【レビュー】ランボー ラスト・ブラッド(ネタバレあり)
おそらく映画を見たことがない人でも知っている人がいるほどでしょう。
1982年から始まり現代まで続いたのもランボーが愛されるキャラクターであったからだと言えます。
その最終作となるのが、今回レビューする『ランボー ラスト・ブラッド』です。
ストーリー
アメリカアリゾナ州ボウイでランボーは、旧友マリアとその孫娘ガヴリエラと共に暮らしていた。
ある日、ガヴリエラがメキシコに暮らす父親の所在を突き止める。
ランボーらがの制止も空しく彼女は単身メキシコへ向かってしまう。
まもなく、ランボーは彼女がメキシコへ向かっていたことを知るものの、その時にはすでに彼女は行方不明となっていた。
本作、まず耳にしていたのが「賛否両論な作品である」というこでした。
ランボーシリーズといえば半アクション映画。
「賛否両論ってどういうこと?」と思いつつ見ましたが、なるほど賛否両論になるわけです。
なんといっても救いが無さすぎるんですね。
あらすじを見てもらえば分かるように、本作はメキシコで誘拐されたガヴリエラをランボーが助けに行くストーリーです。(きっかけとなるガヴリエラの父親は事件に一切関係していなかったのは地味に驚きでした)
で、ランボーの努力空しくガヴリエラは命を落としてしまいます。
もちろん、悪党は全員殺して決着はつくのですが、ラストシーンはランボーは孤独になるんですね。
これ、とても酷い終わり方に見えますよね。
シリーズ初見なら投げやりなエンドにしか見えないでしょう。
往年のシリーズを追っていても『ランボー/最後の戦場』(前作に当たる4作目)の帰郷したラストをぶち壊しにしてしまう蛇足のように感じられます。
しかし、本シリーズにおいてこの終わり方こそ「ランボーらしさ」はあったのかもしれません。
というのも、このシリーズはどれもベトナムから戻ったランボーの苦悩を描いています。
そのため、ラストシーンは4作目を覗き、ランボーが戦争の虚無感にうちひしがれるか、あるいは自身の戦争が終わらないことを耐え忍ぶ結末を迎えるんですね。
そうして考えると、本作のラストシーンはランボーらしい結末だと言えます。
戦争に翻弄され、痛みと共に生きて行く。
ランボーに課せられる皮肉な結末はシリーズの意図を汲んでいたと言ってもいいでしょう。
本作がこれまでのシリーズと異なっていたのが動機とシチュエーションです。
これまでランボーは、以下のような動機とシチュエーションで戦って来ました。
1→帰還兵への不条理な扱いに耐えられずアメリカの片田舎で戦争
3→トラウトマン大佐を救うためアフガンで戦争(相手はソ連)
4→捕虜となったアメリカ人ボランティアを救うためミャンマーで戦争
今作でも「ガヴリエラを救うため」と言う動機は同じですが、先にも書いたようにそれは失敗して死へ、戦争もランボーのホームで行うという、これまでにない展開が待っていました。
これはなかなかに新鮮な感覚でした。
ガヴリエラのことを父親のように心配していたり、それを救出するための力が及ばなかったりと「ランボーが変わってしまった……」という印象がありました。
しかし、作中ランボーが言っていたのが「自分自身に蓋をしているだけだ」と、自身が変わっていないということでした。
で、これが証明されるのが終盤のメキシコカルテルを一斉に抹殺するシーンです。
一切容赦なしのこの殺りくとも呼べるシーンは、本当によくできていました。
ランボーの怒りを表すかのごとくのグロテスクさ、「ゲリラ戦最強」と言われていたゆえんでもあるトラップの数々。
これを見て「彼が変わったか?」って聞かれたら「変わランボー……」と答えるしかありませんよ。
後々になって気づきましたが、ランボーの晩年期を描きつつ、シルヴェスタ・スタローンに無理をさせない、でもカッコよく見せるを実現していたのは素晴らしいことだったと思います。
彼に酷な結末を迎えさせてはいましたが、そこに「ランボー愛」は存在していたと断言出来るでしょう。
冒頭にも書いたように賛否両論評価が分かれている本作。
けれど、賛否どちらの言い分も「ランボー愛」があるからこそ。
どんな結末を迎えようとも、今後もランボーが愛されることに変わりはないのでしょう。
【レビュー】E.T.(ネタバレあり)
名作映画というと何度見ても楽しめるものです。
そんな中でも老若男女に今なお親しまれているスティーヴン・スピルバーグ監督作品が、今回レビューする『E.T.』です。
本作、十数年あまり見ていなかったにも関わらず、去年の「午前十時の映画祭 Final」で1回、コロナ禍による再上映で1回、そして昨日のBS放送で1回と、およそ1年の間に立て続けに3回も見てしまいました。
しかし、その面白さは全く薄れることがなく、毎回涙腺を緩ませてくるのですからこの作品は凄いです。
"E.T."と初遭遇する時のドキドキ、彼がどこから来たのか訪ねるとそっと空を指差すワクワク。
いつ、どんな時に見ても童心に帰らせてくれるのはなんと素敵なことか!
