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【ネタバレあり・レビュー】アルカトラズからの脱出 | クリント・イーストウッドが挑む実際に起きた脱獄劇!

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ストーリー

サンフランシスコ湾に位置するアルカトラズ島刑務所。
アメリカ国内の問題のある犯罪者が集められたその刑務所に、フランク・モリスが収容される。
彼はそこで冷酷な所長と出会い因縁を持つ。
脱獄を決意したモリスは、刑務所内で出会ったおしゃべりな青年チャーリーと、過去に同じ刑務所に服していたアングリン兄弟の4人を仲間に引き入れ準備を始める。

感想

タイトルの通り、アルカトラズの刑務所から逃げ出すことだけを目的としている本作。
「脱獄映画にハズレなし」とはよく聞きますが、まさにその言葉通りの素晴らしい作品でした。

そもそも、脱獄映画は「入念に準備して脱獄を開始するタイプ」と「一発逆転で脱獄するタイプ」(要は準備シーンを客に見せないタイプ)とがあります。
その枠に当てはめるのなら本作は前者。
序盤から終盤にかけて、時間をたっぷりと使い脱出のための下準備を見せていました。

そうした中で面白かったのが、看守の目をかいくぐる攻防でした。
本作は実話がベースとなっており、その残っている事実だけを映像化したならば見る側からしたら感情移入も盛り上がりもないものとなったことでしょう。
そこで生きてくるのが脚色。
モリスたちが脱出のため準備を進めるわけなのですが、いい具合に看守が現れたりします。
「もうバレてしまう!」とハラハラさせた末にセーフという展開は、手に汗握り気づけば作品に熱中している自分がいました。
もしかすると脚色以上にミラクルな出来事も実際にはあったのかもしれませんが、「モリスが屋上までの通路を探す→次のシーンで看守がモリスを起こそうとする→実はもう戻っていました」といった表現は映画だからこそできるもの。
そうした演出が作品をより面白くしていたのは事実でした。


そんな脱出計画が熱い作品ですが、刑務所内の仲間たちとの交流もなかなか面白かったです。
彼らとモリスの関係は、そこまで濃く描かれるわけではないのですが、脱獄計画に影響を与える必要な要素を抑えていました。
例えば、絵描きのドクとネズミを愛するリトマスの場合は、その悲惨な運命からモリスの脱獄への思いをより強めることにつながっているといった感じです。
中でも印象的であったのが、モリスとは喧嘩友達のようになるイングリッシュとの関係。
彼らは白人と黒人であり、互いに相手の人種を尊重しないことから本来なら相容れない存在でした。
しかし、モリスが脱獄を計画していることを知ったイングリッシュは、脱出に必要なアドバイスを送り間接的に脱獄を手助けします。
そこから感じられたのは、受刑者同士の仲間意識でした。
損得など関係なく、脱獄への希望を持った者を手助けする。
それはもしかすると、自らも自由に対する希望を失っていないからなのかもしれません。
なんにせよ、監獄内であれば人種も関係なく助け合うというのは見ていてグッとくる関係でした。


本作を見ていて最も興味深かったのが、モリスを初めとした脱獄者をまるでヒーローのように描いていた事でした。
しかし、もともと彼らは犯罪者。それは冤罪でもなければ情状酌量の余地があるものでもありません。
では、なぜ彼らがヒーローのように思えるのかというと、それは様々な要素が組み合わさった結果だと思います。
まず、主演がクリント・イーストウッドというだけで、勝手にヒーローというイメージが付いていました。
そのイーストウッドが冷酷無慈悲な刑務所長に対立し、確固たる信念の下、脱獄を決意するのですから彼の肩を持ちたくなります。
また、モリスが受刑者仲間を大切にする人情に厚い男としているシーンもあり、彼の方が良い人間に見えるようになっていました。
モリスが逮捕された理由についても作中では触れられておらず、それも彼が犯罪者というイメージを強調させない手段のひとつだったのかもしれません。(ちなみに罪状は強盗の再犯)
ラストシーンでは、生存して逃げ切ったかのような表現もされていましたし、明確にモリスたちに偏向した描き方をしていました。

