【レビュー】宇宙戦争(1953)(ネタバレあり)
その昔、H・G・ウェルズという小説家がいました。
彼は『タイム・マシン』や『透明人間』を世に送り出した彼が次に目を向けたのは宇宙。それも火星でした。
「火星人が地球を奪うべく襲来する」そんな想像力を膨らませた彼は『宇宙戦争』を1898年に執筆。多くの人間に感銘を与えました。その内容は当時の技術では到底映像化が無理でしたが、出版されてからおよそ55年。1953年にようやく初めての映画化が為されました。
今回レビューする『宇宙戦争(1953)』はそんな期待の下、制作された作品です。
ストーリー
カリフォルニアの片田舎の町の山中に隕石が墜落した。平穏な町に訪れた一大事に町の人々は沸き立つ。
偶然、そこへ居合わせたクレイトン・フォレスター博士は隕石を調べる内に、シルヴィアと出会う。
その頃、火星人が乗ってきた宇宙船であった隕石は動き始めていた。
感想
『宇宙戦争』と聞くと、今となってはおそらく2005年のスティーヴン・スピルバーグ監督作の方が思い浮かぶでしょう。とはいえ、先人は1953年のジョージ・パル監督作です。
そんなわけで、その先人的な作品を見てみようと思い立ったのが今回見た理由でした。
で、どちらの作品も見た視点から言わしてもらうと、面白さはどっこいどっこい。
とはいえ、2005年の方はCGフル稼働での面白さもありき。純粋なストーリーだけでいうと本作の方が面白いと思いました。
その差は、宇宙戦争感があるか否か。
2005年版は、基本的にトム・クルーズ演じる父親が子供たちと一緒に宇宙人の攻撃から逃げるのがメインとなっていました。
そのため、宇宙戦争というよりはパニックもの。なんなら宇宙人の襲撃ではなく、なにかしらの災害でも成り立ってしまいそうな内容でした。
一方、本作はしっかりと宇宙戦争をしていました。
アメリカ陸軍、空軍が全勢力を総動員して火星人と戦ったり、世界的に攻防が行われている描写が挟まれたり、核弾頭で攻撃をしたりと、まさに死力を尽くしています。
また、時代が時代だけに、第二次世界大戦時にはバラバラであった各国が協力し合うという展開は、なんだか意味深に思えました。
こうした戦争描写がある中で、奔走していたのがクレイトン博士でした。
正直、彼はたまたま現場に居合わせただけですし、戦闘能力もないようなほぼ一般人。
学者としての才能を引き出す機会もなく、終始翻弄されているだけの存在でした。
それでも記憶に残るキャラクターとなっていたのは、ストーリーがスッキリまとまっているからなのでしょう。
まあ、まとまっているというよりもクレイトン博士とシルヴィアの逃亡を描いているわけで分かりやすいからだとは思います。
とはいえ、火星人たちの脅威やその生態、クレイトンとシルヴィアの関係の進展までの流れを30分足らずで描いていくテンポのよさは見易かったですね。
で、見ていて気づきましたが、2005年の『宇宙戦争』は本作のリスペクトをかなり取り入れていたように見受けられました。
例えば、廃屋と化した住宅での宇宙船のカメラから身を隠すシーンであったり、暴徒と化した市民に車を奪われるシーンなどです。
これらのシーンは2005年版でも印象的なシーンでもあり、本作の与えた影響は大きかったことが窺えました。
そんな本作のラストは、暴徒と化したロサンゼルス市民と大襲撃をかけてきた火星人との板挟みでした。
宇宙人はもちろん、人も恐ろしいという状態はまさに世界の終わりを予感させる殺伐とした世界。
そんな中で、純粋に愛のために奔走するクレイトン博士の姿は人間の本質を見せているかのようでした。
彼が探していたシルヴィアは教会にいたわけですが、その祈りが通じて宇宙人たちが突如地球の細菌にやられて死んでいくのがオチとなっていました。
これは、2005年版も同様のオチなわけですが、やはり都合がよすぎるというか、打ち切りの漫画のようなラストにしか思えません。
けれど、おそらくこれが原作通りのラストなのでしょうね。(どちらの作品も同じラストでしたし)
奪いに来た地球に存在していた細菌にやられるという皮肉さは、嫌いではありませんしよしとしましょう。
2005年版のおよそ55年前から作られていた本作。
意外に宇宙船のデザインや特殊効果なんかも凝っていて、今の時代に見ても楽しめる内容となっていました。
『宇宙戦争』と聞くとトム・クルーズが連想されますが、たまにはこちらの作品も思い出したいですね。