"E.T."に遭遇するのは、中盤までエリオットら子供たちだけというのもいい展開です。
大人には頼ることのできない環境で、彼らが手探りで"E.T."の正体や今後どうしていくのかについて悩んでいく姿は堪りません。
子供の頃は、エリオットと同じ目線で楽しんでいましたが、今ではエリオットたちの姿をほほえましく見守る立場で楽しめるのがこの作品の名作たるゆえんなのでしょう。
余談となりますが、私の涙腺ヤバいポイントは、やはりラストシーンになります。
けれど、エリオットと"E.T."が別れを惜しむシーンはまだ泣く所ではありません。
ではどこかというと、"E.T."が宇宙船で虹をかけて飛び去った後をエリオットが見上げるシーンです。
つまりはラストもラストのシーンとなります。
あのシーンで私はエリオットの成長を感じるんです。
涙も流さず、ただじっと上を向く姿。そこには、冒頭で兄の友人たちにイジメられていた弱々しさはありません。
「こうしてエリオットは成長して行くんだな」と考えると当然ウルッと来てしまいます。
こうして見ると本作は"E.T."によってエリオットとその兄妹たちが成長する物語でもあるわけです。
特に兄マイケルの成長は著しく、初めは弟をイジメていたのに、弟のために"E.T."の秘密を守り、"E.T."を星へ帰すという願いを聞き届けていました。
最初は「なんてイジワルな兄なんだ!」と憤りを感じましたが、途中からは応援せずにはいられないキャラクターとなっていました。
こうしたように、子供の扱いが非常にうまいのがこの作品の良いところです。
どういう風にうまいかと言うと、野暮なことをしないことです。
普通、子供といったら何かあれば親に相談したくなるもの。
それは本作なら"E.T."の存在を明かすことに当たります。
そうなればたちまち"E.T."と引き裂かれるのは必然です。(本作でそうなるシーンはありますし)
そのため、彼の存在は秘密にしないといけないわけなのですが、エリオットはもちろん、お調子者の兄マイケルも、おしゃべりな妹ガーティも、それを明かすことはしません。
若干、危ないシーンもありますがミラクルで回避されるなど、子供に野暮な行動をさせない作りになっていました。
それはそのまま、キャラクターを好きになれることにもつながっていたのは言うまでもないでしょう。
逆に、野暮な行動を取るのが大人たち。
エリオットたちの敵となる大人は顔が映されないようにされているのは、"E.T."の秘密がいかに限られた範囲なのかを意識させました。
とはいえ、最後には敵となっていたキーズも顔が映され、"E.T."を笑顔で見送っていたのが印象的。
誰しも昔は子供だったわけですし、"E.T."とエリオットの関係を見て、童心を思い出したことを感じさせていました。
野暮であっても悪人ではないのが大人というのが伝わってくる描き方でした。
そして、これら全編を彩るのがジョン・ウィリアムズによる音楽です。
幻想的でありながら希望を感じさせるスコアの数々は、間違いなくこの作品を2倍にも3倍にも素晴らしいものにしていたと言えます。
美しい映像との調和は、それだけでも鳥肌もの。
何度見ても楽しめるのは、こうした映画らしさがあるからなのでしょう。
間違いなく名作と呼ぶにふさわしい出来映えである本作。
久しく見ていない人がいれば、ぜひとも再び見てもらいたいです。
人生経験と共に美しさが変わる体験は、未知との遭遇のようにワクワクすることでしょう。
【レビュー】マイ・ボディガード(ネタバレあり)