※実際のところ、3人は溺死という見方の方が強いらしいです。
その根拠として、アルカトラズ収容前は脱獄後に再犯して捕まるという傾向があった3人が全く痕跡を出さないこと、エンジェル島に泳ぎ着くにはアスリートでも条件が揃わないと難しい(水温や潮の流れなど)ことが挙げられています。
とはいえ、死体が上がらない以上はどちらとも言えないのも事実ですが。


アルカトラズからの脱獄を描いていた本作。
イーストウッドを主演に、作品に引き込んでいく数々の手法は見ていて楽しかったです。
「脱獄映画にハズレなし」という俗説を築き上げた金字塔の一角と言えるでしょう。

【ネタバレあり・レビュー】昼下がりの決斗 | サム・ペキンパーが描く誇り高き自尊心を失わない男の姿!

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ストーリー

カリフォルニア。
元保安官のスティーヴは、銀行から金鉱で取れた金を運搬する仕事を依頼される。
彼はその旅路に偶然再開した旧友ギルと彼が連れていた若者ヘックを同行させることにした。
その道中、家出少女のエルサと出会った一行は、共に目的地に向かうことに。
しかし、彼女を巡りスティーヴたちは荒くれ者たちと対立することとなる。

感想

サム・ペキンパー監督作ということもあって、結構期待値は大きかった本作。
結論としては、地味な良作といった感じでした。
そもそも、本作は哀愁や教訓を感じ取る映画であって、娯楽作のような銃をバンバンと撃つタイプの西部劇ではありません。
そのため、見終わってスッキリ爽快な楽しいものではなく、後になってからじんわりとしみ込んでくる、そういう意味での良作であったと思います。

では、どこにその哀愁や教訓を感じられたのかという話です。
まず「哀愁」の方から。
本作は、年配のスティーヴと相棒ギル、若者のヘックの三人が主な登場人物となっています。
そのため、随所でスティーブたちが老いたことを表すイベントが加えられていました。
例えば、文字を読むのに老眼鏡がひつようであったり、ヘックより早く疲れを感じていたりです。
では、ヘックに比べてワイルドさがないかと言ったらそうでもありません。
ヘックの女たらしで生意気な態度を諫めるために、言葉だけでなく時には拳で分からせる様子は、それまでの人生経験を積んできたからこそできることのように思えました。
これらのエピソードで、味のある演技を見せてくれたのが、スティーヴを演じたジョエル・マクリーとギルを演じたランドルフ・スコットでした。
彼らは、見た目からして年を取っているのは分かるのですが、一方でカッコよさも併せ持っていました。
ヘックに対して嫌味を言ったり、大人げない対応を見せてもどこか親近感を持つことができるのは、コミカルな作風にマッチした彼らの演技があったからこそ。
そんな彼らの別れとなるラストシーンは、切なくも儚いです。
ジョエル・マクリーとランドルフ・スコットの演技があったからこそ、ラストシーンに感じられる哀愁はより強いものに感じられましたね。


次は「教訓」について。
本作、印象的なシーンのひとつに、スティーヴが「自尊心」を大切にするようになったエピソードを語るというものがあります。
この「自尊心」が本作のテーマとも言える重要な要素で、そこに関連してくるのがギルの裏切りでした。
ギルはスティーヴが金を運ぶ仕事の話を聞きつけ、それを横取りしようと目論むわけです。
しかし、スティーヴとは旧知の仲であることからも、分け前を増やすように要求しますが、それは叶いません。
で、結局銃を使った裏切り行為に走るわけです。(返り討ちにあいますが)
この一連のシーンで描かれるのが、ギルの葛藤でした。
「かつての友人を裏切り、金を得るという行為が果たして誇るべきことなのか」という葛藤は、作品の随所で描かれていました。
果てには、共謀者であったペックにも止めるよう説得される始末。
それでも強硬してしまったのは、彼のそれまでの人生が誇りよりお金を優先してきたことの表れだったのかもしれません。
「自尊心」の大切さ、それがひとつの教訓として本作では描かれていたわけです。

