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【レビュー】海の上のピアニスト(ネタバレあり)

狼に育てられた子のように、世の中には人間社会から隔絶された環境で育った人間が存在しています。
そうした人間は、私たちが普通だと思っている文明に馴染むことが出来ないことがあるものです。
そんな特殊な境遇……海の上で生まれ、海の上で育った一人の男の物語を描いたのが、今回レビューする『海の上のピアニスト』です。

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ストーリー

第二次世界大戦後。
トランペット奏者であったマックス・トゥーニーは、金に困り長年愛用してきたトランペットを売るため楽器屋を訪れた。
トランペットを売ったマックスであったが、最後にもう一度だけトランペットを吹く許可を店主からもらいある曲を吹き始める。
その曲を収めたレコードを持っていた店主は、曲名を聞くがマックスは曲名はないと答えた。
彼は、その曲を生み出した男1900(ナインティーン・ハンドレッド)と共に過ごした、豪華客船ヴァージニアン号での日々を思い返し始める。

感想

ジュゼッペ・トルナトーレといえば真っ先に思い浮かぶのが『ニュー・シネマ・パラダイス』です。
名作中の名作で彼の代表作とも呼べる作品。それゆえにリバイバル上映なんかも何度も行われており、私はこれまで4度見ましたが、その4度とも劇場での鑑賞でした。(2020年にも1回劇場で見ました)
そんなこともあってか、本作『海の上のピアニスト』もいずれ劇場でリバイバル上映すると思い「名作なら最初は劇場で」の精神を大切にしていました。
しかし、待てど暮らせど上映はなく「午前十時の映画祭」も終わりを告げ(2021年に復活予定となりましたが)、いよいよ見る機会もないかと思われたところへきたのが今回の「4Kデジタル修復版&イタリア完全版」でした。
で、今回見たのは「イタリア完全版」の方です。一度も見たことがないのに修復版を見ても綺麗になったか分かりませんからね。よりトルナトーレ監督の意図が感じ取れるであろう方を選びました。

 


というわけで今回初鑑賞した『海の上のピアニスト
まず率直な感想ですが、奥が深い作品で感動しました。
ノスタルジーを感じさせる演出、ミステリアスな1900(ナインティーン・ハンドレッド)とマックスの友人関係、奇妙な運命の数々……
こうした数々の出来事はいつまでも見ていられるほど美しく、2時間50分にも渡る上映時間をまったく苦にさせることがありませんでした。

今挙げた中でも面白さとして効果的であったのが、1900のミステリアスさであったと思います。
船上で生まれ、そこから一度も降りたことがないという育ち方をした彼の感性は独特で、その行動の奇抜さに魅了されてしまうんですね。
で、この感覚なにかに似ているなと思ったら『グラン・ブルー』のジャック・マイヨールを見ている時の感覚に似ていました。
この二人の共通点として挙がるのが「純粋である」ということ。
その純粋さは端から見るともの珍しく魅力的に感じられます。しかしその一方で無意識に人を傷つけるという残酷さも持っていました。
そうした純粋すぎる純粋さがもたらす物語が次に起こる展開を予想させない面白さを生み出していたのかもしれませんね。

少し話は逸れますが、こうして見た時、物語の展開は人の感情や内面を掘り下げることでいくらでも広げられるように思えました。
本作で言うなら1900が船上で生まれそこで培ってきた経験が、人々を惹きつける独特な感性につながっていました。
つまり、人は生まれや育ちによって性格も考え方も変わってくるわけです。
当たり前のことなのですが、そうしたことに気づかせてくれてかつ、その可能性の広さを感じさせる息遣いが本作にはあったと思います。

話を戻しまして……
1900の物語が魅力的に思えたのはひとえに語り手の存在、つまりマックスがいたからだと思います。
彼を語り手とすることで、1900のミステリアスさが2倍にも3倍にも膨らんでいました。
例えば、1900が船を降りると言ったにも関わらず、タラップまでいって止めたシーン。
あそこをもし1900の視点で描いているのなら止めた理由が明確に分かっていなくてはなりません。
けれど、マックスの語りであるならあそこは謎めいていた方が自然。むしろ、なぜ戻ったのかを私も一緒に考えるようになって1900という人物にますます惹かれていくようになりました。
1900が生まれてからおよそ50年(明確な西暦は明かされていませんでしたが、第二次世界大戦後であることは言及されていたのでだいたい50年前後かと)にも渡る壮大な物語を断片ごとに描けるのもマックスの回想という形を取っていたからでした。
語り手を据えたストーリー構成は、かなり効果的であったと思いました。