ボディガード=要人を守る仕事というイメージがあります。 しかし、メキシコではそれ以外にもボディガードを雇うそうです。 それが富裕層の子供の警護になります。 今回レビューする『マイ・ボディガード』は、そんなメキシコでのボディガードと少女の関係を描いた作品です。 主演がデンゼル・ワシントン! もうこれだけでただ事では済まないニオイがプンプンしてくるこの作品。 とはいえ、序盤は幼き頃のダコタ・ファニング演じるルピタと打ち解けるまでを描いており、意外と微笑ましいです。 クリーシーが「ボディガードの対象と仲良くする気はない」と突き放しておきながら、ルピタの優しさに惹かれ、親友にまでなるのはチョロいなと思いました。 まあ、かわいくて愛嬌もあるルピタを前にしたらチョロくなるのも必然ではあるのでしょう。ダコタの今とは違う魅力が見れます。 当然、そんな微笑ましいまま終わるはずもなく、中盤に差し掛かる頃、ルピタを狙った誘拐犯が現れます。 「ようやくデンゼルが暴走するか!」とワクワクしていたら……やられちゃいました。 デンゼル=無敵なイメージがあっただけにこれは意外。 強襲であることや汚職警察官までグルになっていて数で攻めてきたことまで考えると負けてしまったのも仕方が無いとはいえ、やはりショッキングでしたね。 しかも、その後の人質交渉でルピタが殺されたなんて言うんですからなお衝撃です。なんて救いのない世界なんだ…… そこでようやくデンゼルのエンジンが始動!……を通り越して暴走状態に。 誘拐犯を突き止めるまで、関わった悪党全員を痛めつけて最後に殺すという爽快感は、流石のデンゼルクオリティです。 純粋に撃ち殺したり、車ごと崖から突き落したり、ケツに爆弾を埋め込んでみたりと、悪党ばりな残虐非道を行くのはある意味爽快でもありました。 で、流石は映画。終盤にルピタは実は生きてましたのどんでん返しが起こります。 「よし!今度こそデンゼル無双だ!」と、思っていたらルピタを助け出した直後に絶命しちゃいました…… つくづく、こちらの予想を裏切ってくる展開でしたね。 悪党の黒幕はまともな警察官が倒してくれたから良かった良かった。 こうして見ると分かるように、デンゼルの暴走を除けばリアルな展開が色濃く描かれていた印象があります。 例えば、映画の暴徒では「誘拐された被害者の7割は生きては帰らない」なんてテロップが出ていたり、全編においてスペイン語が多用されていたりなど、メキシコ感がひしひしと出ています。(行ったことないですが) また、演出においても、光の使い方によって映像を濃く見えるようにしてメキシコ=暑い国なイメージを助長させてていたり、フラッシュバックのようにカットをコマ切れにしたような見せ方で臨場感を増していたりと、リアル路線を貫いていました。 まあ、デンゼルの暴走シーンなんかはリアル路線かと言われるとアレですが、臨場感という意味ではこれでもかと感じさせるような作りになっていた印象でした。 A・J・クィネルの小説『燃える男』が原作となっている本作。 傷を負い、体に負担を掛けながらも一切止まることのないデンゼルの姿はまさに燃える男そのもの。 最後に燃え尽きてしまうのも含め、そのタイトルが当てはまっていることが分かります。 原題も『Man on Fire』(原作小説のタイトルのまま)であることから『マイ・ボディガード』というのは微妙なのではないかと思ったり…… とはいえ、『燃える男』ではダサいし『マン・オン・ファイヤー』では掴みどころがありません。 あらすじありきで映画を見る人の方が多い、日本色が出たタイトルなのでしょう。 作品の質は変わりませんし、見ごたえたっぷりのサスペンス・アクション映画でした。
【レビュー】ゼット 見えない友達(ネタバレあり)
子供がイマジナリーフレンドの存在を作り出すことは珍しくありません。
世間一般では「ほうっておけばその内消える」という見解がされています。
しかし、その存在がもし本当にいたとしたら……?