ただ、そこで終わってしまうとギルがあまりにも報われない男になってしまいます。
彼が最後に「自尊心」を取り戻すから物語としての面白さがありました。
ひょんなことから命を狙われることとなったスティーヴ一行。
そのピンチにギルが現れる展開はなんとも熱いです。
そこで2vs3の決斗を繰り広げ、敵を倒したものの、スティーヴも銃弾を喰らい倒れることに。(この複数人による決斗もなかなか新鮮で見ごたえがありました)
その彼の代わりに、ギルは金を運ぶ仕事を請け負います。
ここから分かるのはギルはスティーヴから「自尊心」を受け継いだということ。
年を取ってからでも人は変われるということを示しているかのようなラストシーンにはグッと来るものがありました。

余談ではありますが、本作は中盤くらいになぜかエルサの視点に変わり、彼女が荒くれ者と結婚するまでを異様に長く描いていました。
ティーヴたちは完全に空気な状態ですし、なぜあそこでエルサ視点に切り替えたのか謎。
唯一、考えられるとすれば若者特有の先を考えない勢い任せの行動がもたらす結果を見せたかったのではないかということです。
でも、あそこまでじっくり描かなくても良かった気もしますが……
なんだかちょっと中弛み感がありました。


老いた元保安官とその友人の哀愁漂う関係を若者たちを絡めて描いていた本作。
銃撃戦も後半にあるにはありますが、それよりもスティーヴやギルの年の功を感じさせる活躍の方が印象に残りました。
ジョエル・マクリーは次の主演作で、ランドルフ・スコットは本作で俳優業から退いています。
そうして見ると、彼らの演技ひとつひとつに魂を感じられるようでした。

【考察】『新感染半島 ファイナル・ステージ』ヨン・サンホ監督は続編でこれがしたかった!?作品から読み取れた10個のポイント!

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現在公開中の映画『新感染半島 ファイナル・ステージ』
こちらのサイトでも感想もどきのレビューを書いたのですが、別の視点で作品を追ってみたいなと思い今回の記事を書いてみました。


↓ちなみにそのレビュー記事
sparetime-moviereview.hatenadiary.com


テーマは「今回の続編でヨン・サンホ監督がやりたかったこと」についての考察です。
あくまで個人的な推察なので成否については不明なので悪しからず。
また、今作『新感染半島 ファイナル・ステージ』、前作『新感染 ファイナル・エクスプレスどちらのネタバレもあるためお気をつけ下さい。


①軍人を主人公とした作品

今作の主人公ジョンソクは、パンデミック発生時(本編の4年前)、軍に所属していました。
その経験は4年後にも生かされており、戦闘能力はもちろんのこと、サバイバル能力の高さ、緊急時の冷静さなど、
パンデミック後の世界でも生かされることに。
ここに、監督の新たな取り組みがあったと思います。

前作の主人公ソグの場合、武器なし、逃げ場なし、娘を守らなくてはいけないという状況もあって、基本的には逃げることしかできませんでした。
しかし、ジョンソクの場合は、逃げるにしても守るにしてもゾンビを倒すことを主体として動かすことができるわけです。
そこから生まれるのがゾンビを倒していく爽快感。
銃や体術を使った本格的なコンバットアクションを盛り込むことで、作品に対する新たな刺激を加える狙いがあったのではないかと考えられます。

②韓国人としてのプライド

パンデミックから4年後、ジョンソク(とチョルミン)は香港で暮らしていました。
しかし、彼らはそこで現地民から、感染者に等しい扱いを受けているんですね。
オマケに間もなく難民認定されるなんていう噂まで飛び交っており、韓国人はまさに厄介者扱いをされている状況でした。
そこでジョンソクはドルを回収するために韓国へ乗り込むことを決意。
それは、感染者扱いされる底辺の暮らしから脱するためでした。
誇りを汚される日々を変えるため、リスクを冒してでも戦いに挑むジョンソクの姿からは、韓国人としてのプライドを感じさせていました。

③4年後の韓国

本作で最もインパクトを残すのが、パンデミックから4年後の韓国の街です。
その変化は荒廃した様子やゾンビの数の多さからしても分かりますが、残った人間たちの対応からもそれが感じ取れました。
ゾンビの対処法を学んだ彼らは、ゾンビの弱点を逆手に取った行動を見せてきます。
まるでひとつのギミックのように使うその様子は、4年の月日を感じさせるに足る要素であったと言えるでしょう。
また、631部隊が結成され独裁国家のように振舞っているのも4年の月日があればこそ。
助けが来ないことを悟り、武力がものをいうようになるのに4年という時間は適切でした。