もちろんこの構成がもたらすのはこれだけではありませんでした。
個人的に最も意味を持っていたように感じられたのはノスタルジックな雰囲気の表現です。
ニュー・シネマ・パラダイス』でもそうであったように、トルナトーレ監督が生み出す哀愁漂う作風は完璧と言っても差し支えないほど魅力的でした。
現代を生きるマックスが廃船となったヴァージニアン号を歩きながら、賑わっていた頃を回想するシーンの儚い美しさはそうそう出せるものではありません。
まるで、見ている自分もどこか懐かしささえ感じさせるのはもはや芸術的にさえ思えました。

そして最後に語っておきたいのがティム・ロスの表現力の凄さ。
子供のような純粋さと飽くなきまでの好奇心は、1900が本当にそれまでの人生を海の上で送ってきたかのようです。
命を燃やすかのように演奏に没頭するシーンやある少女に恋しながらも気持ちを伝えきれないシーンなど、感受性豊かな1900を見事に演じていました。
マックスとの別れのシーンなんかでは、彼の死を確定付けているにも関わらず、どこか「彼が望むのなら仕方ない」と思わせる説得力すらありました。
1900が魅力的に映った理由の一部は、確実にティム・ロスが演じたことによる影響があったと言えるでしょう。


船の上で生き、船の上で死んでいった一人の男の物語を描いていた本作。
あり得ないけれど信じたくなってしまう、ファンタジーのような内容にはうっとりとさせられました。(実際はフィクションなのですが、ネットの検索候補に「海の上のピアニスト 実話」と出るくらい疑惑を持っている人がいるようです)
そんな美しさとリアリティを兼ね備えた本作は、まさに名作と呼ぶべき映画であったと言えるのでしょう。

【レビュー】コン・エアー(ネタバレあり)

ニコラス・ケイジといえば多くの作品に出演している俳優です。
いい作品からいまいちな作品まで、様々です。
そんな作品群の中から彼の代表作を選ぶとすれば『コン・エアー』は間違いなく挙がる作品でしょう。
今回はそのレビューをしていきます。

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ストーリー

米軍兵のレンジャー隊に所属していたキャメロン・ポーは、除隊したその日に妊婦の妻に絡む酔っぱらいを殴り殺してしまったことから長期の実刑を受ける。
妻と生まれてくる娘のため、模範囚として過ごしたポーは、数年後に仮釈放が赦された。
その当日、彼は囚人輸送機"コン・エアー"に乗せられる。
しかし、移動中に知能犯サイラスが囚人を先導し、輸送機をハイジャックするのであった。

感想

本作の感想を一言で表すなら「ニコラス・ケイジは最高だ!」と思わせてくれる傑作でした。

なにがいいってもうニコラス・ケイジのワイルドなカッコよさです。
悪党だらけの輸送機"コン・エアー"に乗っていても違和感のない人相の悪さや屈強さは見ているだけでも楽しめるカッコよさでした。
ぶちギレて銃で撃たれても怯まないカッコよさは鳥肌ものでしたよ。
後半からはタンクトップ姿になってナイスな筋肉も見せ始めます。
もちろんそれは見た目だけでなくアクションでも活躍。
肉弾戦からチェイスシーンまで、余すことなくその筋肉が活躍していました。
個人的に筋肉が一番活躍していたと思うのは終盤の消防車にぶら下がるシーン。
力こぶがいい感じに盛り上がっていて素晴らしい見栄えであったと思います。