今回レビューする『ゼット 見えない友達』はそんな作品です。
ストーリー
8歳の息子ジョシュを持つ母親ベス(エリザベス)は、彼がイマジナリーフレンドと接していることを知る。
夫のケヴィンはその内消えると言うものの、その症状はしだいに酷くなっていった。
ベスがイマジナリーフレンドの名前を聞くと、ジョシュは"Z"(ジィー)だと答える。
感想
イマジナリーフレンドだと思っていたら実は幽霊だった!というシンプルなホラー映画。
しかし、ホラー要素はラスト30分しかない上に、"Z"の姿もほとんど映らないというホラー映画ファンからしたら頭を抱えたくなるような内容でした。
とはいえ、ホラー要素を抜きにすればなかなか楽しめました。
突然おかしくなり始めたジョシュを前に困惑するベス。
それがだんだんとエスカレートしていくテンポのよさは見ていて苦になりません。
上映時間が83分ということで次々問題が発生するわけです。
で、そうした問題が起きるのに臨場感を与えていたのがジョシュを演じたジェット・カイルです。
"Z"が見える子供という非常に難しい役をしっかりとこなしていたのが印象的。
表情ひとつで、不気味な雰囲気を漂わせる演技力は今後、大成することを思わせる確かな演技力がありました。
後、いきなりゲロを吐くシーンがあったりと、体も張ってます。
そんな子役を相手取るだけにベス役のキーガン・コナー・トレイシーも負けていられません。
おかしくなりつつあるジョシュの姿に心労を募らせたり、育児に不干渉な夫ケヴィンと衝突したりと、不安定になりつつある家庭環境に振り回される姿が印象的。
終盤にはジョシュと入れ替り(というか彼女がもともとのターゲット)、"Z"に追われるように。
ジョシュに「友達の"Z"を取るな」とか怒られる理不尽な仕打ちに耐えながらも彼を助けるために犠牲になる母性を見せていました。
"Z"の存在に怯え、疲弊し、絶望する姿は真に迫る演技でした。
で、他のホラーと異なり本作のオリジナリティがあったのが"Z"の設定です。
幼少時代ベスに惚れて、それから数十年を経て戻ってくるという、純愛を貫くなんとも斬新な幽霊。
そのために彼女の夫であったケヴィンを殺したり、ジョシュを人質に取ったりと独占欲が強く暴力的なのはむしろストーカー気質と言えるでしょう。
ベスの部屋にそっとウエディングドレスをおいて結婚式を始めたりするのは、ある意味怖いやつでした。
ほとんど姿を見せない"Z"をまるでそこにいるかのように俳優に演じさせていた本作。
ホラー映画を低燃費で抑える努力が垣間見える、ある意味斬新な作品でした。(本作の予算を調べてみたのですが、情報がなかったため断念。低予算であることは確実でしょう)
【レビュー】レッド・サイレン(ネタバレあり)
オリヴィエ・メガトン監督をご存じでしょうか? フランスの監督で、『トランスポーター3 アンリミテッド』(2009)や『96時間/リベンジ』(2012)、『96時間/レクイエム』(2015)など、フランス発のアクション映画の続編を監督することに定評のある人です。(勝手なイメージです) そんな監督が2002年にメガホンを取った作品が今回レビューする『レッド・サイレン』です。 ちなみに、タイトルの意味は本編中にも触れられていますが「赤い妖精」となります。
ストーリー
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-1995)に傭兵組織『自由の鐘』として参加していたヒューゴは、子供を誤射して殺してしまう。
フランスのとある警察署にアリスという少女がDVDを持ち駆け込んでくる。 そのDVDを受け取ったアニータ警部補は、アリスのメイドが覆面を被った者たちによって惨殺される映像を見る。 アリスはそうした映像を母親であるエバが撮影しているという。 しかし、物的証拠がない事には逮捕に踏み切ることも出来ず、アリスはエバに連れ帰られることとなった。 母から逃げ出したアリスはその道中ヒューゴと出会う。
【感想】傭兵と少女。どこかで見たような設定