続編を作るに当たり、前作の直後の世界観でもよい中、あえてリアルタイムと同じ4年後を描いたというのは、ヨン・サンホ監督自身のなみなみならぬ思いを感じましたね。

④夜間でのゾンビとの戦い

今作と前作で大きく変わっていたのが時間帯でした。
前作は、日中であったのに対し、今作ではほとんどが夜間なんですね。
それもそのハズで、前作は突然のパンデミックということで、明るい中で逃げなくてはいけませんでした。
対して今作は、人間側から動く時間帯を決めることができます。
そうなると、当然ゾンビが苦手とする夜間が勝負時になるわけです。

ただし、それでゾンビが行動不能とならない所が今作の見所です。
音や光を使い、巧みにゾンビを操るスタイリッシュさは逆に夜でなくては実現しないアクションシーン
あえてゾンビの苦手とする夜間を舞台としたのは、ヨン・サンホ監督が取り組んだチャレンジだと言えるでしょう。

⑤人間の恐ろしさ

今作、ゾンビとの戦いと同じくらい色濃く描写されていたのが、人間の恐ろしさでした。
前作でも、安全な場所にいた人々が危険な場所から来た人間を隔離するという人間の負の面を見せていましたが今作ではより過激に。
631部隊に所属する悪漢どもは私利私欲のために独裁政権を築き、部隊に所属していない生存者を"野良犬"狩りと称して捕まえていました。
「負の面を持つ人間が生き残った場合にどうなるのか?」
前作で描ききれなかった疑問を今作で描写しているかのようでした。

⑥ゾンビを使ったデス・ゲーム

631部隊が娯楽のために行っているのが、ゾンビを使った"かくれんぼ"でした。
悪趣味極まるこのゲームは、チョルミンが参加させられる訳なのですが、まるで彼の視点に立たされたかのような臨場感あふれる撮影手法にはこだわりが感じられました。
本編中でも結構な時間を割いて描かれており、監督の力の入れようが伝わってくるようでした。

⑦二人の悪党

今作の中でもかなり印象深いキャラクターであるのが、悪党であるファン軍曹とソ大尉でした。
「生き残るために身勝手な行動をする」という点では、前作のヨンソク(バス会社の幹部の男)と共通しているのですが、彼はあくまで生き残りたい一心で身勝手な行動をしていました。

そうして見ると、今作の二人はより危険かと思います。
「生き残るためなら殺しても仕方がない」ではなく「使えないなら殺しても構わない」というスタンスですからね。
さらに、この二人は同じ631部隊に所属していながらも互いを信用していません。
いざというときには裏切ることを念頭に置いて行動をしています。
その関係は"仲間"というよりも"利害の一致した他人"といった感じ。
そんな彼らの薄っぺらい関係を描くことで、ジョンソクらの絆を強調する狙いがあったのかもしれませんね。

⑧エンタメ性を追求したアクション

本作でヨン・サンホ監督が最もやりたかったのであろうことが、このエンタメ性重視のアクションシーンでしょう。
その最たる盛り上がりを誇るのが、終盤でのジョンソク&ジュニvsファン軍曹のカーチェイスでした。
そのゾンビを絡めたクレイジーな発想とスピード感あふれる展開の数々は、監督が生き生きと作品に臨んでいたのが感じられるよう。。
自由奔放なアイデアを詰め込んだアクションシーンは、それだけのために続編を作ったと言われても信じてしまうほど力が入っていました。

⑨主人公の変化

前作では、人を見捨てることをよしとしていた主人公ソグが、パンデミックを通して人を思いやることができるようになるという成長を見せていました。

本作は成長というよりも過去の清算と言った方が適切かもしれません。
過去にミンジョンら家族を見捨てたことを悔やんでいたジョンソクが、最後にはその家族を救うわけですから。
とはいえ、主人公が良い方向へと変化を見せたのは前作と共通しています。
過酷な環境下でも人は変わることができるというのは、ヨン・サンホ監督の伝えたいことではないかと考えられますね。