そんな本作ではありますが、メインストーリーとなっていたのは、ジョン・マルコヴィッチ扮するサイラスをいかにして撃退するかの頭脳戦でした。
上手いと思ったのが設定。主人公のポーが仮釈放当日というのは、同じ囚人同士なのにほとんどが敵なんですね。
けれど、そんな事実を知らないサイラスらはポーを味方と思い接します。
それを生かしポーが暗躍するのは緊迫感がありました。
サイラスを追い詰めつる一方、正体に気づく囚人が増えていき、口封じのために戦闘シーンが増えていくのも面白かったです。

そんなサイラスを演じたジョン・マルコヴィッチもいい味を出していました。
いかにもな悪人面に加えて、人を食ったような態度、やることも躊躇なく悪役と言うことなし。
ニコラス・ケイジと向き合っても全く見劣りしない存在感を放っていました。
終盤までの大物っぷりからのラストシーンのこてんぱんにやられる清々しさまで見事な悪役を演じていたと思います。

二人に挟まれる形となるのが連邦捜査官ラーキンでした。
彼を演じるジョン・キューザックもまたいいキャスティング。
未曾有の状況に困惑しつつも、ポーが味方だと察する有能さは脇役としていい役割を果たしていました。
シリアスな作品なのにコミカルさを表現できていたのは彼がいたからこそ。
作中のストーリーとしても、作品そのものとしても必要不可欠な存在であったと思います。

そんな三人が集うラストシーンの見ごたえは凄まじいものでした。
ラスベガスに墜落する輸送機、消防車を奪って逃走するサイラス一味、白バイを盗んでそれを追跡するポーとラーキン。
ツッコミどころ満載ですが、こういうのでいいんです!
ラストの盛り上がりどころでそんな細かいところを気にするなんて野暮ですからね。
ド派手でアホみたいに熱い展開をただただ楽しみました。
ラストシーンは、家族と再会を果たしたポーが抱き合うのを主題歌「Sweet Home Alabama」(レーナード・スキナード)を流しつつフェードアウト。最高に粋ですよ。
アクション映画のお手本となるようなハラハラドキドキする展開に満足でした。


ニコラス・ケイジの魅力をたっぷりと描いていた本作。
アクションあり、頭脳戦ありの面白さもあってまったく飽きさせない面白さがありました。
冒頭に書いたように、ニコラス・ケイジの代表作と言って差し支えない作品でした。

【レビュー】ロスト・バケーション(ネタバレあり)

サーファーにとって恐れるもののひとつ、それがサメです。
海水浴場とは異なり、サメへの対策がされていない沖での行動は時折危険を孕みます。
特に海外でサメに襲われる可能性というのは無視できないものとなっています。
そんなサメの恐怖を一つの岩礁の上というシチュエーションで描いた作品が、今回レビューする『ロスト・バケーション』です。

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ストーリー

休暇を用いて亡き母が教えてくれた秘密のビーチに訪れたナンシーは、サーフィン中にサメと遭遇する。
近くの岩場へと避難したナンシーであったが、サメは彼女を執拗に追ってきていた。
その場から動けないナンシーに少しずつ満潮の時間が迫ってきていた。

感想

私はサーフィンはしたことがありませんし、今後もする予定は特にありません。
けれど、(だからこそというべき?)映画の中で軽快に波に乗るサーファーたちの姿に憧れたりはします。
そんな印象的なサーフィンシーンから始まるこの作品。
特にサーファーであることによって、ナンシーがサメから逃げるのに役だったりすることはないのですが、美しい海で美女が優雅にサーフィンをするのはセクシー&クールでした。

そのセクシーさもクールさもぶち壊すのがサメによる容赦ない攻撃でした。
その導入ともなる、美しかった海が急に不気味に見え始める不穏な演出などはサスペンス映画を手掛けてきたジャウム・コレット=セラ監督らしいと思います。(この監督のサスペンス映画は毎回安定していて好きです。21年には『ジャングル・クルーズ』で新境地を切り開きそうで楽しみです)
時折、挿入される水中からの視点は、"何か"がナンシーに迫る緊張感も与えており、事が起こる前から海の良さも怖さも感じさせていました。

