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【ネタバレあり・レビュー】大いなる幻影 | ジャン・ルノワール監督が世界にもたらした戦争に抱く幻影

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戦争映画というのは、その歴史を伝えると同時に、その製作国の兵士がいかに偉大であったのかを伝える役割も担っています。
そのため、多少のリアリティの欠如があっても贔屓目で描いてしまうのは仕方がないことだと言えるでしょう。
今回紹介するフランスで製作された『大いなる幻影』は、リアリティを重視した一作。
監督ジャン・ルノワール反戦の意を込めて製作し、物議を醸した作品です。

作品概要

原題:La Grande Illusion
製作年:1937年(日本公開:1949年)

監督:ジャン・ルノワール
脚本:シャルル・スパークジャン・ルノワール
主演:ジャン・ギャバン

ストーリー

第一次世界大戦下、ドイツ軍に捕虜にされたマレシャル中尉は、ボアルデュー大尉らと収容所へ送られる。
彼らは捕虜ではあるものの、ドイツ軍たちと

戦争の脚色した悲劇ではなくリアルを描いた作品

第一次世界大戦下の捕虜たち

ドイツ軍捕虜にされた将校たちの物語と聞くと、個人的にはスティーブ・マックイーン主演の『大脱走』を連想します。
あちらも捕虜収容所からの脱走という意味では似た展開を見せていると言えるでしょう。
ただ、違ったのは時代。
この時代の違いから、ドイツ軍の捕虜に対する扱いの柔和さが感じられました。
というのも、この作品での捕虜の扱いはとても緩さを感じました。
ドイツ軍は敬意を払いながら接していますし、食べ物なんて捕虜のほうが良いものを食べている描写さえありました。
息抜きの時間や物もしっかりと確保されており、捕虜というよりはお客のような印象さえあったと思います。

捕虜の役割は脱走にあり

上に書いた捕虜の扱いの良さもあって、正直見ていても「脱走する必要ある?」と思わずにはいられませんでした。
しかし、マレシャル中尉らもフランス軍に所属する捕虜。威厳を保つために彼らは脱走の準備をしていました。
たしかにそこに軍人の気高き精神はあるのですが、皮肉にもその脱走計画は完璧とは言えない結果に終わってしまいます。
1度目はせっかく掘り進めたトンネルを収容所移動のために使わずじまい。
2度目はマレシャル中尉、ローゼンタール中尉が脱走こそ成功させるものの、ボアルデュー大尉は射殺され、中尉たちもボロボロになっていました。
また、1度目のトンネルを使わず仕舞いだった際に「俺たち実は脱走するために穴を掘っていたんだ」と、マレシャル中尉がドイツ軍兵にバラすシーンがありました。
しかし、言葉が通じておらず彼らが脱走を企てていたという事実は本人らしか認識していないことに。
普通、脱走系の映画では自国の兵士たちの脱走を美談のように描くイメージが強いです。(戦争事情が絡んでいると余計に)
それを完ぺきとは言えない形で描いていたというのは印象に残るものがありました。

幻影がもたらす生と死

上に書いた脱走に対して完ぺきと言えない描き方をしたのはどうやら監督自身が、脱獄映画で自国をよく見せるための脚色を嫌ったからだそうです。
そうした反戦的な考え方がこの作品のテーマのひとつ。

中でも人間同士のつながりについてはかなり訴えかけるものがありました。
例えば、ボアルデュー大尉がドイツ軍収容所の署長であるラウフェンシュタイン大尉と奇妙な友情を築く、死にそうになっていたマレシャル中尉らをドイツ人女性が助けたりといったシーンは、そうしたメッセージ性を強く感じさせました。
国や考え方が違えども抗うことのできない人間らしさが見えるシーンの数々(特に作品の後半部)は、戦争の無情さを直接的な描写なく考えさせてくれました。

一方で、そうした区別がマレシャル中尉らの命を救ったのが皮肉な話であったように思えます。
目には見えない国境をもしもドイツ軍が無視して銃を撃っていればおそらく彼らは命を落としていましたからね。
そうしてみると、国境という目に見えない幻影が命を救ったとも読み取れるような気がしました。

今の時代だからこそ、こうした視点を「面白い解釈だ」と見ることができますが、公開当時はまだ1937年というのですから驚きです。
いかにセンセーショナルな内容であったのかは、当時の人のみぞ知ることでしょうね。

大いなる幻影』が各国にもたらした影響

この作品、第二次世界大戦に入る前の公開作であることから(1939年から第二次世界大戦)、各国はその反戦的な内容に過敏になっていたそう。
日本でも上映中止という事態(のちに公開)という形をとったそうで、その影響の凄まじさを感じさせます。
では、各国の上映事情はどうだったのか、主要な国だけですが以下にまとめてみました。

〇フランスでのプレミア公開が1937年6月
〇(再)が付いているのは一度公開されながらも上映禁止による再公開

イギリス 1938年1月
アメリ 1938年9月
フランス 1944年9月(再)
イタリア 1947年10月(再)
オーストリア 1947年12月(再)
ドイツ 1948年9月
日本 1949年5月

こうして見ても分かるように、国によって大きな差が出ています。
で、そこには様々な理由があったようで、フランスでは愛国心の感じられない内容が不適切だとして上映禁止をしたそう。
特に大きな影響をもたらしたのがドイツ・ナチスの動きでした。

ドイツはこの作品に、イデオロギー批判が込められているとして作品を批判。
中でもヨーゼフ・ゲッベルスはこの作品にたいして並々ならぬ敵意を向け「Cinematographic Enemy Number One」(映画における敵ナンバー1)と、発言を残しています。
パリ占領後にはネガを押収し、長らくの間完全版は消失していました。(のちのちにモスクワで保管されているのが発見されます)

逆に作品を高く評価したのがアメリカ。
当時の大統領であったルーズベルトが民主主義でもあったことから「民主主義者は皆、この映画を観なくてはならない」と、宣言すらしました。
1939年のアカデミー賞では受賞こそ逃したものの、作品賞にノミネートもされており、当時から名作として認識されていたようです。

一方、日本は第二次世界大戦時にドイツとの同盟関係にあったこともあり、この作品は1949年まで日の目を見ることはありません。
また、49年に公開されたのもドイツ・ナチスから検閲を受け、幾つかのシーンカットが為されたものだったのだとか。
今では完全版を見ることができるのですが、こうなると逆にナチスのカット版も見たくなりますね。(現存するのかもよく分かりませんが1時間53分より大幅に短いバージョンがあればそれがカット版なのかも?)

反戦の内容を描いていた本作が、戦争により上映禁止や正当な評価を受けていなかったというのはなんとも皮肉な話。
作品の内容のみならず、その扱いにおいても歴史のある作品であったと言えますね。