⑩前作とは異なるハッピーエンド

前作で印象的なシーンといえば、やはり主人公ソグと娘スアンとの別れでした。
スアン自身は最終的に生き残る訳ですが、夫を失ったソンギョンと二人きりという状況は、ハッピーエンドとは言い切れない状態であったと言えます。
そうして見ると、本作は主人公であるジョンソクを初め、ミンジョンと二人の子供たちが生き残る本作はかなり理想的なハッピーエンドだと言えるでしょう。
一方で、師団長(おじいちゃん)が命を落とすことで理不尽な世界観を演出もしていました。
どちらにしても、親子が無事に済むというのは、多くの人が受け入れやすい結末。
もしかすると、前作のヒットを受けてヨン・サンホ監督が、より温かさのあるラストにしたかったのかもしれませんね。


まとめ

ここまで、ヨン・サンホ監督が『新感染半島 ファイナル・ステージ』を通して描きたかったことについて、10個のポイントを挙げました。
書いてみて分かったのは、アクションや世界観については新たな視点からドラマについては前作と共通したテーマで描いていたことです。
世界観や時代は変わったものの、作品に対するアプローチはブレないヨン・サンホ監督らしい作品だったと言えますね。

【ネタバレあり・レビュー】RBG 最強の85才 | アメリカで平等に生きるために戦った正義の味方!

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ストーリー

アメリカ史上2人目の女性最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ
彼女は85歳にしてなお最高裁判事として働き続けていた。
その彼女が、いかなる信念の下に仕事に取り組んでおり、いかに国を変えたのか、彼女の半生を通して描く。

感想

公開当時の2019年にも劇場で鑑賞していたのですが、2020年9月にルースが亡くなったこともあり、今回再度鑑賞してみることに。
2度見た感想ですが、やはり面白かったです。
今見てみると、バイデン大統領の上院議員時代が映っていたり、当時(撮影時はおそらく2017年くらい)のアメリカの政権の様子が感じられたりと、新たな発見があるのがあったのも嬉しい気づきでした。

そんな本作は大きく分けると3つのテーマからルースの半生を紐解いていました。
まず1つ目が差別撤廃に対する運動です。
彼女は女性差別が横行していた1970年代に弁護士として活躍することで、女性の地位向上に大きな影響を与えました。
その活躍ぶりを彼女が取り扱った判例を挙げつつ紹介していくテンポの良さは、分かりやすく受け入れやすいものであったと思います。
中でも興味を惹いたのが、妻を亡くした男性の育児手当が払われないことに対してルースが弁護をした事例です。
男性が正当な権利を受けないことに対する弁護をしたこの事例は、ルースが「優遇」ではなく「平等」を目指していることを理解させるには十分すぎるくらいの説得力を与えていました。
確固たる信念の下、女性の平等な扱いを目指すルースの弁護内容は、実際の音声を使っていることもあり、非常に重く伝わってくるかのようでした。

2つ目のテーマがルースの夫マーティンの存在です。
本作では彼の貢献についても、インタビューや実際の映像などを通してかなり濃く描いていました。
そこから見て取れるのが、彼のユーモラスな性格です。
社交的で明るく、人を笑わせる彼の性格は、、たった数分間の映像を見るだけでも親近感を持てるかのようでした。
もうひとつ感じ取れたのが、妻ルースへの愛。
ユーモアを口にする際にも、聞いた人がルースに対して好感を持てるような内容の話をしており、密かに妻を支えていることが感じられます。
なにより50年以上もの間、働き続けるルースを家事などで支えてきたというのですからその愛が本物と言うしかありません。
ルースが全力で仕事に取り組めているのはマーティンがいたからこそであることを忘れさせないエピソードを挟んでいたのは心温まるものでした。

3つ目のテーマがルースの最高裁判事の活躍について。
ここからも彼女の「平等」に対する姿勢が見られました。
まず興味深かったのが、最高裁判事がリベラル派と保守派で分かれているということ。
ルースはここでリベラル派に属する訳なのですが、バランスを取るために、できるだけ中立に近いリベラル派の立ち位置にいたんですね。
そんなルースは、最高裁として市民から多大な人気を誇っていました。
その理由のひとつが、最高裁の判決に対する反対意見でした。
もちろん、それはイチャモンをつけているわけではなく本当に不服だと思っての行動です。
しかし、数少ない女性判事でそのように声を挙げる姿は、市民にとって正義の味方のような存在でした。
その人気っぷりをかいつまんで紹介していましたが、本当に愛されているんだとつくづく思いました。
親しみ易さもまた、彼女の魅力であったのかもしれませんね。

