スキマ時間 DE 映画レビュー

【レビュー】透明人間(2020)(ネタバレあり)

透明人間といえば、人類のロマンです。
もし、姿を消すことが出来たら、誰に何をしようかと、おそらく多くの人が昔から考えてきたことでしょう。かくいう私もそのうちの一人です。
そんなある意味親しみやすい題材だけに、古くから映画やその他創作物のネタとされてきました。
最古の映画が制作されたのは1933年。それから87年の時を経て、現代によみがえったのが、今回レビューする『透明人間』です。


f:id:sparetime-moviereview:20200803141605j:image

ストーリー

恋人エイドリアンの行きすぎた拘束に、恐怖を感じたセシリアは彼の家から脱出する。
それから数日間、妹のエミリーとその恋人ジェームズに匿ってもらいながら、彼女は外に出ることもできない生活を送っていた。
そんなある日、エイドリアンが自殺したという知らせが入る。
彼の死に疑心暗鬼しながらも、元の生活に戻り始めるセシリア。
しかし、彼女の周りで不可解なことが起こり始める。

感想

ぶっちゃけた話、本作が公開されることを知った当初は「今さら透明人間?」という思いがありました。
とはいえ、監督・脚本がホラー界の注目人物リー・ワネルでもあることから見ることに。
『SAW』シリーズの脚本(1,2,3)や『インシディアス』シリーズ(1~4全作)の脚本(3は監督と兼任)を手掛けた人物というのはかなり期待しちゃいますよね。最近なんかは2018年の『アップデート』でも監督をしていましたし。

で、率直な感想としては、斬新さが面白い!という感じです。
正直、序盤はそこまで乗り切れていませんでした。
透明人間が存在するのか、主人公セシリアの頭がおかしいのかの駆け引きは王道的ながらも、よく見るような展開でしたからね。
とはいえ、作りは丁寧なだけに見ごたえは十分。
誰かがセシリアを見ているかのような意味深なカメラアングルが存在したり、逆にセシリアが何かの存在を感じ取っているようなカメラアングルが存在したりと、怖がるよりも「おお!すごい!」と感心してしまうような演出が光っていました。(たまに意味深なアングルを見せておいて何もないような見せ方をするのも、透明人間に翻弄されるセシリアの視点を感じさせていました)
また、透明人間と戦う上での王道的な展開(姿を晒すために粉物を撒いたり、床に足跡が付くようにしたり)も見せており、前半から出し惜しみなし。「おいおいこんだけ一気にネタ使って後半大丈夫か?」と、心配になってしまうくらいの大盤振る舞いでした。

しかし、そんな心配は杞憂に終わります。むしろ後半からが本番で、面白さも倍増していきます。
その導入では、透明人間が光学迷彩スーツによって実現していることが明かされるんですね。
これまでの透明人間像を破壊するかのようなハイテクな表現は、ある意味斬新でした。
セシリアが病院で包帯にまかれた男が運ばれていく意味深なシーンがありましたが、あれは従来の透明人間像との決別を意味していたのかもしれませんね。(1933年の元祖『透明人間』では、包帯をまくことで体の輪郭を縁取る表現がされていました)

そうして始まる後半戦は、前半での単独攻撃から打って変わってかなり大規模に。
さらに、セシリアの精神をすり減らすような嫌がらせのような攻撃から、直接的な暴力に変わるのも印象的でした。
どちらも昔から透明人間ネタとしては使われてきましたが、本作の暴力的な表現はかなり過激。
中でも、精神病院で銃を持った警備員たちをなぎ倒していくシーンは、その異常性を明らかにしていました。
戦意喪失した警備員に発砲をしたり、恐怖し怯える姿を楽しんでいたりしていましたからね。
また、このシーンはワンショット(風?)で撮影がされていたのも衝撃的でした。
やっていることは昔の透明人間のネタと変わりないのですが、見せ方ひとつで斬新に感じさせるのは、さすがリー・ワネル監督といった所です。

そんな監督の手腕に応えるかのように、良い演技を見せていたのが主演のエリザベス・モスでした。
彼女のキャリアを見ると、サスペンスからスリラー辺りのジャンルに出演する機会が多いようで、本作の演技でもその持ち味を発揮していました。
序盤では、エイドリアンが迫ってくる見えない恐怖に怯え、パニックになる姿を見せています。一方、後半からは彼に対抗するかのような鬼気迫る姿を見せており、その変貌にはセシリアの生き残ろうとする意志の強さと若干の狂気が感じられました。
ラストシーンでは、どの人物をも手玉に取った余裕すら見せており、素直にカッコイイと思えるキャラクター像を作り上げていたと思います。
ホラー映画であるにも関わらず、ただ怯えるだけでなかったのが良かったですね。

SF要素あり、逆転ありと、従来のホラー映画とは異なる模様を見せていた本作。
原作でもある1933年の『透明人間』へのリスペクトを入れつつ、光学迷彩や女性が戦う物語に仕上げていたのは現代味があります。
ホラーの体系も時代と共に変わっていき、それは見せ方次第では決して悪い事ではないことを考えさせる作品でした。