で、その"何か"の正体であるサメの襲撃により、いきなりナンシーが足に大ケガを負うのですからセクシーさもクールさもどこへやらでした。
自らの医学知識を生かして、止血をするシーンは痛々しいながらもリアル路線。本作が、B級サメ映画のような勢いで行くのではなく、サスペンス調で緊迫感ありありな路線でいくことを確定付けていたと思います。

そこから始まるのが本作の売りでもあるワンシチュエーション、岩礁の上での攻防でした。
このロケーション、個人的にはすごくよく出来ていたと思います。
というのも、安全な場所である砂浜が常に見えているからです。
常に助かるかもしれない希望を見せつつ、決して辿り着くことのできない絶望を突きつけるのは残酷ながらも見ごたえがありました。
こうした希望と絶望の緩急は、作中何度も見ることになっており、(気づいてもらえたと思ったら裏切られたり、助けが来たかと思ったらサメに食われたり)その度にくじけては立ち上がるナンシーの力強い姿は素直に応援したくなる魅力がありましたね。

その魅力をより高めていたのがナンシーを演じたブレイク・ライヴリーでした。
セクシーさや美しさは然ることながら、死力を尽くしていることが伝わる全力の演技は素晴らしかったです。
また、彼女が衰弱していくごとに顔色や艶が無くなっていくのもリアル。
時に絶望して落ち込み、時に希望を抱き命を燃やす……そんな極限下での精神状態を見事に表現していました。

ここまでナンシーや彼女の置かれた状況について書いていきましたが、本作はサメ映画。サメ要素に対するアプローチについても書いていきます。
登場するのは巨大なホオジロザメ。そいつが牙をむき出しにして襲い掛かってくるのは、まさに王道サメ映画でした。
上の方でも書いた水中からの視点であったり、ブイを食いちぎるサメに応戦する中でサメに火を引火させたりなど『ジョーズ』といった往年のサメ映画に対するリスペクトが見られたのは面白かったです。
一方で、本来ならサメの主戦場である水中に潜ってトドメを刺すといった、型にはまらない斬新な発想でサメ映画をより面白くしていたのが印象的でした。
斬新つながりでいうと、スマートフォンや時計のディスプレイを画面に映す演出が作中にありました。
映像だけでも状況を分かりやすく表現するこの演出は、作品への没入感をより強めていました。
サスペンス性を重視するセラ監督らしい演出だったと言えるでしょう。(似た演出を『フライト・ゲーム』(2014)でも使っていたのが印象的です)


近年、奇抜な設定が次々と加えられていっているサメ映画。
しかし本作はシチュエーションを大事にし、サメの純粋な恐ろしさを演出した、まさに原点回帰のサメ映画であったと言えるでしょう。
シチュエーションひとつで面白くなる、サメ映画の可能性をまだまだ感じさせてくれる作品でした。

【レビュー】82年生まれ、キム・ジヨン(ネタバレあり)

結婚し子供が生まれれば誰もが通る道、それが育児です。
24時間365日毎日欠かさず子供の面倒を見なくてはならないというのは、とても大変な事でしょう。
そのため、肉体的にも精神的にも疲弊し、時には育児うつなるものになる人も珍しくありません。
今回レビューする『82年生まれ、キム・ジヨン』は、そんな育児うつの恐ろしさと向き合い方を描いた作品です。

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ストーリー

2歳になる娘とを持つキム・ジヨンは、日々を忙しく過ごしていた。
夫のデヒュンは、家事に積極的に協力していたが、ジヨンの思いとは噛み合わない事が多かった。
やがて正月を迎え、二人はデヒュンの母の家を訪れる。
そこで肩身の狭い思いをし続けたジヨンは、奇妙な言動をし始める。

感想

面白そうだと思い、ソロで見に行ったはいいものの周りは女性しかいないという、なんとも肩身の狭い思いをした本作。
とはいえ、作品の内容は男でも楽しめるものであったというのが率直な感想です。

その理由は、主人公のキム・ジヨンへの共感が出来るからでしょう。
育児に疲れ切り、母親は楽をしているという偏見を受け、義母との関係に悩む姿は姿はリアルで感情に訴えかけるものがありました。