反対意見を提示するのに、ルースが堂々とした立ち振舞いができたのは確固たる信念と知識があったからこそ。
周りの人たちから見てもその努力が感じられるコメントがあったのも彼女の凄さが伝わってくるようでした。


ルース・ベイダー・ギンズバーグの半生を彼女自身と周りの人々たちの声を通して描いていた本作。
冒頭にも書いたように、彼女は惜しくも亡くなってしまいました。
しかし、彼女の凄さは本作を通してより多くの人に知られていくのでしょう。

【ネタバレあり・レビュー】感染源 BIOHAZARD | 感染しない生物兵器の脅威!

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ストーリー

2004年7月6日。アラスカの山奥にある生物研究所で事件が起こる。
陸軍に所属するトレイナーは仲間と共に、その研究所で生き残った職員を救助する極秘任務を言い渡された。
しかし、その任務に随行する研究員のラングは何かを隠していた。
研究所へと潜入したトレイナーたち6人は、そこである生物に襲われる。

感想

DVDを買ったものの、長年ほったらかしにしていたこの作品。
時代も時代だけに、タイトルに惹かれて見たわけなのですが、なんだか思っていた内容と違いました。
たしかに、有害生物が暴れるため「biohazard」要素は満たしているのですが、肝心の「感染源」要素がなかったです。
で、よくよく見たら原題は『Deep Evil』(直訳:深い悪)
なるほど、見事に配給会社の戦略に騙されましたね。

で、中身はどうであったかというと、これまた絶妙に面白くない。
逃げ出した有害生物と研究所に潜入した6人(男4、女2)が、1人ずつ敵にやられていくという、それこそ映画版『バイオハザード』をなぞったような内容なのですが、イマイチ盛り上がる所がありません。
死因にしたって、手に付着した有害生物の出した水に触れて死んだり、いつの間にか肩に乗っていたクモに噛まれて死んでしまったりとなんだか地味。
クモの大群相手に銃を乱射したり、ガス弾で応戦したりと、一応アクションシーンもあるにはあるのですが、面白いかと言ったら派手さもないしうーん……
むしろ、対有害生物用の毒ガスをうっかり床に落として死んでしまったり、「爆弾は俺が手動で起動する」とカッコイイこと言っておきながら失敗して犬死にしてしまったりといったマヌケなシーンを売りにしたネタ映画としての方が面白さがあったのかもしれません。

では、どこに魅力があったかというとモンスターの設定にあったと思います。
何故かやたらとクモやトカゲもどきの外観で登場するのはさておいて、モンスターの特徴は良かったです。
毒の水を生成しその中から出現、人間を含め様々な生物に擬態するという能力を持っていました。
なんだか擬態能力は『遊星からの物体X』のモンスターを、水からの出現はCGIの技術含め『ターミネーター2』のT-1000(液体金属のやつ)を彷彿とさせました。
とはいえ、滴り落ちる水滴にクローズアップをしてモンスターの近づく描写を表現したり、本作ならではの見せ方をしていたのも事実。
別にまるっと真似しているわけでもありませんし、本作オリジナルな要素と言ってもいいのでしょう。

もう一つモンスター関連で面白かったのが、モンスターが作られるまでの話。
それは、宇宙から飛来した隕石に付着していた微生物を政府が軍事利用のために改造、やがて知能を持ち人間を襲い始めるというものでした。
結局、モンスターを作ったのは人間だったわけなんですね。
安易に「隕石に付着していたモンスター」とせず、あくまで人間の私利私欲が生み出したモンスターであったというのが個人的には好感が持てました。
ラストシーンでもその人間の汚さが世界を滅亡に導くことを示唆していましたし、モンスターの設定絡みではちゃんとしたサスペンスをしていたように思えました。

