【ネタバレあり・レビュー】ミネソタ無頼 | 盲目なガンマンの孤独な戦い!
西部劇のガンマンといえば孤高の存在。
その身ひとつで悪を討つ姿はロマンだと言えるでしょう。
しかし、もしそのガンマンの目が見えないとすれば、それは絶望的な状況だと言えるでしょう。
今回レビューする『ミネソタ無頼』は、少しずつ視力を失っていく孤高のガンマンの戦いを描いた作品です。
ストーリー
ガンマンであるミネソタ・クレイは、無実の罪で20年間服役させられていた。無実の証人に心当たりがあるクレイは、看守の隙をつき銃を奪い脱獄に成功する。
かつての仲間フォックスが保安官として牛耳っていた。
やがて、フォックスこそがクレイに罪を着せた裏切り者であることを知る。
感想
頼りにする人がいない孤独な一匹狼を指す言葉「無頼」。その「無頼」に主人公であるミネソタ・クレイの名前を冠したのが本作のタイトルでした。
それだけに、本作は基本的にクレイのワンマンアーミーっぷりが印象的かつ面白い所であったと思います。
悪漢オルティスや悪徳保安官フォックスを相手取り、苦境に立たされた町の人々を人知れず救ってしまうカッコよさは、西部劇の魅力抜群でした。
で、本作のオリジナリティでもあり、素晴らしい点であるのがクレイの眼病設定です。
冒頭から、クレイはこの眼病を患っており、それだけでも失明の危機が迫っているタイムリミット的な緊張感が常に漂うことに。
時々クレイの視点で視界がボヤけたりするカットを入れていたのが、さらにそれを印象付けていました。
そして設定の真価が発揮されるのが終盤に至ってから。
眼病によってほとんど目が見えなくなったクレイは、その状態でフォックス一味と交戦することになります。
そこで見せる銃撃戦が設定を生かした素晴らしいものだったんでした。
なんと、自分の目が見えない状況を利用して敵を暗闇に誘い込むんですね。
で、ここの表現がまた素晴らしい!
闇夜で繰り広げられるクレイとフォックス一味の戦闘をセリフもBGMもない、ほぼ無音で行わせていたのです。
西部劇でこうした静寂な場面というのは珍しくないのですが、闇夜の中で物音だけが頼りという特殊な状況下は本作だからこそ。
物音ひとつが命取りという緊迫の駆け引きは見入ってしまう臨場感がありました。
最後の戦いであるフォックス戦でも音がポイントに。
目の見えないクレイ相手に、フォックスはクレイの娘ナンシーを人質として闇討ちを仕掛けようとします。
そのピンチをナンシーが持っていたアクセサリーの音で見抜いてしまうんですね。
この逆転劇が痛快なのはもちろんなのですが、亡き妻とお揃いのアクセサリーをクレイがナンシーに渡していたというのがまた良かった!
影ながら娘を見守るクレイの愛が、そのまま彼女を守ったかのようなシャレた展開でした。
そして、このクレイを演じたキャメロン・ミッチェルの哀愁漂う演技が、作品を支えていたと思います。
普段は寄るところ敵なしのクールなガンマン、裏では眼病に苦しむ孤独な男という幅広い演技には心を掴まれました。
無頼の状況下でありながらも決して諦めない不屈の精神もみせており、応援したくなる主人公らしさを持たせていたと思います。
本作において一番謎なのがラストシーンです。
眼病で視力をほとんど失ったクレイは、眼鏡をかけることで視力を補うように。
しかし、ラストシーンでその眼鏡を銃で撃ち抜いて去っていくんですね。
まさか視力が回復するわけはありませんし、それをナンシーらに隠しておく必要もあまり考えられません。
ではなぜ眼鏡を捨てたのかと考えると、視力がなくとも生きていける術を身につけたことを表していたのかもしれません。
彼が視力を失っていても戦えることは、フォックスらとの銃撃戦でも証明されていました。
ガンマンとして視力を失っていることがハンディにならないことを伝えるためにも眼鏡を壊すシーンを入れたのかもしれませんね。
正直、どういった意図で入れられたシーンなのかは分かりませんが、カッコいい去り際であったことには変わりありませんでした。(もしかしたら単にそのカッコよさを追及した結果とりあえず入れたシーンなのかもしれません)
先天性な盲目ガンマンの葛藤を戦いを通して描いていた本作。
その設定を生かした戦闘シーンやドラマパートは、さすが西部劇の名匠セルジオ・コルブッチ監督作であると思いました。
普通の西部劇とは一線を画した西部劇初心者にもオススメしたい一作でした。