中でも酷かったのが女性に対する扱い。
「女性は結婚したら男性に尽くすもの」
そんな凝り固まった思想は作中の至るところに見られ、それによってジヨンが病んでしまっていたのは一目瞭然でした。
とはいえ、近年女性の権利というのは認められつつあるハズ。
では、なぜ本作のような偏見があるのかというと、まだ偏見を持っている世代が残っているからでしょう。
例えばデヒュンの会社ではその名残がまだ見られ、無自覚の内にセクハラ・パワハラ発言をする人間が普通にいました。
また、デヒュンの祖母もまた「夫が育児休暇で妻が働くなんてあり得ない」という意思を貫いており、ここにも根深い男尊女卑の考えが見てとれました。
そんな変わりつつある世代と、変わらない世代が入り交じるのが、ジヨンの生れた1982年世代だと言えるでしょう。
ジヨンに憑依(?)するのに母、祖母が現れたのは男尊女卑の時代を知っている世代としてジヨンを守ろうとしてだったのかもしれませんね。

そんな男尊女卑が色濃く現れた本作ですが、結局の所周りではなく自分たちが変わっていくことで問題を解決していたのが印象的でした。
これ、見方によると融通の効かない世界の流れに屈してしまったように映りますがそうではなかったと思います。
しかし「前の世代が動かないから自分たちも動かない」では、さらに次の世代にも負の遺産は受け継がれていってしまいます。(本作で言うならジヨンの娘)
そうならないためにも、今の世代が動く必要があるというのを本作は描いていたのだと思います。
その一歩が、コーヒーショップでジヨンが母親への偏見を向けてきたサラリーマンに突っかかっていったシーンです。
あれを通して、行動を起こす大切さと主婦に対する偏見への警告を行っていたのだと思います。
少なくとも、そうした行動が彼女を前向きにしていたのは、ラストシーンで太陽に照らされる彼女の姿からも明確だったと言えるでしょう。


育児うつの実態を描きつつ、男尊女卑の社会に対する痛烈な批判を込めていた本作。
キム・ジヨンという主人公に共感を持たせつつ、そうしたメッセージを伝えるのは浸透しやすく成功であったと思います。
派手さや痛快さこそありませんが、じんわりと心に染みる良作でした。

【レビュー】ナイト・ストーム(ネタバレあり)

赤の他人を家に上げるというのは普通なら抵抗があるものです。
信頼もない相手にプライベートな空間を見せるわけですから当然でしょう。
それを臆することなくできるとすれば、よっぽどのお人よしか、あるいは上げる理由があるからか……
今回レビューする『ナイト・ストーム』では、ある嵐の一夜、家に帰れなくなった男が異常な夫婦の住む家に泊まることになる作品です。

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ストーリー

嵐が迫る日の昼。
海軍上がりのバディは、ある家の柵を修理するため現場へと向かった。
そこには元海兵隊のウォルターとその妻ファンシーが暮らしており「当日中に柵を直せば追加報酬を渡す」と言われる。
作業に取り掛かるバディであったが、嵐が来たことから作業を止めることに。
さらに車の故障のため、ウォルターの家に泊めてもらうこととなった。
そこでバディはファンシーから誘惑され、それを知ったウォルターに命を狙われることになる。

感想

ニコラス・ケイジ主演作はアタリとハズレの差が激しい。
そんなことは重々承知の上で、明らかにヤバそうながらも好奇心に勝てず本作を鑑賞しました。
その結果……見事なハズレ作品でした。
まあ、あらすじからして嵐の夜に妻が誘惑した主人公に嫉妬した夫(ニコラス)がキレる、というなんとも意味不明な内容。
そんな内容に行き着くまでを本編97分の内、ほぼ半分を使っているのですから笑えません。
では、それまで何をしているかというと、ウォルターのいやーな性格であったり、ファンシーがバディを誘惑するシーンなんかを見せられます。「なんだこれ」という感想しか出てこないですよ。

で、話が展開したかと思えばウォルターが病気の妻を殺してほしいとか言ったり、逆にファンシーがそれは嘘だと言ったりてんやわんや。一体、何が目的なのかがよく分からないというのは見ていて退屈に感じられました。
せめて、バディが二人のヤバさに気づいて脱出を目指すとか行動指針が定まればマシだったのですが、彼もなあなあで居座り続けていましたし、目標がないというのは結構退屈でしたね。