これらの要素があまり生きなかった理由として考えられるのがテンポの悪さ。
本編時間が90分しかないにも関わらず、30分くらいは「研究所で何かしらの生物が人を襲った」ということしか分かりません。
面白いと思えるモンスターの設定が出てくる頃には作品に対する興味も薄れてしまうんですね。
ストーリーや見せ方次第では『エイリアン』レベルに面白い作品にもなれそうな気がしただけに、イマイチな作品になってしまったのは少し残念に思えました。


2004年のB級モンスターパニック映画であった本作。
画角が4:3のアナログ仕様や(正方形に近い画角)、中途半端なCGなど、懐かしくなる要素が見られたのは今だからこそ楽しめる要素であったと思います。
タイトルに釣られて見た作品でしたが、一応楽しみようはある作品でした。

【ネタバレあり・レビュー】16ブロック | ちょっと変わったブルース・ウィリスが見れるアクション作!

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ストーリー

夜勤明けの刑事ジャックは、上司からある任務を押し付けられる。
それは、逮捕されていたエディを16ブロック先の裁判所へ連れていくという簡単なものであった。
しかしその道中、エディは何者かに命を狙われる。
ジャックの機転もあり難を逃れた二人は、ジャックの元相棒であるフランクと合流をする。
だが、フランクこそがエディによる不利な証言を黙殺しようとしている汚職刑事であった。

ストーリー

ブルース・ウィリスといえば丸刈りというイメージがすっかり染みついてきていた昨今。
それだけに、今作の髪もあるしヒゲも生やしているブルースというのはなり新鮮味がありました。
そんなレアなブルースは見た目だけではありません。中身もかなり変わっています。
二日酔いで膝を痛めていて体力が落ちているボロボロのブルース・ウィリスなんておそらく本作でくらいしか見れないでしょう。
そんなボロボロな姿を見せているだけに、本作のブルースは2006年時の姿なのにこれまで見たどのブルースよりも年寄り臭く感じられました。
とはいえ、本作の1年後に『ダイ・ハード4.0』でバリバリのアクションをしてもいるため、全ては演技。
だらしないヨレヨレな体で、常に辛そうな顔をしつつ行動をしている役作りと演技は素晴らしいものでした。
もちろん、ただダサい男で終わらないのもブルースの良さ。
刑事の勘で的確な立ち回りを見せていたり、いざという時に物おじしないカッコよさはブルースの演じてきたキャラクターに共通するものがあったと思います。

そんなブルース演じるボロボロの刑事ジャックが、ある事件の証人であるエディを裁判所までの16ブロック護送するのが本作のストーリーでした。
まず、敵が汚職警察という設定は良かったと思います。
本作の見どころのひとつでもあるニューヨークの街中を舞台にした逃走劇というのが、警察が敵であれば違和感なく成立しますからね。
ジャック側も汚職警察側も「警察だ!」と言っておけばやりたい放題できるというのは、街中を戦場とするのにはうってつけであったと思います。

ジャックと共に逃走劇を繰り広げる、エディのキャラクターも見どころのひとつとなっていました。
おしゃべりで常に前向きではあるものの、恐怖や怒りを内に秘めているという人間味は好感が持てるキャラクターでした。
ジャックとの掛け合いも良く、初めこそエディが一方通行に話すだけであった関係が、窮地を脱していくごとに距離が縮まっていくのはよくある展開ながらも微笑ましいです。
序盤の方でエディの出した「バス停で待っている老婆と親友と理想の女性の誰を車に乗せるのか」に対する答えを別れ際に答えるのも二人の距離が縮まったことを表しているようでした。
それだけに、裁判所まで二人で行かなかったのは少しモヤっとしたのも事実です。
ラストシーンもエディは何故か写真だけの登場でしたし、解決後の喜びを分かち合う二人の姿が見られなかったのはなんだか少しスッキリしない終わり方でした。

そのジャックとエディとの関係で重要となるのが「人は変われるか」という問いかけでした。
これに対して、ジャックは「変わることはできない」と断言し、犯罪者は犯罪者のままだと言っていました。
しかし、終盤になると分かることですが、このセリフは自分に言い聞かせている言葉でもあるんでしょうね。
彼自身が汚職警察の一員として行動しており、それを悪と分かっていながらも言い出せずにいたわけですから。
しかし、エディの前向きかつ変わろうと努力をする姿勢を見て、彼自身も変わるように。
最終的に、自身の罪と向き合うという流れはシンプルながらも受け入れやすいドラマを生み出していました。
あくまでアクションメインで、邪魔をしないように上手く随所で消化していたと思います。


