【レビュー】フリーソロ(ネタバレあり)
ロッククライミングといえば安全第一。それは当たり前ですよね。
そのためには、装備品を揃えるのが確実だと言えるでしょう。
しかし、世の中にはそうした装備品なしでロッククライミングを行うフリーソロ・クライミングというスタイルが存在しています。
今回レビューする『フリーソロ』は、そんな界隈の中でも有名な一人アレックス・オノルドがエル・キャピタンを登るまでを密着したドキュメンタリーとなっています。
基本的にドキュメンタリーというのは、学にはなるものの「面白い」と言うのは少し違う気がします。
しかし、本作は「面白い」と表してもよいエンタメ性もある作品でした。
で、その楽しめる理由は、やはりフリーソロ・クライミングにあったでしょう。
作品冒頭からアレックスが装備品なしでクライミングする様子が映されるわけですから、もうその時点でフリーソロに興味を持たずにはいられませんでした。
そしてそこからは、フリーソロに挑むアレックスの準備が描かれていました。
挑むのは、カリフォルニア州マリポサ郡のヨセミテ国立公園内にあるエル・キャピタンです。
その他にも、ザイオン国立公園のムーンライト・バットレスやヨセミテ国立公園ハーフドームといった崖が登場しますが、そのどれも巨大で圧倒的な存在感を放っています。
そこを登るアレックスの姿はちっぽけで、いかに彼が無謀な挑戦に挑んでいるのかを映像で語っていました。
そんなアレックスにクローズアップしていたのが、本作の見所のひとつです。
フリーソロなんて命知らずなことをする人物ですから、どれだけクレイジーな性格かと思っていたら意外にも普通でした。
家族がいて、友人がいて、恋人がいて、規則正しい生活を送り、気さくに人に話す姿を見ていると、とても命懸けのフリーソロを何十回も成功させてきた人には思えませんでした。
しかし、細かな所に注目すると少し普通とは異なっている所があり、例えば家族や友人、恋人とはあまり深すぎる関係を築かないようにしていたり、食生活では野菜しか食べないようにしていたり、喜怒哀楽の振れ幅が弱かったりしていました。
至って普通の人のように思えましたが、本作の半分くらいの時間を彼自身とその周りの人々についてに裂いていても苦にならない程度には興味深い個性をしていたと思います。
そうした性格を作り上げたのが、おそらくフリーソロ・クライミングだったのではないかと思います。
何度もテスト登山を繰り返し、崖の僅かな隆起の位置、手足の置き場などを暗記する入念さや、機械のような冷静さは、数多くのクライミングによって培われたものだったのでしょう。
アレックスが病院で脳の構造を検査するエピソードがありましたが、そこで指摘される「刺激へ対する反応が鈍い」というのは、なるほどと思わされました。
かなり大胆なチャレンジをしている反面、繊細な人でもあるのだという印象を受けました。
こうして、アレックスの人物像についてクローズアップしていることもあってか、彼へ対する好感と憧れは作中どんどんと強くなっていきました。
しかし、だからといって彼と同じようにクライミングをしたいかといったら「No」でした。
それもそのはずで、本作では(フリーソロ・)クライミングの魅力を見せている一方で危険性も付き物であることを知らせているからです。
それを、故人となったフリーソロ・クライマーの死を悼む形で提示していたのは素晴らしい描き方だったと思います。
アレックスだけにではなく、すべてのフリーソロ・クライマーへの敬意が感じ取れる構成でした。
そうした敬意は、クライムシーンにも表れています。
冒頭にも書いた、雄大な自然と人間のちっぽけさの対比の映像はもちろん、崖の僅かな隆起に掛かるアレックスの指先や足下にズームしたアングルなどは、クライムの難しさと凄さを素人の私たちにもよく分かるように説明していました。
特に終盤のクライムシーンの表現力は素晴らしいです。
一度ミスをすれば即落下の状況で映し出されるアレックスの一挙手一投足には緊迫感ありまくり。
様々な難所を登るアレックスの姿を身近に捉えた映像はドキュメンタリーではまず味わうことのないハラハラドキドキをもたらせていました。
それだけに、登りきった時の感動は凄まじいものです。
踏破したアレックスの姿から、エル・キャピタンの全貌へと引いていく空撮は、特に何もしていない自分にまで達成感を味あわせてくれました。
フリーソロのあらゆる面をアレックスの個性を交えて描いていた本作。
彼だけでなく、彼を支える人々や映画を撮影したスタッフらとの交流まで描いていたドキュメンタリーとして文句なしの作品だったと言えるでしょう。