見終わった後にあらすじを書いてみて思った「紛争の描写いる?」と。 冒頭の掴みとして、観客が置いてけぼりになるシーンでもあってこのシーンはなかなかのネック。 後々のことを考えても「子供を誤射してしまった」という事実以外はあまり生きることのない場面なだけに、必要性を問いたくなるシーンです。 とはいえ、この作品の原作小説モーリス・G・ダンテック著『La Sirène rouge』(映画と同名)が1993年に書かれたものと考えるとなかなか面白くもあります。 あらすじにも書いてあるように1993年は紛争真っただ中ですからね。 リアルタイムに起こる現代での物語であれば楽しめたのかもしれません。 しかし、私が見た2020年はもちろん、本作が制作された2002年にも一切リアルタイム性はないという事実。 果たしてこの描写は必要だったのか……それを知るのは公開当時に劇場で見た人のみぞ知ることでしょう。
それはさておき、本作のメインストーリーは母親エバ率いる悪党組織からヒューゴがアリスを守るというものです。 孤独な傭兵として生き疲弊したヒューゴと純粋無垢なアリスによる逃亡劇はフランス映画の名作『レオン』を彷彿とさせます。 本作も同じくフランス発の作品。フランスはおっさんと少女を絡ませるのが好きなのか、単に本作が『レオン』リスペクトなのか…… ちなみに『レオン』は1994年の映画。原作『La Sirène rouge』(モーリス・G・ダンテック著)の方が1993年と、1年早いですがどこまで原作準拠なのかは不明です。
そんなストーリーですが、意外と関係ないのが殺害シーンの入ったDVD。 アリスを連れ戻したいエバなのですが、ヒューゴが邪魔だてするため、戦闘状態に陥るという状況ですから証拠とか不要なんですね。 そのため基本的にはサスペンス・アクションものとなっています。 ヒューゴが迫りくるエバの部下を銃で殺していくのが本作の見どころです。
そんな銃撃シーンでもっとも盛り上がるのがホテルにエバが依頼したボント大佐の傭兵との大立ち回り。 客がいないホテルが舞台なため、特に被害とか気にせず銃を撃ちまくり合う展開はそこそこ楽しめます。 画面が暗くて状況が分かりにくいとか、BGMがないとか、セリフがないとか、長ったらしいとか、いろいろ不満はありますが、本作の中ではもっとも盛り上がるシーンでしょう。 個人的にはもう少し刺激があっても良かったかと思います。
曖昧な表現からも分かるかと思いますが、この作品はぶっちゃけあまり盛り上がるものではありません。 戦闘シーンも今挙げたシーン以外はかなり薄味で、気づけば敵が倒されていたというのがほとんど。ラストシーンには格闘シーンがありますが、これもなんだかもっさりしていて見ていても複雑な気持ちになります。 で、その原因はおそらく予算。 本作は予算が600万ドル(現在相場なら約6億5000万円)しかありません。 2000万ドルでも低予算とか言われる映画業界ですからこれはかなりの低予算です。 そうして考えると、イマイチであったとはいえ、本格派サスペンス・アクションの体を守ろうとする涙ぐましい努力が垣間見える作品であったと言えるのでしょう。
低予算ながらもサスペンス・アクションと同時に傭兵と少女の絆も描いており、手堅くまとまっていた本作。 とはいえ、盛り上がりに欠けていたのは事実。低予算映画であることを知ってから見たかった作品でした。
【レビュー】お!バカンス家族(ネタバレあり)
コメディ映画に『ホリデーロード4000キロ』という作品があります。
1983年というかなり昔の作品なのですが、その精神的続編の5作目となるのが、今回レビューする『お!バカンス家族』です。
ストーリー
毎年、夏休みは同じログハウスで過ごすことになっていたグリズワルド家。
その風習に一家の主であるラスティは満足していたが、妻や息子たちはうんざりしていた。
ある日、隣人から旅の自慢話を聞かされたラスティは、車を使いテーマパーク「ワリーワールド」へ行くことを決意する。
そこは、かつてラスティの父クラークに連れて行かれた思い出の場所でもあった。
【感想】コメディ要素たっぷり!おバカな家族の珍道中!
原題は『Vacation』なのに、邦題は『お!バカンス家族』
このセンスが素晴らしい!
