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【ネタバレあり・レビュー】グッバイ、リチャード! | 余命半年のジョニー・デップが見せる最後の生き様!

生きる者として決して避けられない運命、それが死です。
その事実に人は恐怖し、不安を抱くのは当然のことだと言えるでしょう。
それだけに、人の死を尊く美しいものとして描いた作品は共感を呼び、愛される傾向にあります。
今回レビューする『グッバイ、リチャード!』は、余命を宣告された男が自分の好きなように最後の時間を過ごす作品です。

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ストーリー

大学で英文学の講師を勤めるリチャードは、肺癌により余命半年を宣告された。
タバコは吸わず、不摂生もしてこなかった彼は大きなショックを受けながらも、それを受け入れようとする。
その事実を妻ヴェロニカと娘オリヴィアに打ち明けようとするが、ヴェロニカが浮気を、オリヴィアがレズビアンであることを告白したことから言い出せないまま時間は過ぎていく。

感想

主演がジョニー・デップということで俄然興味が沸いていたこの作品。
彼の魅力が見られたのはもちろんのこと、作品としてもなかなかに楽しめる内容でした。
死を言い渡されたリチャードの破天荒な行動やそれを受けて混乱する人々のやり取りは、"死"を連想させないコミカルさを持っていました。
一方で、リチャードが近づいてくる"死"を受け入れていくシリアスさも持ち合わせており、共感しやすい内容となっていました。

そんな面白さの多くを占めていたのがジョニー・デップの存在です。
作品冒頭の死を宣告されて、わめき散らし暴れまわる姿からしてもう心を捕まれました。
ひねくれていたり、自暴自棄になったと、情けない姿を見せてはいるのですが、冒頭の掴みがあることによってその姿を受け入れやすくなっていたように思えます。
なにより、世間体を気にせず飾らない生き様が清々しい!
酒、クスリ、女と、人間ダメにする3つを味わい尽くし、やりたいようにやるその姿は「こんな自由に余命を過ごせるならいいのかも」と思わせる程でした。
そうした爛れた生活を送るリチャードの姿を実生活で酒癖の悪いジョニー・デップが演じているのが皮肉が効いているように思えます。
そうした、俳優ネタも含め、デップにしかできない役どころが見ていて面白かったです。

そんな自暴自棄なリチャードに振り回される人々を見るのもまた楽しい点でした。
彼の自堕落ながらも飾らない姿に、家族や友人、教え子たちが、時には惹かれ、時にはドン引きする様子はユーモアに溢れていました。
一方で、彼のそんな生き方から一瞬を大事にすることを学ぶシーンもあり、作品の本質がブレていなかったのは良かったと思います。
笑える中でも考えさせられるというメリハリの付け方が、作品により入り込める利点となっていました。

作品全体としてはそこまでドラマティックな展開が待っているわけではありませんでした。
しかし、主演がジョニー・デップというだけでも「どんなことをやらせるのか」という好奇心を刺激し続けていたのも事実。
スター俳優をキャスティングした利点が作品にしっかりと生かされていたように思えました。

解説

人の残された時間を描いた作品というのは、これまでにも幾つも作られてきています。
それでは本作の魅力はどこにあるのでしょうか?
たしかに、スター俳優であるジョニー・デップを起用することでキャッチーで親近感を抱きやすくしていたというのは魅力のひとつでした。
しかし、本作でオリジナリティを構成していたのはストーリーだと言えるでしょう。
本来、こうした余命いくばくかを宣告された人間ドラマというのは、決まった路線を行くものです。
人との関係や自身の後悔を清算し、綺麗に死を迎える準備をするという、いわゆる「立つ鳥後を濁さず」の王道展開です。
その方が感動的で見栄えがありますからね。
しかし、本作はその逆で、死を間近に迎えたリチャードが自暴自棄となってそれまで倫理観が邪魔して出来なかったような事(不倫や学長への反抗など)をするようになっていました。
要するに「後を濁しまくろうが知ったこっちゃない」を貫き通す邪道展開だったわけです。
けれど、それだけだと主人公がただのクズとなってしまい、たとえ死が間際に迫ろうと同情の余地がない状態となってしまいます。
そこでキーパーソンとなっていたのが、リチャードの友人ピーターでした。
彼は、リチャードの余命をまるで自分のことのように受け取り、お節介を焼いていました。
彼がいることで、リチャードが決していかないようなセラピーに行くことになったり、本音を吐き出す機会に恵まれたりと、リチャードが死と向き合うのに必要な機会を作りあげていました。
邪道ながらも死と向き合うというテーマ上、必要な要素を抑えるのに、ピーターという友人ポジションは必須であったと言えるでしょう。
「立つ鳥後を濁さず」とはいかないまでも、リチャードの言動に納得できるというのは作品の魅力があればこそでした。