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【レビュー】「ホテル・ムンバイ」 不屈の闘志!不滅のホテル!

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ダイ・ハード』や『エンド・オブ・ホワイトハウス』など、所謂テロリスト制圧モノの映画はエンタメ作品として受け入れられてきた。

あれらの作品を見ているとつい「銃を持っていても上手く立ち回れば制圧できる」と思ってしまいがちである。
そんな甘い考えに待ったをかけるのがこの作品『ホテル・ムンバイ』であった。
とにかくこの作品は非常だ。「守るべきものがあるから」、「帰るべき場所があるから」、「愛する者がいるから」といった、思いがあってもそれが銃1つで事切れるのである。
「全員は助からない」という非常な現実を突きつけられるのは、正直、見ていて辛かった。
アクション映画であればテロリストを制圧する主人公を演じていそうなアーミー・ハマーでさえ、成す術なく殺されるのだ。その絶望ったらありゃしない。
けれど、そうした思い半ばで亡くなった人々がいたからこそ緊張感は凄かった。
たった一瞬、廊下を横切るだけでも死の影がチラつき、手に汗が滲んでしまう。それを乗り越えてもまだまだ脱出は程遠いのだから余計に絶望が増してしまうかのようでもあった。
このように、緊張感はそのまま作品への没入感にも変わっていた。
気づけば自分もまた、タージマハルホテルに取り残された宿泊客になったかのようで、銃声1つにも恐ろしさを感じてしまうのだ。
それゆえに、脱出シーンでの感慨もひとしおである。
最初は嫌味な奴に思えた料理長も、アルジュン(デヴ・パテル)と抱き合うシーンには目頭が熱くなった。
下手に気取ったセリフなどを挟まずに、再開をただただ映像だけで見せるという流れも感動を盛り立てていたと思う。
そんな脱出シーンを見ていて考えてしまったのが「テロリストの知らない通用口が外に繋がっているなら最初からそうしてもよかったのではないか」ということ。
ただ、これは間違いだ。
確かに、私たち映画の鑑賞者は作品中盤に負傷した警察官たちが通用口から外へ出ていくシーンを見ている。
けれど、これはあくまで第三者視点でしかない。
我々はテロリストが片手で数える程(確か4人であった)しかいないことを知っているが、ホテルに取り残された人からすれば、10人以上いることだって考えられた。
つまり、通用口に行ってもそこへ待ち構えるテロリストの1人に殺される可能性もあり、迂闊に動けないのだ。
通用口まで100メートルもなさそうな厨房に隠れていた人たちがいたのもこうした理由からなのだろう。
最後のテロリストの襲撃によって倒れた人もいるように、どの行動が正解であるかなんて分からない。それがまた、非常な現実を突きつけているようであった。
そんな、一切飾らないスタンスであったからこそ、ホテル従業員の行動にも嘘くささは感じられなかった。
宿泊客を前に行かせる、1部屋1部屋に危険を知らせるなど、細かい事ではあるが自身の命も危ない状況を考えると、拍手を送りたくなる勇敢さだ。
果たして、自分があの場でホテルマンとして働いていて同じことが出来たかと言えば、おそらくNoだろう。生き残れる保証もなにもない中で綺麗事は言っていられない。
そう考えてしまうからこそ、この作品でのホテルマンたちは輝いて見えた。
おそらくホテルマンたちの活躍がなければ、この作品はただテロの凄惨さを伝えるだけの作品となっていたであろう。
この作品のタイトルは『ホテル・ムンバイ』(原題:Hotel Mumbai)ではあるが、作品を見た人なら分かるように舞台となるのはタージマハル・パレス・ホテルだ。「ホテル・ムンバイ」なんて名前のホテルはない。
けれど、ホテルマンたちの活躍、そして現在では復興を果たしたことを思えば、インド最大の都市、ムンバイの名を冠するにふさわしいホテルだと分かる。
「お客様は神様だ」
これを口で言うのは簡単だが実行するのは難しい。それを本当の意味でやってのけたホテルマンたちには敬意を払わずにはいられない。