あらゆるシーンで「バカな家族だなぁ」となる本作にはピッタリなタイトルだと思います。
そんな本作のメインになるのが4人家族。
家族思いだけど全ての行動が空回りな父親ラスティ、常識人に見えてまずい過去を抱えている妻デビー、草食系イジラレキャラのジェームズ、兄を苛めるサイコパスな弟ケヴィン。
濃い個性を持つ家族だけに、本当にあり得ないバカなことばかりします。
トラックの運転手を無線で煽ったり、国境をまたいでセックスをしようとしたり、汚水を温泉と間違えて入ったりともう滅茶苦茶。
そんな中でもとんでもないのが移動手段となる車です。
自称最新鋭の車は見た目からして変なだけでなく、機能もいろいろ変。
無駄にチャージ用の電源タップが付いていたり、韓国語機能がバグってずっとそのままだったり、自爆機能が付いていたり……
おバカンスにピッタリなおバカ機能たっぷりのコメディに欠かせない存在でした。
そんなおバカなコメディではありますが、ストーリーは割としっかりしています。
失敗続きのラスティが名誉挽回をするため頑張っていたり、ジェームズが道中出会った女の子といい雰囲気になったりと、家族間での成長が見られるんですね。
そうした変化はそのまま彼らの好感度アップにもつながっており、目的である「ワリーランド」到達を素直に応援したくなりました。
まあ、到着してからもひと悶着起こすのがまたおバカなファミリーらしさ全開でした。
そんな感じで、キャラクターを大事にしていた本作。
もちろん、道中出会う人物たちもキャラが濃いです。
ウザいけど失恋して自暴自棄になるカヌーのインストラクター、小児性愛の疑いをかけられるトラックの運転手、なにかと筋肉を自慢してくるラスティの妹の夫(まさかのクリス・ヘムズワースが演じていて驚き!)など、多彩なキャラが登場します。
その道中の最後には、ラスティの父クラーク(前シリーズ4作の主人公。演じるのは変わらずチェビー・チェイス)が登場するのですから、サービス精神も忘れていません。
エンドクレジットでは、それぞれの登場人物の後日譚も描かれており、つくづくキャラを大切にしているなと思いました。
下ネタからユーモア溢れるネタまで、とにかくぶちこまれていた本作。
途絶えることのないコメディの連続は最後まで楽しむことができました。
でもこの作品を見て旅をしたくはならないかもしれませんね。(笑)
【レビュー】デンジャー・クロース 極限着弾(ネタバレあり)
ベトナム戦争と聞くとアメリカvsベトナムの戦争というイメージが強いです。
しかし、大規模な戦争であるだけに多くの国を巻き込んだものであったことは言うまでもありません。
今回レビューする『デンジャー・クロース 極限着弾』は、その多くの国の内のひとつ、オーストラリア軍によるベトナム戦争での戦いを描いた作品です。
ストーリー
1966年8月18日木曜日。
オーストラリア軍D中隊11小隊は、南ベトナムの農園地帯・ロングタンにてベトナム兵と交戦する。
初めは優勢かに思えたが、数で押してくるベトナム兵を前に彼らはその場から動けなくなってしまう。
味方による爆撃により、連絡が取れなくなった11小隊を救うべく、ハリー・スミス小佐率いる12小隊は戦場へ足を踏み入れる。
【感想】勇ましきオーストラリア軍の死闘
戦争映画といえば、いつの時代の戦争なのか、どこの国同士が戦うのか、といった情報は大切です。
しかし、なぜかそうした前知識なしで見ることとなってしまった本作。(不注意)
けれど、すごく見やすく分かりやすかった!
そうした感想を抱けるのはおそらく冒頭の説明文のおかげです。
その説明文では、本作がベトナム戦争真っ只中の1966年であること、アメリカ側につくオーストラリア軍の視点であること、そしてその兵士は徴兵された平均20歳の若者ばかりであることが説明されていました。
その分かりやすさと、平均20歳の兵士たちの戦いというインパクトは、初っぱなから一気に作品へ引き込んできました。
あらすじを知らない無知な私を開始3分も満たずにウェルカムしてくれた懐の大きさには感謝です。
で、本編が始まれば確かにどの兵士も基本若い!平均20歳という話が現実味を帯びています。
年長者といえば小佐や中佐、准将といったお偉いさんばかり。
少尉、大尉でさえも若い印象を持たせるのは、それだけでもなかなかに衝撃でした。
そんな若きオーストラリア兵たちをさまざまな視点から追っていたのが記憶に残っています。
視点としては大きく分けて4つ、D中隊の10小隊、11小隊、12小隊、それに本部でした。
まず、D中隊11小隊。
あらすじにも書いたように、彼らを助けることが本作のメインストーリーになるわけなのですが、同時にそれは最前線でもあるという事です。