ようやく目的が分かったかと思ったら、二人は自分たちの子供を産ませるために若者を誘拐していたというエキセントリックなものでした。(ウォルターはファンシーに付き合ってという形でした)
けれど、それが判明した直後、彼らはバディに罪を被せる形で解放しており、なんだか拍子抜け。もっと、危機的状況とかあるのかと思っていました。
その後のウォルターとファンシーの隠す気もない警察へのガバガバな対応を見て思いましたが、二人とも結構抜けている所が多い、小物感のすごい悪党でした。

ウォルターの動機のひとつとして、軍の体制への不満がありましたが、それも説得力があまりありませんでした。
誰だって、負傷した兵士を前線に送るわけがないのに、そうしなかったことから軍の体制に不満を募らせていたというのは、ただの異常者でしかありません。
まあ、前線に一緒に行っていれば共に死ぬはずだった仲間たちと同じように、名誉の死を遂げようと思っている所からして異常であることは確定的ではありますけどね。
とはいえ、なんだか名誉の死であるかのように描いていたラストはなんだか釈然としない感覚でした。

さて、そんな不満が多い作品ですが、ニコラス・ケイジはいつものクオリティでいい演技をしていました。
冒頭の酔っ払いのロクデナシを絵に描いたような嫌な性格や、中盤での嫉妬に狂った頭のおかしさを感じさせる振る舞いなどは、経験のある彼でないと表現できない不快さがあったと思います。
そもそも、あらすじを見てもそこまで惹かれる要素はないのに見てしまったのはニコラス・ケイジが主演であったからでした。
そう考えると、本作の存在を知らせただけでも彼を起用した意味があったと言えるのでしょう。
存在感、演技共に彼の魅力がしっかりと生かされており、それゆえにストーリーのガッカリさがより浮き彫りにされている感じがしました。


嵐の一夜を舞台に、サスペンスを見せていた本作。
ニコラス・ケイジが主演であることが数少ない見どころではありますが、そのせいで本作を見てしまう人は多かったのではないかと思います。
ニコラス・ケイジのファンにならかろうじて勧められる作品でした。

【レビュー】テキサス(ネタバレあり)

テキサス州といえばアメリカの土地。
そんなイメージが今や定着しています。
しかし、1836年から1845年まではテキサスは「テキサス共和国」というひとつの国でした。
そんなテキサスがアメリカに統合されるまでをテーマに、面白可笑しい西部劇を描いたのが、今回レビューする『テキサス』です。

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ストーリー

スペインの貴族ドン・アンドレアは、アメリカ人女性フィービーと結婚をするためアメリカを訪れる。
しかし、フィービーが戦争前に騎兵隊の一人と婚約していたことから結婚式に反対するため騎兵隊を引き連れて乗り込んで来る。
ドンは騎兵隊らと揉み合う内に、事故で元婚約者を突き飛ばしてしまう。
元婚約者はそのまま帰らぬ人に。騎兵隊らはドンを殺人犯として追い始めた。
追い詰められたドンはフィービーと落ち合うことを約束し、アメリカ合衆国に統合されていないテキサスへと逃げ出す。
その道中、彼は用心棒を探していたサムに雇われるのであった。

感想

西部劇といえばアメリカやメキシコ(あるいはマカロニ・ウエスタンのイタリア)がメジャー。
そこへ、あえてスペイン人が、しかもフランス人であるアラン・ドロンが演じる形で登場するというなんとも話題に事欠かない本作。
しかし、それがおかしいかといったらそうでもなく、アラン・ドロンの濃いイケメン顔がスペイン人のイメージともそこまでかけ離れておらず、また持ち前の演技力でスペイン人貴族としての誇り高い性格も表現しており全く違和感はありませんでした。

その相棒(?)となるサム・ホリスを演じるディーン・マーティンは、コメディに長けていることもあってか、ドン(アラン・ドロン)をいい感じにサポート。
スペイン貴族のためにズレた行動をするドンにツッコミを入れつつコミカルなリアクションを見せる演技の幅の広さはさすがでした。