ブルース・ウィリス主演のアクション作であった本作。
ダイ・ハード』シリーズと比べると地味なアクションではありましたが、ブルースの新鮮なキャラクター像を生み出したという意味では成功であったと思います。(見た目を含めて)
また髪の毛ありなブルースを見てみたいものですね。

【ネタバレあり・レビュー】溶解人間 | 涙腺まで溶ける!感動の溶解ホラー!

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ストーリー

土星探査を行っていた宇宙飛行士のスティーヴ・ウェストは特殊な宇宙光線を浴びてしまう。
地球に帰還し一命を取り留めたスティーヴであったが、彼の体は少しずつ溶解し始めていた。
ショックのあまり研究所を飛び出したスティーヴは、次々に人を襲い始める。
友人で会ったテッド・ネルソン博士は、彼を救うためその行方を追う。

感想

「ようかいにんげん」と聞くと普通ならベ〇・ベ〇・ベ〇の妖怪人間を連想するかと思いますが、ホラー映画好きであれば間違いなく本作『溶解人間』の方を思い浮かべるハズ。
それくらい、本作は記憶に残る衝撃の一作なのですね。

で、何がそんなに衝撃的なのかというと、やはり「溶解」要素。
CGのない時代ということもあって、手作りなわけなのですが、その質感が凄い!
テロテロのドロドロでまるでタール漬けにでもなったかのよう。
その色合いも素晴らしく、絵の具を何色も混ぜたみたいな淀んだ色合いは、体に害がないのか俳優の人が心配になるくらい。
さらに凄いのが進行度です。
溶解人間のスティーヴは、少しずつ体が溶けていくという設定。
そのため、作品が進むにつれてどんどん体が醜く溶けていってしまうんですね。
登場する度にどんどんデロデロになっていく様はシーンが変わるごとに楽しみになってくるほどでした。
そして、最後の怒濤の溶けシーンは圧巻の一言。
それまでスティーヴの骨格らしきものがガイコツのように浮かび上がっていたのですが、それすらも溶けてしまうという衝撃映像はもはや芸術すら感じさせるものでした。あのシーンが見られただけでも見てよかったと思いましたよ。

そうした、溶解シーンが衝撃的ではあったのですが、それだけではないのが本作の面白さです。
例えば、スティーヴが釣り人を襲うシーンでは生首が吹っ飛ぶび川流れをするというインパクト抜群なシーンを展開。
それだけでも面白いのですが、さらに凄いのが川流れをしてきたこの生首が小さな滝から落下し潰れるという芸術点の高いグロテスクなシーンを作っていること。
思わず笑ってしまうようなシーンですが、一生記憶に残るであろうシーンであることも事実です。
もうひとつ、冒頭のスティーヴに追いかけられる看護師の逃亡シーンもかなりのインパクト。
ガラス突き破りもそうですが、胸をバルンバルンと揺すりながら走る姿をスローで切り取った下品さは天才かと思うほどの表現力でした。


さて、こうしたふざけたシーンが多い中、ストーリーはなかなか真面目なのにギャップがありました。
宇宙飛行士として唯一生き残ったスティーヴが、人に出会えば化け物扱い、行く当てもなくさ迷う姿はただただ切なかったです。
常に管制塔からの通信を幻聴として聞いている辺り、精神的に地球に帰りつけていなかったように感じられるのがまた悲劇でした。
最後には理解者であったネルソン博士も亡くしてしまい、溶解。なんとも救いのない結末のように思えましたね。(しかも人類は歴史を繰り返すかのように次なるロケット発射を行ってしますし)
溶けゆくスティーヴが夕日をバックに歩く哀愁漂う姿はしばらく忘れられそうもありません。


ざっくり言うと、人間が溶けていくだけの作品であった本作。
しかし、芸術的なドロドロ表現や切ないストーリーは、名作ホラーになりえる感情を揺さぶるものがありました。
溶解人間』というタイトル含め、見た人が忘れることの出来ない作品だと言えるでしょう。