いきなり襲撃されて撃たれまくる絶望、引いては寄せるベトナム兵の荒波の恐ろしさは、まさに戦争。
当時の彼らの恐怖をそのまま体感させられるのが彼らの視点でした。
次にD中隊10小隊。
彼らは言ってしまえば11小隊の絶望的な状況をリポートする視点のような気がします。
「10小隊!助けに行け!」→「了解!」→「11小隊ヤバいことになってます!」
で、そのまま交戦状態に入って撤退までいましたから。
まあ、11小隊が逃げられないことをいい感じに表していました。
そして本部。
ここでは、中佐と准将のやり取りがメインになるわけですが、「部下を切り捨ててより多くの部下を救うか」をメインに描いています。
中佐はD中隊たちを救いたいけれど、准将の命令で切り捨てる命令を下さなければならない縦社会の厳しさを見せていました。
最後は「私も戦場へ行く!」と積極性を見せる中佐でしたが、タイミングが悪くてお荷物扱いされるという悲しさ……
最後にD中隊12小隊。
スミス少佐とラージ二等兵が所属するいわゆる主人公視点。
上からの命令に非情な決断を下すスミスに「仲間を見捨てるのか!」と突っかかるラージの熱いやり取りが印象的です。
とはいえ、この二人は最終的に打ち解けます。
家族の話をしたり、ラージに婚約者がいることを知ってスミスが「結婚式に招待してくれよ」と言ったりと、別の意味で熱いやり取りが見られました。
ただ、その最期は切ない……
彼らを通して「これが戦争か」と思い知らされましたね。
こうした4つの視点に加えて、砲撃隊やヘリ部隊といった視点も取り入れられており、当時の「ロングタンの戦い」を最前線で目の当たりにした感覚に陥りました。
初めこそ、視点の切り替えに「誰が誰だか分からん」となりましたが、最終的にはなんとなく主要人物を抑えられたので良かったです。
こうして戦争の残酷さを描いた作品でしたが、戦争自体の描写は以外にライト。
撃たれれば当然血が出るのですがドバドバは出ずに、それこそ着弾時の血飛沫程度しかありません。
また、砲弾を近くで食らっても四肢が欠損するようなこともなく、戦争映画にしては落ち着いた印象を受けました。
それこそ冒頭の説明文と同じように、多くの人が見やすいように配慮した結果なのでしょうが、戦争の生々しさという点では少し物足りなさもあったように思えました。
このように、なんだか全体的に小ぎれいにまとまっていたのが、個人的には残念。
なんだかジャングル内のシーンは「セットで撮影してます」感が出ていたり、各兵士の汚れにメイクっぽさを感じたりと、作り物感が強かった気がします。
同じベトナム戦争をテーマにした『地獄の黙示録』なんかは、ジャングルの禍々しさや現地の熱気など、リアルさが巧く表現されていました。(余談ですが、この二作の予算は『デンジャー・クロース 極限着弾』3500万ドル、『地獄の黙示録』3150万ドルと、似たり寄ったりです)
まあ、声を大にして「悪い!」というようなことでもありませんし、それを補って余りあるほど面白かったのは事実ですけどね。
その、補って余りある要素の代表格が砲撃シーンです。
あらゆるシーンでベトナム兵を追い払い窮地を救う砲撃は、本作の目玉と言っても過言ではありません。
上半身裸のマッチョたちが、指定された箇所に的確に砲弾を発射する様子はそれだけでもテンションが上がりました。
発射シーンから着弾までの弾の軌道を追った演出が挟まれていたりと、砲撃に対するこだわりが見えたのも、楽しめる所でした。
また、砲撃とは別になりますがアメリカ空軍による絨毯爆撃のシーンは迫力が凄まじい!
特に助けになっていませんでしたが、ロマンがあったからよしとしましょう。
で、本作のタイトルでもある「デンジャー・クロース=極限着弾」は、この砲撃シーン由来でした。
本作では「味方の目と鼻の先に着弾させろ」という、超危険な行為のことを指していました。
これを12小隊たちからの要請で実際にやるのですが、その結果「近すぎて危ない!止めてくれ!」と即座に止められるんですね。
「そりゃそうだ」と思いながらも「タイトルになるくらいだしどこかでまたやるんだろう」と思っていたらその一回っきりでした。
結論、デンジャー・クロースなんてやるもんじゃないというメッセージにも思えてなんだかモヤモヤする扱いではありました。
ベトナム戦争における実際にあったオーストラリア軍の死闘を描いていた本作。
ラストシーンでは「オーストラリア、ベトナムのどちらもが勝利を宣言している」と、ありました。
私個人としては、2000人のベトナム兵を108人で相手どり、死者18人、負傷者24人に抑えたオーストラリア軍こそが勝者だと思います。
それは本作でのスミス少佐やラージ二等兵の仲間への思いを見ていれば、おそらく多くの人が感じることでしょう。