そんな二人の掛け合いが魅力的な本作。しかし、それが成り立つのはひとえに作風がコミカルだからです。
ドンが騎兵隊に追われる状況(捕まれば絞首刑)やコマンチ族に狙われる恐怖など、常に命の危機があるにも関わらず、コミカルなのです。
で、そのコミカルさを構成するのがやはりキャラクターでした。
上述した二人の掛け合いはもちろん、なにかと頼れる男に弱いフィービーや、サムの相棒でボケにたまに乗ってくれるクロンク、コマンチ族に狙われドンを愛するあまり嫉妬深くなるロネッタ、などなど個性的なキャラクターばかりなんですね。
個人的にはコマンチ族の族長の息子がドジをやらかして大変なことになるのが、周りの「なにやってんだ……」という反応も含めて笑えました。
あんな微笑ましいコマンチ族なら仲良くなれそうな気もします。

そんなコミカルな作品なだけに、西部劇のお約束、決闘シーンも笑えます。
まず、ドンが決闘を申し込むのに手袋がないからビンタで済ますという流れから笑いました。
で、実際に決闘となると町の端から中央に向けて近づいていく早打ち勝負という奇想天外なものを見せるのですからその間抜けな構図が笑えます。
作品全体としてそうでしたが、基本下ネタとかなく、キャラクターの個性や西部劇のテンプレートを壊すようなユーモアで勝負していたのが好印象でした。
そもそも序盤から人が死んでいるのにネガティブな感情を持たせず見せるのですから雰囲気の作り方が上手いというしかありません。
西部劇はカッコいいと憧れこそすれ、実際に行ってみたいと思える世界観はなかなかありません。
けれど、本作のような西部時代なら行っても楽しめそうだなと思える優しい世界でした。


笑える西部劇の世界を見事に作り上げていた本作。
アラン・ドロンの初めての西部劇にも関わらず、このような異色の作品にしていたのはなかなかのチャレンジであったと思います。
アラン・ドロンの魅力はもちろんディーン・マーティンの魅力も感じられる素敵な作品でした。

【レビュー】インファナル・シティ/女捜査官サンドラ(ネタバレあり)

刑事モノの主人公にあるあるなのが、周囲の意見に流されないアウトローな性格をしていることです。
その型にはまらないワイルドな性格は主人公を魅力的に見せてくれます。
しかし、その扱いを少しでも間違えればただのクレイジーなヤツにしかなりません。
そんなアウトローさのさじ加減を考えさせられるのが、今回レビューする『インファナル・シティ/女捜査官サンドラ』です。

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ストーリー

パリからボルドー税関の麻薬局に転属してきたサンドラは、初めての仕事で命令無視をしたことから局長のシュルステルを初め、局の全員から疎まれることとなる。
ある日、麻薬局に強盗が押し入り、押収していた麻薬を強奪した挙げ句、警備員2人を殺すという事件が起きた。
内通者が手助けをしたことを確信したサンドラは、独自に捜査を開始する。

やがて彼女は、コミネッティという裏の世界の大物へとたどり着く。

感想

歴史映画以外はほとんどハズレを作ると(勝手に)思っている制作会社アルバトロス。
そんな会社のアクション映画だというのですから絶対に面白くないなと確信を持ちつつ鑑賞しました。
そうしたら意外とハードルを下げていた分、楽しむことはできました。
まあ、ストーリーに一貫性があって、ツッコミどころが多いという意味での楽しみ方でしたが。

そのストーリーですが、特に捻った設定とかはなくあらすじに書いた通り。
麻薬局の麻薬を盗んだ強盗が誰なのかを追い詰めている間に大物の悪党に辿り着いて追い詰める、という大物俳優さえ使えばビッグタイトルでもありそうな設定でした。
しかし、そんなスケールの大きさとは相反してショボいのが敵の組織。
セリフだけ聞けば巨大な麻薬カルテルなのですが、人員が少ない上にアホばかりで目も当てられません。
悪党側に、頭がキレる奴も、強そうな奴もいないというのはある意味スゴいメンツでしたね。(幹部っぽいのも一瞬で殺されていましたし)

