートブルー』と『バッド・ボーイズ2バッド』を下敷きにしているのが映画ファンとしては堪らない展開でした。
二人がサングラスを掛けてカッコよく決めるシーンがあったり、ダニーが『ハートブルー』の名シーンと同じことをしたりというのは元ネタを知っているとより楽しめました。(作中でも少しだけ紹介はしていました)
二丁拳銃、飛び込みながらの銃撃、カーチェイス、ドライブバイなどなど、エドガー・ライト監督がおそらく刑事ものでやりたかったアクションすべてを詰め込んだようなアメリカ映画リスペクトな銃撃戦は間違いなく本作のハイライトと言えるでしょう。
刑事ドラマとコメディとアクション。
すべての要素をうまく混ぜ合わせ、バディムービーとしていた本作。
サイモン・ペッグとニック・フロストのコンビ芸を見ていると「スリー・フレーバー・コルネット3部作」の1作目『ショーン・オブ・ザ・デッド』と、3作目『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』も見たくなりますね。
【レビュー】海底47m(ネタバレあり)
今やA級B級問わず、多くの作品が産み出されているサメ映画。
たいていのサメ映画は、グロありの殺りくがメインに描かれているものです。
今回レビューする『海底47m』は、サメが恐怖の対象ではあるものの少し異質。
サメに襲われる恐怖を常に感じる作品です。
ストーリー
メキシコへバカンスへやってきたリサとケイトの姉妹。
二人は現地で出会った男たちからケージダイブに誘われる。
リサは乗り気ではなかったものの、ケイトの強引な誘いに乗り体験してみることにした。
ケージダイブを楽しむ二人であったが、ケージを固定していたアームが破損してしまい、二人はそのまま海底へと沈んでしまう。
感想
タイトル文字通り、海底47メートルにリサとケイトの姉妹が取り残されてしまいます。
その場所から脱出できなくなってしまうことを考えると、サメ映画というよりもワンシチュエーション映画っぽいのかも……
そうして考えると2016年に公開されたブレイク・ライブリー主演作『ロスト・バケーション』とかなり似通っていますね。(沖からサメに包囲されて帰れなくなる映画)
要は下か横かの違いですし。
とはいえ、下……すなわち海中というのは、酸素量という分かりやすいタイムリミットがあるのが利点でした。
「早く脱出しないとまずい……でも焦ったらサメに襲われる……」という緊迫感は、画面越しにも息苦しさを感じさせてきました。
また、取り残されているのが二人というのも大きな違いでした。
姉妹ということもあって、互いに信頼が熱く、それゆえに死への恐怖をリアルにしていたのが印象的です。
けれど悲しいかな、ケージに二人いる時点でどちらかが死ぬのは展開としてお約束。
リサとケイト、どちらがどのタイミングで食われるのかずっとハラハラしながら見ていました。
そんな海中ならではのギミックがいろいろと仕込んであるのが本作の面白いところ。
例えば、海底47メートルでは無線が通じないけれど10メートルほど浮上すれば無線が使えるという状況に置かれるなど、ことあるごとにゲージから外へでなくてはならないシチュエーションを作っていました。
外に出れば当然サメに襲われるリスクもあるわけで……ただ空気切れの緊迫感を出すだけでなく、いい感じにアクセントを効かせていたのが飽きることなく見れて良かったです。
そうした危険を経て、初めは恐怖で動けなかったリサが、勇敢になっていくのは王道的な展開でした。
妹ケイトと共に生き残るために、生存本能そのままに努力をする姿は純粋に応援したくなるキャラとなっていたと思います。
それだけに受け入れられなかったのがラストシーンです。
ケガを負いながらもサメから逃げ延びるリサとケイト。
しかし、それは窒素酔いによって見ていた幻覚でした、ってなんじゃそりゃですよ。
特にそこから何か得られる訳でも、展開が広がる訳でもなく、ただただ不条理なエンドのためのどんでん返しは、個人的には不満でした。
鑑賞した人たちの記憶に残したかったのか、尺が短すぎて物足りないからやったのかは分かりませんが、それまで王道なパニックをやってきたのですから「助かって良かったー」で終わればよかったと思いますね。(行方知れずとなってしまったケイトも普通にいい子でしたし)
なぜか続編ができてしまった本作。(あらすじを見た感じだと今作はまったく関係なさそう。監督は同じですが)
なかなかユーモアがあってワンシチュエーション映画としては優秀でしたが、どうしてもラストだけは受け入れられない作品でした。