そんな悪党たちに対するのがサンドラなわけですが、この人がまたある意味凄かった……
冒頭、いきなり命令無視をして暴走するトラックの前に立ちふさがり危うく轢かれかけるというワンマンプレーをみせていたことからも薄々気づいていましたが、頭がおかしいです。
警告も何もなく人の携帯をぶっ壊したり、銃を持って店に入ったかと思うとトイレの中で発砲をしたり、心配をしてくれている局長に対して罵詈雑言を浴びせかけたりと、チームワークや信頼なんて言葉は不要の超自己中なやつでした。
そんなですから当然感情移入もできるはずがなく……なにかしら手痛い失敗でもして態度を改めるのかなと思っていましたが、特にそんなこともなく最後までクレイジーを貫き通していました。まあ、これはこれでネタにはなるか。
このように、サンドラの大暴走が基本的に目立つ作品だけあってか、麻薬局のメンバーはほとんど無個性と言って差し支えないくらいキャラが薄いです。
そのため、作品のキモともなっている内通者の正体とか明らかになってもあんまり衝撃的じゃありませんでした。
というか、演出としてもデーン!と盛大なSEをつけているわけでもなく、「なんかコイツ怪しいな……」と匂わせてからいきなり正体を露わにしていますし、あんまり重要視していなかったのかも?
なんにしても影が薄く、裏切り者なのにサンドラよりもヘイトも少ないしで、あまり生きていない設定でした。


あからさまにご都合主義な展開が多く、悪党までもサンドラの都合のいいようにしか動かないチープな展開はさすがのアルバトロスクオリティ。
とはいえ、そうした点にツッコミを入れながら見るとそこそこ楽しめてしまうので、割り切ってしまえば悪くない作品であったと言えます。
もし仮にサンドラのようなアウトローがいたら、間違いなくクビか左遷になるのでしょうね。そうした反面教師にもなる作品でした。(真似しようと思ってもできないレベルでしたけどね)

ちょっとした雑記

本作で舞台となったフランス・ボルドー
主人公のサンドラはフランス・パリからここへ転属してきたという話でした。
では、その距離はどれくらいなのかというとおよそ580km。車の移動で約5時間半~6時間の距離です。
日本でいうとだいたい東京から南へ行くなら広島、岡山辺り、北なら北海道になりますね。

で、ボルドーの話にもどりますが、作中ではほとんど描写がされていません。
街を巻き込んだ派手なカーチェイスやアクションシーンなんかはほぼ皆無で、基本的にどこかの建物内かあるいは明らかに郊外っぽい場所でした。いかにも低予算さを感じさせるロケーションですね。
街中で屋外のシーンといえばどこかの建物の屋上くらい。(サンドラが仮住居として借りる部屋の屋上や狙撃手に狙われるシーンなど)
とある監督のインタビューで聞いたことがありますが、低予算映画を作るのに屋上という立地はうってつけなのだそう。
純粋に安価で借りられるのと、一般人が移りこまない(俳優のタイミングで撮影できる)という利点があるらしです。なにより景観的に見栄えがいいというのがありますからね。(仮住居の屋上のシーンなんかは街が見下ろせるいいロケーションでした)
もちろん、車の爆発シーンなんかもCGで、街に迷惑なんて掛けていません。(B級映画特有の安っぽいCGはある意味見どころでした)
舞台はボルドーではありますが、果たしてボルドーで撮影したのか謎ですね。

では、ボルドーらしさが皆無だったかといったら一応ありました。

それがコミネッティの有していたワイン蒸留所です。
ボルドーワインは、ブルゴーニュワインと並び立つほど有名でもので、ボルドー=ワインというイメージが根付いています。
そんなボルドーの精神を意識してなのか、コミネッティがブドウ畑を有しており、醸造まで行っている描写がありました。
まあ、本編でなにかの役に立ったかといったらNoなのですが、一応ボルドーらしさを作りたかったのかもしれませんね。

このような感じでボルドーを舞台にしていた本作。
低予算でありながらも、街を巻き込んだ壮大な事件に見せようとする努力は、並大抵の映画よりも創意工夫が感じらるのは面白かったです。